日曜の夜までにラブレターを送る生活

この1年で、ラブレターを送ることが生活の一部になった。と書くと、かなりヤバいやつに聞こえるが、ラジオ投稿の話である。
ラブレターというのは、『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』内の『企画書は甘いラブレター』というコーナーのことだ。詳しくは前回のエントリーを見てほしい。
今回は、毎週毎週このコーナーに投稿していく中で、いろいろと思うところがあったので、その辺についてツラツラと書き連ねていきたいと思う。

まず最初に、今自分がどういう感じでラジオに投稿しているかを少し書いておく。

学生時代は時間が無尽蔵にあったので、暇さえさればボーっとネタを考えたり、深い時間帯の番組をリアタイしながらリアクションメールを送ったりしていた。
今は社会人で所帯も持ってる身ということもあり、なかなかそういう訳にもいかないため、ネタを書く日はあらかじめ決めている。「ネタを書く」というより、「ネタを清書する」といった方が適切だろうか。基本的に、いつも頭の片隅でネタの種みたいなものを考えており、使えそうな単語や言い回し、設定などを思いついたら逐一スマホにメモっているのだが、それらをつなぎ合わせてちゃんとした文章に落とし込むのがネタを書く作業になる。この作業は週末の夜にしている。なぜ週末かというと、日曜の夜までにはメールを出しておきたいからだ。
ラジオ投稿者界隈でよく耳にする「自分ルール」の1つに、自分で勝手にメールの締め切りを決めるというものがあるのだが、私もラブレターのコーナーに関しては、「日曜までには送る」と締切日を設けている。放送が水曜の深夜なので、日曜というとその3日前だ。週の終わり(始まり?)で何となく区切りが良いのと、月曜以降にネタを出しても採用されることが滅多にないということから、日曜を基準に考えている。実際、過去の自分の採用ネタを見返したときに、採用されるネタの7割以上が1〜2通目に送ったネタで、後に出せば出すほど採用率が低いということが数字に表れている。なので、よほど良いネタが思いつかない限り、月曜以降にラブレターのネタは送らないことにしている(他のコーナーには送るけど)。あと、大喜利ではないが、同じモチーフであっても先に出した方がネタの印象が強い気がするので、できるだけ早めに送るようにしている。これは、このコーナーの「ネタがかぶりやすい」という性質から考えても、その方が良いと勝手に思っている。

もう1つ自分ルールとして、最低でも6つはネタを出すようにしている。6という数字にそこまで深い意味はない。6つ出して2つ採用されたことが過去に何度かあるということと、どんなに忙しくても6つだったら何とか考えつくということで、何となくこの数字に落ち着いた。で、6つネタを考えていく中で、1つか2つは「採用されるとしたらこれだな」という比較的自信のあるネタが出てくるのだが、番組で採用されるネタの大半はそこから選ばれるので、自分と作家の感性はズレていないらしい。もし6つ書いても自信のあるネタが出なかった場合、7つ目以降をどうにか捻り出すようにしているが、そういう場合は、たいてい読まれない(ラジオ投稿者あるある)。
昔は持論として、「ネタは量ではなく質」と思っているふしがあった。基本的に今も考えは変わっていないのだが、いろんな人の意見を聞くうちに少し改めた部分もあって、質を出すにも量が必要だと思うようになった。今は、1つのテーマに対して四方八方とにかくいろんなパターンを探り、そこに金脈がありそうな場合は深く掘り進める、といったネタの作り方になった。逆に、「これ以上掘り進めても何も出ない」と悟った場合は、無理に出さないようにしている。以前、キングオブコントで、サルゴリラが優勝した翌週に、「魚で例える」系のネタを考えたのだが、十人並のネタしか書けなかったので、あえて送らなかった。自分の中の評価基準がブレるので、送っても読まれそうにないネタは、あらかじめ自分の中ではじいている。そういう意味では、6つネタを出すとはいってるものの、10以上は考えてる。

パーソナリティーのメール読み脳内再生シミュレーション(ラジオ投稿記参照)は、馬鹿力のときから変わらず続けている。ただ、伊集院さんと佐久間さんでは、読んでもらうメールに対して意識するポイントが少し違う。伊集院さんの場合、番組の枠に収まる範囲ネタであれば、どんな頭のおかしい文章でも淀みなく、かつ面白さが膨らむような表現で読んでくれる。かたや佐久間さんは、ラジオ5年目のパーソナリティーとはいえ、伊集院さんと違い、もともと喋りを本業としている人ではないため、正直そこまでの表現力はないと思っている。なので、読み手の技量によってオモシロさが大きく変動する類のネタは基本送らないようにしている。例えば、替え歌とか。ただ、「オレに何を読ませてんだよ!」的なオモシロにつながる場合がごく稀にあるので、出すとなった場合は佐久間さんが絶対に読むのに向いてないネタを出すことにしている。ばりばり江戸弁の落語とか。
あと、私の脳内佐久間は割と噛むので(実際、噛むのだけど)、可能な限り読みやすい文章を(気持ち)心がけている。以前、以下のネタを書いて脳内再生させたとき、

『「敬老の日は、お年寄りを敬わなければならない。〇か×か」「正解は×。敬老の日以外も敬うべきである」という、運転免許の筆記試験みたいな問題』

第一感として、「あー、『敬う』の部分、噛みそうだな」と思った。かといって良い感じに置き換えられる単語も思いつかなかったので変えずに出したのだが、案の定、放送で読まれたときにしっかり噛んでいた。このとき、図らずも自分の脳内佐久間の精度が高いことが証明された。この脳内佐久間が、ネタを読み終えた後にどういうリアクションをするかまで見えたら、自分の中でOKということで出すことにしている。

と、こんな感じの投稿スタイルで1年以上毎週送り続けて、なんとなくコーナーの温度感は掴めてきたものの、いまだに連続でボツを食らうことも珍しくない。どういうネタが採用されるのか分かってきても、それが毎週コンスタントに書けるかどうかはまた別の話なのだ。

で、この辺から「スポンサーとのタイアップコーナーに送るのって難しいな」という話。

前回も軽く書いたが、そもそもこのコーナーに出したところで絶対に読まれないネタというのが、かなりあると思っている。まず、当然ながら犯罪ネタや政治ネタ、悪いスキャンダル系のネタ、そして、下ネタ。この辺までは想像しやすいと思う。あと、スポンサーが明治ということで、他社のお菓子名などはおそらくNGだ。「じゃあ明治のお菓子なら良いのか」というと、あまりにスポンサーに迎合しすぎているということで、それはそれでよろしくない気がする(テーマが明治のお菓子にまつわるものであれば話は別だが)。これに関していうと、以前、ネタ中に「ポッキーゲーム」という単語をどうしても使いたかったのだが、さすがに無理かなと思ってあきらめたことがある。このとき代替案として、明治のフランを使うという手も考えた。ただ、フランだと「意味」が出てしまうので結局ダメという結論に帰着した。こういったことに注意する必要があるのだ。
また、これと同じようなパターンで、具体的な企業名や商品名も、一部の例外を除いてあまり使わない方が無難だと思われる。

と、ここまで書いて1つ思ったのだが、これらの注意事項って案外どの番組にも適用されるのではないだろうか。というより、ネタの中に商品名をバンバン出してる『深夜の馬鹿力』の方が特殊なのかもしれない。他の番組を見渡したときに、ネタ中に商品名を出してる番組ってそんな無いし。ああでも『雪見だいふくを一口ちょうだいって言ってくるやつ』ぐらいのネタだったら他の番組でもあるかな?まぁでも、スポンサーが多めの番組であれば、それほど多くはないと思う。
「ネタに登場させるワードは、できるだけ具体的にした方が良い」と深夜ラジオ投稿の教科書で教わってきたので、これらのことは教えに反するのだが、そういうルールなのだから仕方ない。

商品名を削ったパターンを1つ紹介する。以前、テーマが「受験」のときに、以下のネタで採用された。

観客が誰もいない真っ暗な会場で、リングの上に立っている自分は、赤コーナーの選手とボクシングの試合をしていた。長時間にわたる激戦の末、ついに相手からダウンを奪うと、相手はどこか嬉しそうに、「強くなったな」と言って笑う。と、そこで目が覚めた。そして、ふと机の上に目をやると、そこにはボロボロになった赤本が。そんな、受験当日の朝。

このネタ、最初は締めを「そんなカロリーメイトのCM」とするつもりだった。もしかしたらそっちでも採用されたかもしれないが、「ボロボロになった赤本が」の部分がこのネタで一番主張したい部分だったので、無理に入れる必要もないかなと思い、出す直前に変えた。ちなみに、放送では佐久間さんが「これ、そのままカロリーメイトのCMでもいけるよね」と言っていたが、佐久間さんが補足して話すぶんには問題ないのだ。ここに大きな違いがあると思っている。

こういう言葉の制約の話になると、『キッドアイラック!』という漫画を自然と思い出す。ヤンキーが何かをひたむきに頑張って改心する系の漫画は世に沢山あるが、その題材が「大喜利」という非常に珍しい漫画だ。
漫画という性質上、大喜利の回答として出てくる単語は一般名詞のみで、特定の芸能人を指すものや商品名などはもちろん一切出てこない。しかし、それでも大喜利の回答は面白く描かれている。「ああ、別に具体的な単語を使わなくても面白くできるんだ」と、最初に読んだときいたく感動したのを覚えている。ちなみに、作者の長田悠幸氏も大喜利を趣味としており、タピ岡ススルという名前で大喜利の舞台に上がっていたりする。お笑いに精通しているだけに、より回答を考えるのに頭を悩ませただろうな、と心中を察する。
ラブレターのコーナーでは一般名詞に加えて、芸能人名やドラマや映画、エンタメに関する作品のワードであれば使っていいことになっている(と思う)ので、この漫画のケースに比べたらだいぶ自由度が高いといえるだろう。ちなみに、このコーナーはX(旧Twitter)とも連動しており、ベストメールとして選ばれたネタを含めて、2つのネタが番組公式Xにアップされる。その際、具体的な人名などは伏せられる。つまり、「具体的な名前を伏せられてもネタのオモシロさは損なわれず、SNSにアップしても問題ないリテラシーのネタ」を基準に選んでいると思われる。

あと、コーナーはもとよりメール全般でいえるのが、「ネガティブな言葉や話題は、できるだけ避けた方がいい」ということだ。これは番組を長く聴いてる中で感じたことだ。以前、放送をリアタイしていたとき、リアクションメールで、『死亡フラグ』という単語を入れたメールを送ったことがある。メールの送信ボタンを押した直後、「あー『死亡』っていう枕詞、余計だったな」とすぐに後悔したのだが、メール自体は採用された。しかし、放送では『死亡』の二文字が削られて読まれた。今やYoutubeでもこの類の言葉は伏字になっているが、もうコンプラ的にもあまり放送には載せない方がいい空気になっているのだろう。この一件があって以降、よりこの辺の単語には気をつけるようになった。
また、直接的な単語でなくとも、特定の人物に対するよくないディスりも書かないようにしている。「誰も傷つけない笑い」が皮肉めいて使われる昨今だが、これ地味に大事なことだと思っていて、そのネタによって自分は傷つかないまでも、『「このネタで傷つく人いるだろうな」と思ってしまう事象』が発生してしまうことは結構あると思っている。これがネタを聞くうえで邪魔な感情になるのだ。なので、できるだけ夾雑物の入らないポジティブなネタを書くよう心がけている。たとえネガティブ方面に行くにしても、「滑稽」的な表現にとどめている。
以前、『座王』で千原ジュニアロングコートダディ堂前に対して、「堂前の他の芸人と違うところって、ネガティブなことの方が笑い取りやすいけど意外とポジティブなことで笑い取ってる、そこが稀有な存在」と評していた。芸人でもない自分がいうのもおこがましいが、確かにネガティブなことは笑いが取りやすいし書きやすい。実際、自分が馬鹿力に投稿してた頃は、ネガティブなネタが圧倒的に多かった。というより、ほぼそれしか書いてなかった気がする。そういう意味で、佐久間さんの番組に投稿している今は、今までとまったく違う脳の部分を使ってネタを考えている。

ここまでいろいろと書いてきて、「これだけいろんな縛りがあると、好きにネタが書けなくて窮屈なのでは?」といったふうに思われるかもしれないが、決してそんなことはなく、むしろこの制約の中でどれだけ自由な発想でネタを考えられるか、というのが腕の見せ所になってくる。昔、漫画『美味しんぼ』で、東西新聞社の主催で国際的な晩餐会を開くという回があり、宗教上の理由で食べることのできない食材が数多くあるいろんな国の人たちが一堂に会する中で、工夫を凝らして全員を満足させるフルコースを作るという話があったのだが、気持ちとしてはそれに近いかもしれない。

令和になり、時代に合わせて少しずつラジオ番組も変化していっているのを肌で感じている。ナイナイANNは例の一件を境に下ネタがほぼ封印されたし、コサキンはしばらく前からゲイネタをやらなくなった。馬鹿力は相変わらずぶっ飛んだネタが多いが、それでも「ブス」みたいな直接的ワードはもう大分減ってきている。これらは極端な例だが、こういった変化に気付かずに、いつまでも自分の価値観をアップデートしないままでいると、時代に取り残されて、ピントのずれたネタしか送れない人になってしまうのだろうな、と思う。
「昔ながらの味を守るラーメン屋といいながら、実は客に気付かれないように少しずつ味を変えてる」みたいなセリフを、何かのグルメ漫画で読んだことがある。昔ながらのやり方をただただ続けるだけで、変化していかないのはダメだという話だ。
自分は、味が変わったことにいちいち気付くめんどくさい常連客であり続けたいな、とめんどくさいことを思いながら、今日もネタを考える。

分子ガストロノミー料理を食べてきた

うちは毎年、結婚記念日になると、妻と二人で美味しいものを食べに行くのがお決まりになっている。さて今年はどこに行こうかと考えていた今月の頭に、妻が「『分子ガストロノミー』が食べたい」と言ってきた。

 

分子ガストロノミーというのは、食材を構成している分子に着目し、温度や湿度による分子の結合が味に及ぼす影響を研究するもので、近年ではその研究が様々な調理に応用されているらしい。一応、その言葉自体は自分もなんとなく知ってはいたが、料理知識のすべてを料理漫画から仕入れている私的には、食戟のソーマで「分子美食学の申し子」と言われている薙切アリスが最初に思い浮かんだ。見たこともない調理器具を使って作る、味の想像がつかない料理、といったイメージだった。
妻は、以前オモコロWebで、分子ガストロノミー技術を使った料理を出す「セララバアド」という店のレポ漫画を読んで興味が沸いたらしい。自分もその記事は読んだのだが、その記事の他にも、ダ・ヴィンチ・恐山氏が、店の感想を個人Youtubeチャンネルで話しており、そちらも面白かったので、興味のある人は聴いてみるのをオススメする。

 

分子ガストロノミーを取り入れている珍しい店ということもあり、料理のお値段は決して安くはなかった。どうしようかなと少し悩んだが、「まぁこういう機会でもないと行くことないしな」と思い、行くことに決めた。ただ、人気店のためネット予約は一ヶ月先まで既に満杯だった。
ところが、ネットの予約状況をチェックしていた妻が、今週の木曜に1組分空席が出たことを私に教えてくれた。確かに予約状況が×でなく△になっている。リアルタイムで同じページを見ている人が他に4人いたので、我先にとすぐさま予約を入れた。「同じページを見てる人が他に××人います」の表示は、こういう部分で機能するんだなと少し思ったりした。


そして当日。
コサキンリスナー的にはお馴染みの代々木上原駅まで電車を乗り継いだ。自分的には初めての代々木上原だった。

 

『セララバアド』は、代々木上原の閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいた。名店というのは、だいたい閑静な住宅街の中にあるものだ。


予約していた5分前に店の前に着いたので店が開くの待っていると、同じ時間に予約していた人がゾロゾロと集まってきた。このお店は、個別ではなく、同じ時間に予約していた人全員で一斉に食べ始めるというシステムなのである。
時間になり店に入ると、カウンター2席、テーブル14席だけの小さな空間が広がっており、なるほど確かにこれはすぐに予約が埋まるなと思った。
私たちは店の奥の方にあるテーブル席の方に通された。落ち着いて食べられそうな席だったが、調理している工程が見られるということもあり、カウンター席にもちょっと惹かれた。
席につくと、テーブルの上には手のひらサイズの小冊子が置かれており、表紙には「セララバアドの旅」と書かれてあった。中を開くと短い物語が綴られていた。


なんでも、物語の内容とコース料理がリンクするような演出が施されているらしい。あとから気付いたのだが、料理だけでなく店内に流れる音楽や空調なども物語に合わせてるようだった。
ちなみに、「セララバアド」というのは宮沢賢治の短編作品に出てくる登場人物の名前だそうだ。店主が宮沢賢治好きらしい。うちの妻も宮沢賢治が好きで、「宮沢賢治が好きな人は宮沢賢治のことを『賢治』って呼ぶんだよ」と教えてくれたが、店主も他のお客さんと話しているときに宮沢賢治のことを「賢治」と言っていた。大島優子ファンの言う、「優子」みたいなものだろうか。

 

で、ここからいよいよコース料理に入る。


1品目「イケバナ ハモン」

枝が出てきた。
これは事前にオモコロ記事を読んでいたので知っていたが、それでも驚いた。
生ハムが巻き付けられた枝と、オリーブの実を食べる。うん、よく分からないけど美味しい。オリーブにも何か手が加えられてるようで、普通のオリーブより美味しかった。

 

2品目「キャラメルポップコーン」

店主から「崩れやすいので、そっと上を持って一口でお願いします」と説明された。液体窒素で周りを固めているらしい。口の中に入れると、外側が崩れて旨味が口の中に広がった。おそらくコーンスープ的な何か。

 

3品目「朝露」

大きな葉っぱの器が出てきた。物語の中に「大きな葉っぱに溜まった朝露」という記述があったので、それを表現しているのだろう。
その葉っぱの上に朝露を模したゼリー状の何かが乗っていた。朝露を飲むように、葉っぱを持ち上げて口元まで転がして運ぶらしい。中身は梅昆布茶とジュンサイ

 

4品目「花蜜」「ペトリコール ゲオスミン」

いよいよ、料理なのかどうかすら怪しくなってきた。実際、覆いがされている石の方は料理ではなかった。店主の説明によると、雨の匂いがするインドの香料が石にかかっているらしい。嗅いでみると、確かに雨の匂いがした。不思議。
花の方は、蜜を吸うものらしい。子供の頃に、つつじやサルビアの蜜を吸った記憶を思い出してほしいとのこと。美味しんぼの『水』料理対決で、至高のメニュー側が朝露が溜まったバラの花を出してきたのをボンヤリ思い出した。

 

5品目

トマト風味のジュレ。4品目で吸った花の花びらを散らしてお食べください、ということだった。オシャレな演出だ。


6品目「夏の高原」

高原を表した器に、白桃とフレッシュチーズ。それにレモングラスのオイルが敷かれていた。と、ここで普通のパンが出てきた。

「パンだ...」と、当たり前の食べ物が出てくることに妙な安心感を覚えた。
まぁ、普通のパンといっても、これもかなりこだわって作られてるようで、何もつけずに食べても十分な旨味が感じられた。一応、あとでパン用にバルサミコ酢的な何かが出てきたが、6品目のオイルに漬けて食べても美味しかった。

 

7品目「海辺」

今まで普通の「皿」が出てくることがほぼなかったが、今回も皿ではなく「箱」が料理の器として出てきた。箱の上には所狭しとシーフードが並んでいる。
料理が運ばれたときに店主が、「右上の巻貝を耳に当てて波の音をお聴きください」と言ってきたので、当ててみると、笑っちゃうぐらい波の音が聞こえた。てっきり、うっすら自然音が聞こえてくる程度かと思ったら、貝の中に何か仕込んでるらしく、バカでかい波の音が聞こえた。
ちなみに、箱の中には小さなボトルメールが入っており、その中に本日のメニューが書かれているとのことで、食べた後に取り出した。

 

8品目「夜海」

器の表面に乗っている網状のものはイカスミで、中にはイカの出汁と一緒に玉ねぎやイカが入っていた。イカスミを崩してスープと一緒に頂く。優しい味。

 

9品目「穴子 雑穀 クレソン」

雑穀とコーンが混ざったリゾットに、良い感じに熱が通された穴子が乗っており、クレソンのソースがかかった一品。穴子はフワフワで、ソースとの相性も抜群だった。

 

10品目「玉手箱」

玉手箱のような器から白い煙がこぼれ出ていた。ホタテを瞬間燻製したものらしい。
正直、私はホタテは苦手なのだが、このホタテは大丈夫だった。旨味が凝縮している感じだった。

 

11品目「和牛 野菜の涙」

メインの和牛料理。和牛も美味しかったが、それ以上に中の野菜が美味しかった。
特にナスがすごくて、後で店長に聞いてみたら「トロなす」という特別なナスらしい。名前の通り、トロけるような触感が格別だった。

 

12品目「ピニャコラーダ」

ラムをベースに、パイナップルジュースとココナッツミルクで作った「ピニャ・コラーダ」というカクテルをイメージしたデザート。私はカクテルに明るくないので、言葉の響き的に「あつまれ!ピニャータ」が思い浮かんだのだが、そういうことを考えてそうな客は周りにいなかった。まぁでも、あとで店主に聞いたらオモコロの記事を見てくる人が、1日に1組ぐらいいるらしいので、そんな人もいるのかもしれない。

 

13品目「檸檬

トゲトゲのメレンゲの中に、レモンのクリームが入ったデザート。

 

14品目「トマト」「蛍」「木漏れ日」

お菓子の盛り合わせ。トマトのマカロン琥珀糖、そして、ガラスの器を持ち上げて下から覗くと、まるで蛍がいるかのように見えるゼリー状の何かである。

 

15品目「線香花火」

コース料理のしめくくりは線香花火。この店の名物らしい。片方は本物の線香花火で、もう片方はパチパチキャンディーが入ったチョコレートが先端に刺さっている。なんとも風情のある品。夏の終わりに食べたい感じ。


とまぁ、こんな感じのコース料理だった。ちなみに、合間合間に料理に合わせたドリンクがついてくる(というか注文必須)のだが、それらも非常にこだわりが感じられた。
特に8品目あたりに出てきたスイカジュースは、中に入っていた氷がハッカ風味で、口の中をサッパリさせてくれた。微に入り細に入り、客を楽しませるギミックに溢れた料理が満載だった。

 

帰り道は、まるで1本の映画を観たあとのように、料理の感想を妻と二人で話しながら帰った。妻は、今回のことを「『食事』というか、『体験』だったね」と表現していた。確かにその通りで、ディナーというよりはアミューズ寄りの何かだった。道すがら、ローソンに立ち寄っておそうさいコーナーを眺めたのだが、先ほどの体験とのギャップというか、見た瞬間に食材の味が想像できることに対して、なんとも言えないおかしさがこみあげてきた。

 

こんな体験をしたい方は、何かの記念に行ってみることをおススメする。食のキャパシティが広がるぞ。

ラジオネームと住所

2つ前の記事で、10年ぶりにラジオ投稿を再開したことについて書いた。
久しぶりに投稿していく中で、「ああ、この感じ懐かしいな」と思うことがいくつかあった。今回はその中の一つ、『ラジオネームの前に住所が読まれる』ことについて書きたいと思う。

 

ラジオ番組には、お便りを読む際に、ラジオネームしか読まない番組と、ラジオネームの前に都道府県名、または市区町村名までを読む番組がある。私は、どちらかというと後者の番組に投稿することが多かった。というより、昔のAMラジオは住所を読む方が主流だった気がする。初めてネタハガキを書いた北海道の番組もそうだったし、学生時代に毎週投稿していたTBSラジオの『コサキンdeワオ!(以下、コサキン)』や『伊集院光 深夜の馬鹿力(以下、馬鹿力)』もそうだった。同じ並びでやっていた『爆笑問題カーボーイ』だけは、リスナー自らが率先して個人情報をバンバン開示する割に、なぜか住所は読まなかった。一番住所を読みそうな番組なのに。
ちなみに、2022年現在、馬鹿力ではリスナーの住所を読んでいない。これは、2005年に施行された個人情報保護法の煽りを受けたことによる影響である。当時の放送では、伊集院さんがフリートークの中でチラッとそのことについて触れており、「これからは、送られてきたネタの住所部分は作家が削除し、ラジオネームとネタだけが伊集院光の手元に送られるようになります」といったことを説明していた。で、その放送あたりから副次的に住所も読まなくなった。この話を聞くと、「じゃあ他の番組もそういう風にしないといけないのでは?」となるのだが、私はラジオ制作に関わる人間ではないので、その辺の内部事情までは分からない。うちはうち、よそはよそ、ということなのだろうか。
別記事のラジオ投稿記にも書いたが、私は馬鹿力への投稿を2003年頃から10年近くやめていたので、そういう意味では、住所を読む番組に最後に投稿してたのは20年近く前ということになる。もう長いこと、自分の住所をラジオから聴くことはなくなっていた。

 

「住所が読まれると何か違うの?」と思われる方がいるかもしれない。実際、聴くだけリスナーの人からすれば、投稿者の住所など露ほどにも気にならないことだろう。しかし、投稿してる側からすると、住所が読まれることで心の動き方が大分変わってくる。
ラジオネームだけ読む番組の場合、即座に自分のネタだと確定するので、「よし、読まれた!」と喜ぶタイミングが早い。これが住所を読む番組の場合、住所が読まれた時点で自分のネタだと確定しないことが、ままある。特に東京都など、番組がネットされていて人口が多い地域に住む人の場合、たいてい自分以外にも読まれる候補者がいる。候補者は皆、さながら競技クイズで確定ポイントを見極めるクイズプレイヤーのごとく、パーソナリティーが読み上げる次の1文字を、張り詰めた緊張感の中で待つのである。かくいう私も、クイズプレイヤーの顔をしながらコーナーを聴いていた時期があった。
あれは個人保護法が施行される前の馬鹿力に出していた頃。高校を卒業して会津大学に通っていた私は、住居を新潟から福島に移していた。当時の馬鹿力は福島県ハガキ職人が多く、ある日の放送中に伊集院さんが「この番組、福島のリスナー多くない?」と言うほどだった。当時、福島の常連リスナーは、私が記憶している限り3人いた。当時の私は全然読まれないC級ハガキ職人だったので、他のお三方の足元にも及ばなかったが、それでも「福島県」という単語が聞こえてくると背筋がピンと伸びた。そのお三方のうちの1人に、当時ネット上でもよく絡ませてもらっていた『ふしだらを声高に』さんという方がいた。この方に関しては、「福島県 ふ」まで私と読まれ方が同じなので、最後まで気が抜けなかった。次の文字が「し」なのか「じ」なのか、耳をダンボにして聴いていた。まぁ読まれるのは8割方ふしだらさんなのだけど。逆に残りの2割に当たったときは、スロットでスリーセブンが揃ったときのような快感を覚えていた。
ちなみに、実家の新潟に住んでいた頃にも、新潟県の常連で『主任運転士』という方がいて、その方が読まれるときもクイズプレイヤーの顔になっていた。最初は「なんでネットしてない新潟でこんなに出してる人がいるんだ!」と思っていたが、「それはお前もだろ」と今になって思う。


逆に、北海道のラジオに投稿していた頃は、新潟は自分だけだった。今のようにradikoもなければインターネットもそこまで普及していない時代だったので、わざわざ本州から北海道のローカル番組にハガキを出す人間は珍しかったのだ。なので、パーソナリティが「続いては、新潟県...」と読み上げると、その時点で自分のネタ確定だった。住所の時点で自分だと分かると、ラジオネームが読まれる前に一呼吸空くので、ほんの少しだけ心の準備ができる。これは県(または市区町村)が一意な人だけに与えられた特権なのだ。で、そういう人が常連になると、住所とセットでその人のラジオネームを覚えるようになる。前述の馬鹿力では「宮城県」「愛知県」「富山県」あたりの住所を聞くと、百人一首の上の句を読み上げられたような感覚になる。ただ、先ほども書いたが、こんなことを覚えるのは、1ネタ1ネタ注意を払ってラジオを聴いているラジオ投稿者だけである。

 

新潟、福島ときて、今は東京都北区に住んでいるのだが、今年の6月頃から投稿するようになった『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』では、やはりというべきか、東京都でかぶる率が高い。加えて、この番組は東京都までしか読まない場合と、区まで読む2パターンがあるので、あまり味わったことのない肩透かしを食らうことが多い。先日、妻から「なんで北区まで読まれるの?」と聞かれたのだが、(市町村以外の)区だけは読むというルールなのかもしれない。ただ、以前の放送で東京都までしか読まれなかったこともあるので、住所を読む基準はけっこう適当な可能性もある。ちなみにこの番組、東京都以外では、群馬や島根の方が意外と(?)送っているようだ。香川は1人だろうか。これだけで誰だか特定できる人は現LFのラジオ投稿者だろう。

 

SNSが広まってからというもの、ラジオ投稿者の人をネット上でたびたび見かけるようになり、存在を確認できるようになった。それより前の時代は、「このラジオネームの人ってほんとに存在するのだろうか?」という気持ちを少なからず抱えながらラジオを聴いていた。ラジオネームというのは無機質なものだ。だが、そこに住所が加わると、とたんに認識が変わってくる。どんなに変なラジオネームの人でも「へぇ。この人、札幌に住んでるんだ」と、少し人間味が出てくるのだ。遠い空の下で、同じ番組を一緒に聴いているんだ、という実感が湧いてくる。そして、その人の住所が急に変わったりすると、「この人、社会人になって東京に出てきたのかな」なんて想像を巡らせたりすることもある。実際、コサキンに投稿していた頃、自分の住所が新潟から福島に変わったタイミングで、小堺さんに「あれ、藤井くん住所変わった?新潟だったよね。一人暮らし始めたのかな?」と気付いてもらえたことがあった。最近だと、東京ポッド許可局で、ファンタスティック原田さんの住所が鳥取県になったことに気付き、「ああ、そういえば原田さん、家庭の事情で地元に帰られたんだったなぁ...」と思いを巡らせたりした。こういう、住所によってつながるラジオ投稿者だけの不思議な連帯感というものが、確実に存在するのである。

 

『ラジオネームと住所』という非常にニッチなテーマで一本書いてみた。世の中には、こういう細かいことに思いを馳せながらラジオを聴いている人間がいることを頭に入れておくと、また違ったラジオの楽しみ方ができるかもしれない。

結婚式の式場見学でメチャクチャ接待された話

最近、ツイッターで「B'zファンの私が結婚式場の下見に行ったら、デザートのお皿にチョコレートで超クオリティの高い稲葉さんのイラストを書いてもらった」といった内容のツイートが話題になっていた。それを見て、自分が式場見学に行ったときの記憶がフラッシュバックしたので、今回はそのときのことを少し書きたいと思う。

かれこれ10年近く前のことになるが、その日のことは今でもよく覚えている。かなりインパクトのある出来事だったので、当時の自分は何があったか全てメモに残していた。
なので、そのメモに書いてある内容と妻の記憶を照らし合わせると、その日の出来事をかなり正確に書き起こすことができるかと思う。あと、ネガティブな意見とも捉えかねない表現が混じっているので、式場の名前は一応伏せる方向で話を進める。

 

あれは、私と妻が結婚式を挙げる1年前のゴールデンウィーク。二人で、式をどこで挙げるか話し合っていた。妻が言うには、以前に参列したイトコの結婚式がタイヘン素晴らしく「自分が結婚するなら絶対この系列の式場が良い!」と、既に心に決めているところがあったようなので、挙式をセッティングしてもらう系列グループは早々に決まり、あとは場所をどこにするかという段になった。色々と検討した結果、全国にあるその系列の式場から、最終的に候補を二か所にまで絞り込んだ。一か所目は栃木で、もう一か所は埼玉。栃木は妻の実家がある県、埼玉はアクセスのしやすさで候補に入れた。

 

最初は栃木の式場に足を運んだのだが、これが非常に辺鄙な場所にあり、パスを乗り継いでいくのも難儀だったため、行きだけは義父に車で送ってもらった。式場の近くまで来ると、これが本当に何も無いところだった。まぁ、そういうところも含めて売りにしてるのかもしれないが(実際、かなり人気の式場らしいし)、式場に到着した時点で、申し訳ないと思いつつも「ここは無いかな...」と心の中でそっと候補から外した。ただ、せっかく申し込んだのだし、埼玉の式場見学の参考程度に、くらいの軽い気持ちで見学に臨んだ。

 

式場の正門前に着くと、担当の男性の方(仮名:田中さん)が、「ようこそお越し下さしました!」と、爽やかな笑顔で私たちを出迎えてくれた。「よろしくお願いします」と、挨拶もそこそこに打ち合わせスペースまで案内されると、机の上に置かれた、伊集院光の顔写真がプリントされたメッセージカードが目に飛び込んできた。見た瞬間、思わず「え!?」と驚いた。田中さんが離席したタイミングで妻に話を聞いたころ、見学を申し込む際に電話口で「伊集院光さんのラジオがきっかけで」と、馴れ初めを話したらしい。これは田中さんと話していく中で知ったことだが、ここのスタッフはサプライズが大好きらしい。そして、とにかく盛り上げたがりな集団なのだそうだ。きっと、友達のためにフラッシュモブをやってあげるのも厭わない人たちなのだろう。おぎやはぎのラジオでいうところの、6組軍団(学年にひとつはある、やたら団結力が強いクラス)である。

サプライズというのは意外とやっかいなものだ。サプライズを受けると、驚きや嬉しさに加えて、むず痒さや恥ずかしさがどうしてもついて回る。特に私のような、光が全く当たらない深海で長く暮らしてきた魚のような人間にとっては、浮袋が口から出てしまいそうになるのを禁じ得ない。ただ、向こうは100%善意でやってくれていることは分かっているので、浮袋が出ないように、全力でサプライズを受け止められるよう心の準備だけはしていた。

 

談笑を交えながら簡単な式場の説明を受けたあと、田中さんからアンケートを頼まれた。趣味だったり、好きな色だったり、好きなアーティストだったり、様々な項目があった。私と妻の共通の好きな人物として伊集院光を書き(好きなタレントの欄がなかったので、アーティストの1人として書いた)、あとは各々、自由に記入した。そこから少し休憩を挟んだあと、田中さんから実際に式場の案内をしてもらった。

 

最初に通されたのは、緑豊かで目にも鮮やかなガーデン。そこから中庭のプールへと誘導された。プールの前につくと、辺りのスピーカーから爆音でグループ魂の『君にジュースを買ってあげる』が流れ始めた。思わず体がビクッとしたが、妻が"好きなアーティスト"の欄にグループ魂を書いたので、そのサプライズだろう、ということに数秒経ってから気付いた。なるほど、あのアンケートはこういう部分につながってくるのか。スーファミの『MOTHER2』で、ゲーム本編を始める前に「好きな食べ物」だったり「かっこいいもの」を入力すると、それが実際に本編で登場する、というシステムをちょっと思い出した。私は好きなアーティストにラルクと書いたので、別の場所でHYDEのソロ曲が流れた。

 

プールから戻ると、式場内のトイレに寄った。すると、トイレの中から、何やら結婚式場には似つかわしくない感じの音楽が聴こえてきた。よくよく聴いてみると、荒川ラップブラザーズの『アナーキー・イン・AK』だった。これにはさすがに吹き出し、思わず心の中で「音源どうしたんだよ!」と突っ込んだ。軽く補足しておくと、荒川ラップブラザーズとは、伊集院光と久保こーじによるユニットである。先ほどのグループ魂とは認知度が天と地ほど違う。こんな短い時間で音源が手に入るはずがないので、おそらくYoutubeから抜いたのだと思うが、それにしたってずいぶんと仕事が早いな、と思った。式場のスタッフが、妻からの電話を受けて『伊集院光』という単語を聞いた時点で、多方面にリサーチをかけたのかもしれないが、なんにせよ驚かされた。結婚式場のトイレで荒川ラップブラザーズを聴いたのは、世界広しといえど私と妻の二人くらいだと思う。

 

トイレから戻ると、次はいよいよ披露宴会場の方へと案内された。田中さんから「どうぞ扉を開けて下さい」と促され扉を開けると、BUMP OF CHICKENの『天体観測』が爆音で流れた。私も妻も、好きなアーティストの欄に書いてなかったので、なぜバンプが流れたのかは謎である(好きは好きだけど)。会場に足を踏み入れると、10人ほどのスタッフが温かい拍手で出迎えてくれた。一番端のスタッフは、写真を拡大して切り抜いて作ったと思われる伊集院光のお面をつけていた。バックに流れているバンプの曲も相まって、かなり謎の空間だった。そして、高砂席の中央に目をやると、伊集院さんと奥さんであるミカさんの結婚式のときの写真が飾られていた。あとで妻に聞いたら、「この演出はちょっと良いな」と思ったらしい。

で、そのまま披露宴会場で美味しいご飯をいただき、最後はもう一度プールの方に出てバルーンリリースをやった。まとまった風船を空に向かって一斉に飛ばすアレである。飛ばすときには「ハッピーウェディング」的な掛け声をするものらしい。飛ばす前に、田中さんから「ここは、ハッピー伊集院光、とかにしますか?」と地獄のような提案をされたので、即座に「いや、普通でいいです!普通で!」と拒否した。

 

ここまでの流れを読んでもらったら方なら分かると思うが、ここのスタッフはちょっと伊集院光を強く押しすぎる傾向にある。二人の共通項なので、そこをできるだけ全面に出したいという気持ちは理解できるものの、そこだけ際立たせて演出されると、小っ恥ずかしいことこの上ない。以前、空気階段のラジオで、鈴木もぐらが、雑誌の撮影のときに「もぐらさんの好きなアーティストだから」と気を遣われて、撮影中にずっと銀杏BOYZを流されたという話をしていた。「こんなモテない男の曲、ずっと聴いてきたの?」と周りから思われてそうという自意識からか、10人ぐらい大人が周りにいる中、オシャレなスタジオに銀杏BOYZが流れてるのがとにかく恥ずかしかったらしい。このエピソードを聞いたとき、式場でもてなされてるときの自分もそんな気持ちだったなぁ、と相通ずるものを感じた。

 

そんなこんな会場を案内してもらい、ようやく元の打ち合わせスペースに戻るのだが、ここからの営業トークがとにかく長かった。まぁ営業トークとはいっても、自分たちのことを本当に考えてくれた上で一番良さそうな提案をしてきてくれるので、「きっとここで式を挙げても素晴らしいものになるんだろうな」とは思ったが、やはり立地的な面を考えたときに、この場所は厳しいと思った。依然として心は埼玉に傾いていた。そんなこちらの思いなど露知らず、松岡修造ばりの熱量を持って営業トークを続ける田中さん。「他に好きな人がいるということを隠した状態で告白を断るときって、こんな気持ちなんだろうな」などと頭の隅で思いながら、時計の針だけが刻々と進んでいった。まぁ、会場を案内してもらって、いろんなサプライズを準備してもらって、美味しい料理を振舞われて、しかもクォーカードまで貰って、それで全て無料というのはさすがに虫が良すぎると思うし、自分が向こうの立場だったらどうにかここに決めてほしいと思うはずだ。それは嫌というほど分かった。ホント、タダより高いものは無いのである。
そしてさらに時間は過ぎ、打ち合わせスペースの上の方に「ふぇーん、もうかえりたいよー(泣)」と書かれた大きなフキダシが出て、そこに私と妻の頭から出た小さな雲が繋がっている、という状態が小一時間ほど続いたのち、「バスの時間がなくなってしまうので」ということで、契約はペンディングということにしてもらった。

 

で、結局、最終的に同じ系列の埼玉の式場に決めたのだが、今でもこの栃木の式場見学のときのことは鮮烈に記憶に残ってる。ある意味、人生において貴重な経験だった。
もし、これから式場見学に行こうと考えている人は、このブログの内容をしっかりと嚙みしめた上で、いろんなもてなしを受ける覚悟を持って臨んだ方がいいか思う。

 

ちなみに、結婚式のときの話は別の記事に書いているので、興味のある方はどうぞ↓

結婚式 - 心と身体の健康だより

またラジオに投稿するようになった話

宣言するほどのことでもないが、またラジオに投稿を始めた。

最後に出したのが2013年なので、約9年ぶりになる。仕事でフリーランスに転身したことや、プライベートで他の趣味に時間を割くようになったこともあり、ラジオに投稿することは正直もうないと思っていた。ラジオ仲間から「もうラジオに出さないの?」と聞かれたときも、恋愛に疲れたOLが「もう恋はしないかな」とこぼすような感じで投稿の終わりを告げていた。

 

しかし、恋というのは突然やってくるものである。それが『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』だった。パーソナリティーをつとめるのは、今や演者としてもテレビで見る機会が多くなった売れっ子テレビプロデューサーの佐久間宣行だ。

私が最初に佐久間さんのことを知ったのはいつだっただろうか。確か『ゴッドタン』の『谷桃子王決定戦』の回で、谷桃子から強制的にステージ上に上げられて一緒にネタをやるくだりがあり、その辺りから存在を意識し始めた。完全に蛇足だが、先日カラオケに行ったとき、LIVE DAMのバーチャルカラオケのリストに谷桃子の名前があって「へぇ、今こんな仕事してるんだ」と、若干の驚きを覚えた。まぁそれはいいとして、当時は佐久間さんのことを一介のテレビスタッフとしか見ていなかったし、名前も顔もボンヤリとしか知らなかった。プロデューサーという肩書きも知らなかった。

そんな佐久間さんのパーソナルな部分を知るキッカケになったのがこの番組だ。初めて聴いたのは、確か1年目の何回目かの放送だったと思う。ツイッターのTLで「佐久間さんのラジオが面白い」という書き込みをよく目にするようになったので、試しに聴いてみることにした。おそらく、これが中途半端に知ってる芸人とかだったら、逆に聴いてなかったと思う。深夜ラジオリスナーというのは、得体のしれないイロモノ系パーソナリティが大好物なのだ。あと、テレビ東京の社員がニッポン放送で話すということにも興味を惹かれた。

最初、独特なガハハ笑いが少し気になったものの、トークは普通に面白かった。それと同時に「裏方の人なのに、よくこれだけ一人喋りできるな〜」と感心した。本人がすごく準備するタイプの人間とのことなので、トークは事前にしっかり練ってから臨んでいるのだと思うが、それでも生放送は緊張もするだろうし、慣れない環境で喋るのは難しいと思うので、かなり肝が据わってる人なんだろうな、と思った。

最初はそんな感じで放送に触れて、それからもたまに聴くようになった。佐久間さんの興味ある分野がけっこう自分とかぶっていたり、番組中に流れる曲が自分の好みと合っていたので、そういう部分も含めてだんだん番組そのものが好きになっていった。あと、佐久間さんがテレ東を退社してフリーになったのと同時期に、自分も当時勤めていた会社をやめてフリーになったので、勝手に佐久間さんに親近感を抱くようになっていた。退社直後の放送で、「確定申告どうしよう」みたいなトークをしてるときは、ラジオの前で「わかるー」と思いながら聴いていた。

 

番組への投稿を意識し始めたのは、割と最近のことだ。
放送内で読まれているネタの温度が今の自分に丁度いいということもあってか、放送を聴いてるときに「あ、これネタにできそうだな」と、不意にネタが思いつくことがよくあった。で、「せっかく思いついたのだから」と、出せないラブレターが溜まっていくかのように、ネタの種が日に日にスマホのメモ帳に増えていった。ちなみに、佐久間さんのラジオ関係なく、普段から気になった単語をメモる習慣自体は前々からある。例えばトイレに入ったとき、『人がいない場合でも水が流れることがあります』といった定型文を無駄にメモったりしている。これは、社会人になって投稿を再開した頃に自然とやり始めたことだ。以前、何かのバラエティを観ていたときに、クイズ作家の矢野さんが、街角で目に止まったものを片っ端からクイズの種としてスマホに書き込んでいくということをしていた。このレベルまではいかないまでも、私もこれに近いことをしている。投稿していないのにこういう事をするのは、部活を辞めても素振りの練習だけは続けている元野球部員のような、思いを断ち切れてない悲壮感のようなものがあるのだが、もう癖になっているのだからしょうがない。

で、そんなネタが溜まっていくメモ帳を見ながら、徐々に「投稿したい」という気持ちが強くなっていった。「よいのか、お主。1度投稿したら、またあの終わりの見えないマラソンが続くのじゃぞ」という投稿の神様(大量のハガキを貼り合わせた衣を纏っている)の声が背後から聞こえたものの、気がついたときには、直近2〜3週の放送で採用されたネタの文字起こしをして、読まれるネタの傾向を分析し始めていた。キーボードを叩きながら、「ああ、もう後戻りはできないな」と思った。

 

最初に投稿したのは今年の6月だった。手前味噌になるが、『深夜の馬鹿力』や『爆笑問題カーボーイ』をはじめとして、今まで色んなラジオ番組で読まれてきた人間なので、「まぁ1〜2週で読まれるだろう」という驕りが少なからず自分の中にあった。それが投稿の神様の逆鱗に触れたのか、最初の一ヶ月はまったく読まれなかった。「え、マジか?」と思った。後になって気づいたことだが、これにはいくつか原因がある。1つめの原因として、毎週やるコーナーをキチンと把握してなかった。これはもう根本的な問題である。

『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』には、『企画書はラブレター』『カンペ』『ラジオチャンピオン』という3つのコーナーがある。
最初、書きやすいということで、特にテーマなどが設けられていない『カンペ』のコーナーをメインに送っていたのだが、よくよく聴いてみると、このコーナーはやる頻度がきわめて低い。3週続けてやらないこともあったりする。むしろ、やる方が珍しいくらいなのだ。やらないのだから、読まれないのも当然である。そういう意味で、『企画書はラブレター』をメインに出す必要があった。こちらはスポンサーである明治とのコラボコーナーになっているので、ゲストが来てコーナーが無くなる場合を除き、必ず毎週やることになっている。

2つ目の原因は、テーマに沿っていないネタが多かったことだ。こちらは『企画書はラブレター』限定の理由になる。
比較対象として丁度いいので、私が9年前に投稿していた『深夜の馬鹿力』を例にとる。カルタコーナーなど、馬鹿力にも1つのテーマに沿ってネタを考えるコーナーは存在するものの、基本的にはオモシロに全振りの姿勢なので、テーマから若干ずれていたとしても割とストライクを取ってくれる。あきらかなボール球でも「球速が200km出てるからOK!」みたいな判定が下されることもあるので、ストライクゾーンが広いというよりは、どこに投げてもOKみたいな自由さがある(逆にいうと、どこに投げるか迷うことがあるのだけど)。あと、球審の気分によってストライクゾーンが大きく変わったりするので、その辺の調整が非常に難しい。
対して、佐久間ANNの『企画書はラブレター』だが、このコーナーはテーマにキチンと沿ったメールでないと絶対に採用されない(何週か送って確信した)。スポンサーとのコラボコーナーということで、ぶっとびすぎたシュールなネタや、下ネタなどもまず読まれない。私もこの辺は理解して送っていたつもりだったが、長きに渡る馬鹿力への投稿によって、投球フォームにだいぶ癖がついていたらしい。カレー勝負なのに、カレー風味のチャーハンを作って「これはカレーです」みたいな感じのネタを割と送っていた。「旨けりゃいいだろ」精神を一旦捨てないとダメだな、と悟った。

あと、これは投稿をするようになって始めて感じたことだが、この番組はトークとリアクションメールが主体で、コーナーはあくまでオマケ程度の位置づけだということだ。これはANN0という番組の時間的制約もあると思う。基本的に必ずやるコーナーは、前述の『企画書はラブレター』と、ジングルで流れる『ラジオチャンピオン』の2つ。『企画書はラブレター』は毎週7〜12通、『ラジオチャンピオン』は毎週2通のメールが読まれる。とすると、だいたい毎週10通程度のネタしか読まれないことになる。これは、今まで自分が投稿してきた番組と比べると格段に少ない。この10通に食い込むのは、なかなか至難の技だなと思った。だが、そう考えると、「この番組だけに集中して送ってるハガキ職人」って、いないとは言わないまでも、けっこう少ないのではないのだろうか。まぁ仮にそうだとしても、採用難易度はそこそこ高そうな気はする。

 

で、これらの分析をもとにネタを調整し、投稿を続けた。

 

そして、7月14日の『カンペ』のコーナーで、晴れて初採用を頂いた。読まれたネタは、投稿を始めた最初の週に送ったネタだったので、1ヶ月遅れでの採用になる。なので、このコーナーに関しては、ネタの方向性は最初から間違っていなかったらしい。
リアタイでは聴けなかったものの、佐久間さんが自分のラジオネームを読み上げて、自分のネタで笑ってくれるのは嬉しかった。あと、ニッポン放送で読まれるのは20年以上ぶりだったので、そういう意味での喜びもあった。ニッポン放送で最後に読まれたのは、確か『GO!GO!7188オールナイトニッポンR』だったかな。ネタを読まれた喜びから、RNてるてるアフロさんよろしく「自分のネタが読まれた部分を何度も何度も聴く」を久しぶりにやった。これをやりながら「radikoに10秒スキップ機能つけてくれよ...」と本気で思った。スキップ機能、普通のリスナー以上に投稿者の需要が高い気がする。

 

1回読まれて調子が出たのか、その後は『企画書はラブレター』のコーナーに2週連続で読まれ、8月17日の放送では2採用&ベスト企画メールに選ばれた。ベスト企画メールに選ばれた回は、翌日を休みにしていたのでリアタイで聴いていたのだが、佐久間さんが「本日のベスト企画メールは..東京都北区 藤井菊一郎」と言った瞬間、周りに妻がいたことも気にせず(なぜか起きてた)、「よし!!」と快哉を叫び、無意識にガッツポーズをしていた。久しぶりに本気で胸がドキドキして体が震えた。なんというか、しばらく忘れていたものを久しぶりに思い出したような感覚だった。ああ、そうだよこれだよ、と。お前、ラジオにメール送るの好きだったじゃん。そんな内なる声が聞こえてきた。後になってから振り返ったとき、自分にとっての「あの夜を覚えてる」のうちの1つが今夜になるだろうな、と思ったりした。

大人になると、感情の表面に薄い膜のようなものができて、本気で喜びを表に出すことが減ってくる。年を重ねるにつれ、その膜はドンドン厚くなっていく。しかし、ラジオで読まれる喜びというのは、そういった膜をも容易く破るパワーを持っていると思っている。15才だろうが60才だろうが、ラジオで読まれると本気で嬉しいのだ。以前、ツイッターにも書いたことだが、ラジオで自分のラジオネームが聴こえてくる喜びというのは、何者にも代え難い脳内麻薬的な快感がある。「1回ラジオで読まれてみな、飛ぶぞ」と言いたい。

 

そんな感じで久しぶりにラジオに投稿する喜びを思い出させてくれたこの番組には、これからもメールを出していきたいと思っている。佐久間さんに名前を覚えてもらえるところまではいきたいかな。
と、最後の方は少し熱くなってしまったので、最後に締めの一曲。槇原敬之で『もう恋なんてしない』

シン・ウルトラマン感想(ネタバレあり)

先週の土曜日、『シン・ウルトラマン』を観てきた。

公開日が金曜だったこともあり、仕事終わりに映画を観てきたという人の感想が早くも自分のTLにポンポン流れてきていた。公開初日の時点でシン・ウルトラマン一色のTLになり、油断するとデカめのネタバレを食らいそうな雰囲気だったので、翌日に予約を取ることにした。1人で観るのもなんだな、と思い、妻に「シン・ウルトラマン、観る?」と聞いたら「面白い?」と聞き返されたので、「シン・ゴジラが面白かったら、たぶん面白い」と言ったら「じゃあ観る」となったので、二人分のチケットを予約した。公開週の土日は満席かなと思ったが、意外とスンナリ予約できた。というか、かなり空いてた。池袋HUMAXシネマズで観たのだが、自分たちの列で他に座ってる人はいなかった。

事前情報によると、シン・ウルトラマン初代ウルトラマンを観ているとより楽しめるとのことらしい。ちなみに、私は全話観ている。これは別にシン・ウルトラマンのためではなく、今年の初めに「無性にウルトラマンが観たい!」と急に思い立ち、円谷プロのサブスクに加入したのだ。最初は、お気に入りのウルトラマンレオだけ観るつもりだったが、せっかくだから最初から観よう、ということで初代から観ていくことにした。初代ウルトラマンは、小学校時代の夏休みによく再放送していたので観てはいたものの、全部は観ていなかったので良い感じに話の補完ができた。

というわけで感想。おもいっきり話の内容を書くので、ネタバレが嫌な人は見ない方がいい。

 

 

まず、最初の1分で心をワシっと掴まれた。オープニングで「シン・ゴジラ」のタイトルが表示され、その後にパーンと赤バックの「シン・ウルトラマン」のタイトル。これはシン・ゴジラと同じ世界観を引き継いでいるというメッセージが込められていると同時に、初代ウルトラマンのオマージュにもなっている。初代ウルトラマンの場合は、「ウルトラQ」から「ウルトラマン」へとクレジットが変わる。つまり、シン・ゴジラの位置付けが、ウルトラマンにとってのウルトラQになるわけだ。ウルトラマンは、ウルトラQよりも、「ヒーローvs怪獣」といった子供向けの分かりやすいコンセプトで作られたものなので、シン・ウルトラマンが小学生にも好評だという話を聞くと頷ける話である。

全体を通して思ったのが、『すごく話のテンポが速い』ということだ。これはおそらく、怪獣・外星人とのシーンをできるだけ詰め込みたかったんだと思う。テンポが早いことで登場人物の心情が読み取りにくい部分があったものの、シン・ウルトラマンを観る人が一番期待するのはそこなので、自分的には特に気にならなかった。ある程度のツッコミどころがあっても許されるのがウルトラマンだと思っている。

ツッコミどころといえば、長澤まさみ演じる浅見弘子のシーンが印象的だった。まず、巨大浅見弘子のシーンだ。メフィラス星人によって巨大化&洗脳された浅見弘子が街を闊歩し、ビルを破壊するシーンがある。これは初代ウルトラマンでも同様のシーンがあるので、ザラブ星人からメフィラス星人の流れで「もしかしたら巨大化するのでは?」と思った人も多いのではないだろうか。禍特対の本部から浅見が消えた時点で、私も「これは巨大化か?」と思った。

それにしても、身体のラインが出るスカートスーツで街を破壊するシーンは一部のフェチな人の心に突き刺さりそうだな、と思った。しかも、蹴り上げるシーンは結構パンツが見えるか見えないかギリギリのラインだったので、途中から特殊なAVを見せられているような気持ちにもなった。実際、一緒に見に行った妻が上映終了直後に発した一言目が「長澤まさみがエロかった」だった。
ちなみに、長澤まさみのシーンでは他にも、「なかなか風呂に入れてない状態の身体の匂いを嗅がれる」「気合を入れるために自分の尻を叩く」といったフェチ性の強いシーンがある。尻を叩くのは何か深い意味があるのかな?と思いながら観ていたが、自分の中では特に意味を見出せなかった。

怪獣、というか外星人ではメフィラス星人が良かった。山本耕史がハマり役で、胡散臭い感じが良く出ていた。人間の姿の状態でメフィラス星人ウルトラマンが居酒屋で話すシーンは非常に日本的で、四畳半のちゃぶ台でウルトラセブンと向かい合うメトロン星人を彷彿とさせた。会計のときの、「割り勘でいいか?ウルトラマン」というセリフは凄く印象的だった。あれは大分狙いにいったセリフだと思う。
ただ、メフィラス星人が本来の姿になったときの造形は個人的に微妙だった。これはメフィラス星人に限らないが、メタリックでスタイリッシュな怪獣のフォルムは、カッコいい半面、特撮の着ぐるみから滲み出る味のようなものが失われてるような気がした。ただ、全部が全部イマイチだったわけでなく、最後の使徒みたいな超巨大ゼットンは、そのスタイリッシュな造形ゆえの不気味さと悍ましさがあり、新しい解釈のゼットンとして良いなぁと思った。

その超巨大ゼットンを倒す流れは、少しだけ初代ウルトラマンの37話「小さな英雄」を想起させた。有岡大貴が演じる滝明久は、初代ウルトラマンでいうところのイデ隊員にあたる。37話の中でイデ隊員は、科学特捜隊の存在意義について考える。ウルトラマンさえいれば、科学特捜隊は必要ないのでは?と。そんなモヤモヤした状況で怪獣と対峙したイデ隊員は「ウルトラマンが今に来るさ...」と、積極的に戦いに参加しようとしない。そんな中、身を挺してイデ隊員を守って死んでいったピグモンの死を見て、自分の考えを改め、自身の開発した兵器で怪獣を倒すという流れだ。
シン・ウルトラマンでも、同じように滝明久が「ウルトラマンがなんとかしてくれますよ」と言い捨てて、自らの役割を放棄するシーンがある。その後、早見あかり演じる船縁由美に諭されて心を改め、なんとかゼットンを倒す手段を考えるのだ。
これはウルトラマン全体を通してのテーマでもあるような気がするが、「地球は人類自らの手で守らなくてはならない」というものが根幹にあり、今回のシン・ウルトラマンでもそれを最後に強く訴えかけていたように思う。

感想としてはこんなものだろうか。初見の妻も楽しめたようなので、深く考えずにエンタメ作品として観るぶんには十分楽しめると思う。

最後に、長澤まさみの脚がもっと観たい方は『都市伝説の女』がおススメだぞ。

今、人生のどの辺を歩いているのか

「今って将来なのかな」と、青臭いことを考えることがたまにある。

けっこう前のCMで、父親が娘に将来の夢を聞いて娘が答えた後に、続けて娘が「パパは将来、何になりたいの?」と聞き返すといった内容のものがあった。CMのテーマとしては、おそらく『年齢で勝手に将来を決めてはいけない』だとか、『大人になっても夢を追い続けよう』みたいなメッセージが含まれていたのだと思う。ただ、これはあくまでCMであって、それほど強い志を持たない私のようなタイプの人間は、ある程度の年齢で将来というものが決まると思っている。

仮に「人生で最後に就く仕事を決めた状態」を将来だと定義してみる。そうすると、特殊なケースを除いて、大体40歳くらいまでには将来に片足を突っ込むことになると思う。人生には「この仕事で一生食っていく」(又は「俺は死んでも働かない」)という踏ん切りをつけなくてはいけないタイミングが必ずどこかにあると思っていて、一般的な転職の限界年齢などを鑑みても、その最終ラインは40歳辺りだと思う。かの孔子も、40歳で人生に迷わなくなった的な発言を残しているので、40歳は人生においての大きなターニングポイントであることは間違いない。安達祐実も40歳だし(関係ない)。

私の場合、仕事の面で大きな変化が訪れることはもう無い気がしている。以前このブログにも書いたが、去年、脱サラしてフリーランスになった。今は某会社の専属みたいな感じで個人契約を結んで働いている。かれこれ2年ほど経つだろうか。ただ、この契約が終わったとしても、おそらく職種自体は定年まで変えずに、プログラマー寄りのシステムエンジニアとして続けていくと思う。「変えず」というか、「変えられず」といった方が正しいか。これは転職活動をしていた頃に悟ったのだが、自分が今までやってきたことを捨てて全く新しいことをやるのは、かなりのエネルギーを必要とする。魔法使いから僧侶にはなれても、魔法使いから剣士になるのは厳しいのだ。「え、今から初期パラメータでやり直すの?」ってなるし。

そんなことを考えると、もう今は自分にとっての将来なのかもしれない。ただ、その反面で、「またこの先どこかで人生の帰路に立たされるときが来るのかな」なんてことを頭の片隅でボンヤリ考えたりもする自分もいる。将来はあと2回変身を残している可能性もあるし、既に最終形態なのかもしれない。『もう将来なのかもしれない運転』を続けながら定年を迎えそうな気がしている。


余談。オーストラリアだかの研究チームによると、人間のDNAに刻まれた自然寿命というのは、本来38年程度らしい。今は医学の進歩とライフスタイルの向上により寿命は延びているが、たかだか100年ほど遡っただけでも平均寿命は40歳代まで下がるので、令和を生きる現代人は最大HPがだいぶ上がったといえる。神より与えられし初期パラメータが38だとしたら、40ってもう限界突破してるのね。