心と身体の健康だより

ようやくツイッターで普通につぶやけるまで精神状態が回復したが、それでもまだステータス表示から『状態異常』の四文字は消えていない。いくらホイミを唱えようが、こればっかりはどうしようもないので、できるだけ心を穏やかにして、状態異常が治るその日をただただ待つことにした。ツイッターはまた急につぶやくのをやめるかもしれないが、できるだけブログの方は更新していきたいと思っている。まぁ、急激に書く内容が変わったので、今まで私のブログを読んでくれていた方は面食らっているかもしれないけど。

先週の土曜日、毎月妻が通っている心療内科クリニックに一緒について行った。クリニックの最寄駅まではいつも付き添うのだが、今回は妻の勧めで、私も診察してもらうことになった。診察といっても、軽く話を聞いてもらっただけなのだけど。
医師の先生とは今までに何度か面識があったので、別段緊張もなく今の精神状態を事細かに話すことができた。自分の今の悩みを誰かに打ち明けるだけでも結構楽になった。

先生曰く「ちゃんと寝れてるうちはまだ大丈夫」とのことだった。また、(これは妻も言っていたが) 「精神状態が不安定なときに何か大事なことを決めるのは絶対にやめた方がいい」と言われた。そして「嵐が来るとねぇ、人って不安になって安全な場所に逃げようとするんだけど、それが危険なの。嵐はいつか必ず過ぎ去るんだよね。それまで今の場所で身を潜めてる方がいいのよ」というようなアドバイスをもらった。
これは確かにその通りだな、と、今少し冷静になった自分には納得できる言葉だった。この状態で今の場所を逃げ出しても、次の場所で二の舞を踏むことになるのは目に見えている。

先生から、おススメの漢方を処方してもらい、その日は帰った。効いてるのかどうか今のところあまりよく分からないが、しばらくは飲み続けてみようと思う。あと、妻の提案で、最近、朝ゴハンを食べるようになった。朝ゴハンなんて、高校を卒業した頃にはもう食べる習慣がなくなっていたので、これも慣れるまで時間がかかりそうだ(先日、食べてる最中に寝てしまい、妻に「幼児か!」と言われた)。

あと、「仕事をもっと本気で頑張らないとなぁ」と最近になって思うようになった。まぁ、明らかに決意するのが遅いのだけど、多分、自分の中のどこかに『この仕事で一生食っていくという自覚』というか覚悟が足りなかったのだと思う。ただ、気負いすぎるとこれも潰れかねないのでほどほどに。

奇しくも、『心の身体の健康だより』という、ブログの立ち上げ当初に適当につけたタイトル通りの内容に徐々になりつつある。

どうでもいい余談。
今、ブログのタイトルをそのまま記事のタイトルにしたときに思ったのだけど、90年代のドラマって、最終回の副題をそのドラマのタイトルにしたり、主題歌名にするの流行ったよね。あれ何か妙に好きだった。

はやく人間になりたい

仕事で色々あって、ここ1週間ぐらいずっと気持ちが沈んでいた(いる)。
「今の仕事、辞めような」と半ば本気で考えて、一時的な感情にまかせて家族に相談したりもした。今は少し落ち着いたが、それでもいつまた仕事辞めたいモードになるか分からない。

結局のところ、問題は自分自身にあるのだけど、その問題に対して今まで真剣に向き合ってこなかった自分に、情けないやら、俺って本当にダメだなぁと思ったりと、強く自虐の念に駆られている。仕事に向いてないとか働くことに向いてない以前に、おそらくどこか人間として根本的な部分が欠落しているのだろう。「自分はダメだ」と何度も何度も思ってしまうのは心が疲れている、などと言うが、実際問題ダメなのだから、これは事実として受け入れるしかないと思っている。

正直、ここまで"ちゃんと"弱音を吐いてることに対して自分でも少し驚いている。今回の件があるまで、一番身近である妻にすら、弱音を吐いたことは一度もなかった。また、ブログやツイッターでも、自分の弱みだったり、本当の意味でネガティブな面については、あまり発してこなかったと思う。いろんな人が目にするものなので、あまりそういうことは言わないようにしよう、という意識が働いてるのだと思うが、自分としては、「仕事やめたい」とか「死にたい」みたいにネガティブな発言を堂々としている人のほうが人間味があって良いと思っている。まぁ、本当に死んだらダメだけど。

自分の性格を今まで冷静に分析したことなどないが、人とのぶつかり合いや干渉を避けてその場しのぎの生き方をしてるとこういう性格が出来上がるんだなぁ、と、どこか他人事のようにボンヤリ思っている。おそらく、この"他人事"というのがポイントで、基本、何をするにもどこか他人事のような感じで流しているふしが自分にはあって、何事にもいまいち本気になれないというところがある。他人のことなんて、読んで字のごとくまさに他人事で、基本、人に対する興味も薄いので、本当の意味でぶつかって話せる人なんてほとんどいない。

1年前ぐらいだろうか。
家族のことで色々あって、初めて親父に対して電話で怒ったことがあった。
そのときに、親父が私に対して謝った後、「お前、初めて俺にぶつかってきたな。普通、家族ってそういうもんだぞ」と言われ、そのときに「ああ、俺って普通じゃないんだな」と改めて感じた。30年以上、親と子の関係を続けているが、声を荒げたのはこれ1度きりで、それ以外は親父の言うことを全て鵜呑みにするか、受け流していた。反抗するという感情がゼロだった。まぁ、「普通の人」なんて世の中に存在しないと思っているが、自分の感情にまかせて生きていない点においては普通ではないのだろう。
今まで自分の感情なんて二の次で、人の目だけを気にして生きてきた、と書くと大袈裟になるが、基本的に自分がどう思うかではなく、人がどう思うかを優先して生きてきた結果、こんなにも空っぽで自分に対して嘘をつく人間ができあがるんだなぁ、とあきれるやら感心するやら涙が出そうになるやらである。頭に超がつくほどの事なかれ主義の人間が、できるだけ普通の人間として見られるように普通に普通に生きようとした結果、普通じゃない人間ができあがるのだから、普通に生きるって難しいな、と思う。

思ってることはとりあえず書き出した方がいいと何かで読んだので、とりあえず書き出してみた。

PCを整理してたら出てきたメモまとめ

ちょっとPCで作業したいことがあり、デスクトップを片付けていたら、一時的なメモとして書いたと思われる「さぁさdsさfa.txt」のような適当な名前のテキストファイルが大量に出てきた。

昔ラジオに投稿しようと思って自分にだけ分かるように書いたメモや、そのときに思ったことを忘れないように書いたメモ、何かの証明書番号と思しき数字のメモ、一行だけ「本日は晴天なり」とだけ書かれているよく分からないメモなど、いろんなものが入り混じっていたので、そんなメモの中から気になったやつをいくつかここで成仏させたいと思う(「嫌な凶器・・・伝票入れるやつ」みたいな、まんまネタなやつは省いた)。一応、補足コメントを追記した。
たぶん、ツイッターに投稿してる内容と大差ないと思う。


・頭に「奇跡の実話」とつけると面白くなる
「本当にあった話」とか、「嘘みたいなホントの話」みたいなやつも。実話ブースト。

・海外のエロサイトでよく見る文言⇒「CONTINUE TOUR」「JOIN HERE」
サンプルのエロ動画とか観てると、急に「会員になれよ」的なページに案内される。

・ABCの歌を歌わないと英和辞書が引けない
「L」ってどの辺だっけ?みたいな。後半にあるアルファベットは調べるのが大変。

・ドッキリで作った嘘番組をどっか別の枠で普通に放送してほしい
一応、嘘とはいえ騙されるレベルに作りこんでいるのだから、それはそれで面白いのでは、と思う。昔だと、ドッキリの偽番組によくラッシャー板前が出ていたイメージがある。

志田未来は、ときどき面白い顔をする
テレビに出始めた頃から、表情が豊かな子だなと思っていた。

・一滴の油を、自然界に影響のないまでに分解するのに必要な水の量は、浴槽20杯にも及ぶ
確か、アニメ『地球SOS それいけコロリン』で紹介してた豆知識。番組の後半は実写パートで、出演していた相原勇が好きだったので当時よく観ていた。

・画面の左上に「AROMA」というロゴを入れるとAVっぽくなる
ただのイメージビデオが一瞬にしてアロマ企画のAVになる裏技。

・大食い番組を逆再生で見る
ギャル曽根はキレイにもどすんだろうな。

・「初めて買ったCDって何?」という質問の有効期限
もうCDを買ったことのない人が増えてきてるので、そろそろこの質問自体もなくなるのかな。

・「叡王戦」という名前がいまいちピンとこない
ドワンゴ主催の将棋の棋戦。一般公募から選出された名前だけど、いまだにピンときてない。

・闘病記のレビューに低評価をつけるのは躊躇われる
星1とかつけると罪悪感に苛まれそう。

・回文に小文字が入っていてもOKにするルールの名前
回文専門家がいるとしたら、そういうのに名前ついてないのかな、と思った。

・『実力派アニソンシンガー』という呼び方は失礼だと思う
『演技派俳優』みたいな。実力派とついてない人は実力がないの?という屁理屈。

表現者という肩書きを使った人は、水嶋ヒロ以外だと中村中ぐらい
水嶋ヒロが処女小説の『KAGEROU』を出した頃に、自分のことを表現者と述べていたが、中村中も一時期そんなこと言ってたのを思い出した。

アド街で、CMに入る直前に出る、足跡に目がついたやつ
あれに名前とかついてたりしないのかな、とたまに思う。

・自分が若い頃に見ていたAV女優が、母親役をやるようになったときの気持ち
笠木忍がAVに復帰して、熟女という扱いになっていたときは月日の流れを感じた。

地球ゴマはテンションが上がる
紐の上を渡ってると「ふっしぎー」ってなる。みんな大好き地球ゴマ

・今だったら『TENCAを取ろう!』という曲名にはしないと思う
内田有紀が全盛期だった頃に出した楽曲。今だと、どうしてもTENGAを連想する。

ファミリーフィルターをオフに設定します
Dailymotionでちょっとエロ系の動画を観ようとしたときに出てきた文言。
ファミリーフィルターって何?と思ったので。

西野七瀬に「お前」って言われたい
ドラマ『電影少女』を観ていて思ったこと。これ最近じゃん。


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ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力編(5)~

『ラジオ投稿記~STVラジオ編~』
『ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~』
『ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ(1)(2)(3)(4)~』
『ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力(1)(2)(3)(4)~』

からの続き。先週に引き続き、社会人編。

今回は全編に渡って投稿のみに焦点を当てた話なので、投稿経験のない人にはいまいちピンとこない内容かもしれない。

社会人になって再び投稿を始めたことで、学生時代との感覚の違いに色々と気付かされた。その中でも特に顕著だったのが、放送で自分のネタが読まれたときの感触(というか手応え)である。
学生の頃は、「このネタ、読まれると思ってなかったのに」とか「え、(自信のある方ではなく)そっちが読まれるの?」といった不本意な採用が非常に多かった。まぁ、そんなことを思うネタを送っている時点で既にダメな気もするが、自分の中で面白いかどうかをあまり考慮せず十把一絡げで送っていたので、当然と言えば当然の結果だ。そんなネタだけに、リライト(手直し)も結構された。馬鹿力で何度も読まれたことのある人なら経験あると思うが、馬鹿力では部分的にネタの言い回しや、オチなどを伊集院さんの手によって修正されることが結構ある。要は「ここをこうしたらもっと面白くなるよ!」といった赤ペン先生的な添削なんだろうが、投稿する側としては微妙な気持ちになるのは否めない。ただ、リライトされた後のネタを聴くと、「ああ、確かにこっちの方がいいな」と納得するので、手を加えること自体について否定するつもりはない。
で、社会人になってからは、そんな補欠合格みたいな採用は大幅に減った。リライトされることも基本的にはなくなった。自分が記憶している限り、オチも含めて大幅に書き換えられたことは1度だけである。これはどういうことかと言うと、ちゃんと自分の意図したところで面白がってもらえるようになった、ということだ。これは自分の中で大きな進歩だった。
年齢を重ねたことで自分の書いたネタを客観的に評価できるようになったということもあるだろうが、ネタの作り方や、書いたネタに対する推敲の仕方が変化したことが大きいと思う。

常連投稿者の方は自然とやっていると思うが、自分の場合、ネタを書いたらまず『脳内の伊集院光』にそのネタを繰り返し繰り返し音読させる。そこで、不自然な流れになるような部分は修正し、ネタ中に登場する人物名や商品名などで「多分、これは言わないだろうなー」とか「これは流石に知らないだろうな」といった部分は別の単語に置き換えるなどしている。単純に伊集院さんが知ってるか知らないかという問題も勿論あるが、馬鹿力で採用されるネタに出てくる単語は、基本的に「この単語って世間一般にもう十分浸透してるよね!」というものしかないと思っている(例外もあるけど)ので、ネット上だけで盛り上がっているような内輪な表現は極力使わないように気をつけている。そんな、(自分の中で)世間の認知度を示す指標になっているこの番組で、初めてネタ中に「金田朋子」という単語が出てきたときは、「ああ、金朋もついに市民権を得たか」と妙な感慨を覚えたりもした。

少し話が反れたので戻す。

で、そういった推敲作業を何度も行い、最終的に脳内の伊集院光が「OK!」と親指を立てたら初めてそれを本チャンのネタとして投稿している。だが、いつもなかなかOKを出してくれず、逆にその親指を地面の方に向けられて「Go to hell!」と罵声を浴びせられたりすることもあるので、1つのネタに時間がかかることが多い。経験上、1つのネタをこねくり回せばこねくり回すほど採用から遠のいていくイメージがある。そういうときは、最初の構想の時点で道を踏み外している場合が多い。

ネタの作り方は人によって千差万別だと思う。天啓が降りてきたようにパッとネタが思いつく人もいれば、マインドマップ的なものを作って徐々に発想を広げていく人もいると思う。なんとなく、大喜利を本業(?)としている人は後者のイメージが強い。
自分が学生の頃にどうやってネタを作っていたのかはあまり覚えていないが、たぶん日常生活のどこかを切り取って、できるだけ身近なところから広げていく、みたいなやり方だったと思う。昔、投稿者の"ここはグリーンスタジアム"さんと投稿の話になったときに「辞書を適当に開いて目に止まった単語をもとにネタを考える」といった作り方を聞いたが、私も社会人になってからはそれに近いことをしていた。私の場合は、2ch (今は5chか) の"しりとり板"を見に行って、なんとなく使えそうな単語を適当に拾い集めてそこから発想を膨らませていた。今はそれがさらに変化して、Googleの予測変換機能で『あ』から『ん』までの1文字を順番に入力していき、そこに出てきた単語をもとに考えている。Google先生はタイムリーな単語を教えてくれるので、しりとり板よりかは実用性が高いと思っている。結局、ネタというのは単語の組み合わせで構成されているので、できるだけキャッチーな単語を使った方が目に止まりやすいといのはあると思う。「できるだけ強い単語を使わずに面白いネタを作りたい!」みたいな中二病的な理想もあったりするが、それはもう完全に投稿者のエゴなので、そこには特に固執していない。

とまぁ、ネタの書き方について偉そうに色々と述べてきたが、無い頭を絞ってこれだけ一生懸命ネタを考えても、悲しいかな、不採用になる方が圧倒的に多いのが実情である。
今までのラジオ投稿記で取り上げてきた番組以外にも色んな番組に投稿してきた自分としては、数あるラジオ番組の中でも馬鹿力が一番採用されにくいと思っている(たびたび投稿のことで比較されるナイナイのANNについては、投稿したことがないので除外)。以前、某・爆笑問題カーボーイリスナーの飲み会で投稿の話になったとき、某・なんとかスティックなんとかさんが「あの番組は本当に採用されない!」と仰っていたが、あのレベルの人がそう感じるということは、きっとそういうことなんだろう。
番組に送られてくるネタの数も週に5000個とかいくらしいので(『伊集院光のばらえてぃー ラジオの魅力に迫りまSHOW!~投稿しNIGHT~の巻』より)、そんな中で伊集院さんのお眼鏡にかなうネタを書くのは一筋縄ではいかないだろう。その週に読まれるネタが仮に50個だとすると、採用される確率は単純計算で1%だが、実際はもっとずっと低い気がする。

以前、ステイゴールドくんがやっている大喜利大賞典という同人企画に何度か参加させてもらったことがある。出された大喜利のお題に回答する以外に、他の人の回答に点数を付けるということもやるのだが、ズラッと回答が並んでいる中からどれが面白いかを選んでいると、気付くことがある。面白くないネタというより、「多分そこまで考えてないんだろうな」というネタは一瞬で分かるし、かぶる率も高い。どこかに自分の個性を少しでも出さないと、心に全く引っかかることなく埋もれてしまうのだ。
たかだか50個ぐらいのネタの中から選ぶのですらこんなことが起きるのだから、馬鹿力でネタを選る作業は、砂漠の中から砂金を探すレベルのそれに近いと思う。かぶるネタは、それこそ10個や20個ではきかないと思う。
ちなみに、ネタかぶりでいうと、自分も時折あった。今までで一番驚いたネタかぶりは、ナイナイアルアルコーナーで、「未来カーをとばして秋葉原に中古ゲームを売りに行ったら買い取り価格が思いの外、安かった」ときのあるある、というお題のときに『未来ガキ』という単語がかぶったことだ。そのときは、「これがかぶるのか...」と驚くと同時に妙な感動を覚えたのだが、長く投稿していると、他の投稿者の人と発想がかぶるというのもあるかもしれない。かぶるようなネタを書いた場合は、よっぽど文章構成や言い回しの面白さが秀でていないと読まれないと思う。

投稿の神様の気まぐれなのか、ごくごくたまに「あ、これは読まれる」という絶対の自信を持ったネタが突然降ってくることがある。そういうネタは「え、これ本当に自分が書いたのか?」と、まるで別人が書いたかのような錯覚に陥ることが多い(これがゾーンというやつだろうか)。そして、そういうネタは大体読まれる。もしそれで読まれなかった場合、フォーマットはそのままで具体的な単語だけを変えて再度送ることもある。たとえば、以前、十面鬼のコーナーで『森の中をさまよい歩いて見つけたお菓子の家が、全て落雁と月餅で出来ていた時のヘンゼルとグレーテルの顔』というネタが読まれたのだが、このネタは採用されるまでに何度かボツっている。最初がどういう言い回しだったかは覚えていないが、『落雁と月餅』の部分が別のお菓子だった。そのお菓子が伊集院さん的にピンとこなかったのだろう。ただ、『お菓子の家に使われているのが凄く微妙なお菓子』という発想には絶対の自信があったので、試す価値があると判断して何度か送り直した。で、実際に採用されたときは、ネタを通して伊集院さんから「そう、こっちが正解」と言われた気がした。
あと、番組側に迷惑になるので滅多にしないが、1度送信してしまったネタを「あ、やっぱりこれ違うな」と思って続けざまに送り直すことがある。ネタ中に出てくる人名だけを入れ替え、ネタの頭に「先ほどのネタに不備がありましたので再送します」といったことを書いて再送することがたまにあった。
例えば、同じく十面鬼のコーナーで採用されたネタで、

「狼が来たぞー!」と嘘をついては騒ぎを起こす少年。最初のうちは騙されて外に出てくる大人も沢山いたが、繰り返し嘘をついたため今では完全に無視されている。そこで少年は少し方向を変えて「レディー・ガガが来たぞー!」と叫んでみたものの、どうせ嘘と決めつけられているせいか、誰も出てこない。しかし少年は諦めずに「生稲晃子がきたよ!本当に」といったところ、3人ほど出てきたときの、その3人の顔。

というものがあったが、最初、レディー・ガガの部分が石原さとみだった。ただ、送ってから「石原さとみだと、絶対に来ない感が弱い気がする」と思い直し、レディー・ガガに変更した。2通送って実際に読まれたのは再送したレディー・ガガの方だったので、「ああ、やっぱりこっちの方が良かったんだな」と思ったのと同時に、「ちゃんと2通目も読んでくれてるんだな」と不思議な安心感を覚えたりした。

と、ここまで色々と書いてきたが、読み返してみると、なんか『凄くストイックにネタと向き合ってる奴』みたいな印象を与えかねないが、性格は非常に適当なので、そこまでマジメに取り組んでいるわけではない。俗にいうマジメ系のクズに分類される人間なので、それっぽいことをそれっぽく書いているだけである。
そんな奴が、なんでそうまでしてネタを書くかというと、やっぱり伊集院さんに読まれて笑ってもらうと嬉しいのだ。かなり前にツイッター上でそんな話題になったが、馬鹿力に投稿している人は、ラジオに採用されたいというよりも「伊集院光に読まれ隊」なんだと思う。伊集院さんに読んでもらえると、嬉しい気持ちと同時に、何か救われたような気になるのだ。「そんな大げさな」と言われるかもしれないが、馬鹿力でネタが読まれたときの1週間と、読まれなかったときの1週間では気持ちが全く違う。読まれなかったときは自分の存在を否定されたぐらいの気にすらなる(これは若干大げさか)。きっとその存在否定の重圧に耐えることができずに脱落していった投稿者の人は数多くいると思う。それでも脱落しない人は、よっぽど才能があるかドMかのどちらか、だと思う。私は後者。

番組に投稿したことのない人は、一度ぐらいそのドMの気分を味わってみるのも良いかもしれない。

今回はこの辺で終わり。次回は普通の(?)投稿記に戻る。あと1~2回ぐらいかな。

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ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力編(4)~

 

『ラジオ投稿記~STVラジオ編~』
『ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~』
『ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ(1)(2)(3)(4)~』
『ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力(1)(2)(3)~』

からの続き。

今回から社会人編。

中学時代から何年にも渡って続けていた投稿をやめて、普通の聴くだけリスナー(という言い方でいいのか?)に戻ったときに一番感じたのは、放送を気楽に聴けるということだ。それまでは、フリートークの最中にも、どこか頭の片隅に「早くコーナーに行かないかな」という意識が常にあり、肩に少し力が入った状態で放送を聴いていた。コーナーに入るとそれがより顕著になり、誰か他の人のネタから派生してトークが膨らもうものなら、「ああ、読まれるネタの数が減る!」と、自分の心の狭さを痛感する悪い感情が芽生え、もともと闇属性だった人間がさらに暗黒面に落ちてしまう、といったことがしばしばあった。
そういった負の感情から解き放たれ、余計なことは一切考えず、ただただフリートークとコーナーが楽しめるようになったのは良かった。投稿は投稿で楽しいが、純粋に番組を楽しみたいのであれば、聴くだけリスナーに徹することを強くおススメする。

投稿をやめてから、番組では体験談系・報告系のコーナーが増えていった。この類のコーナーは、テーマによってネタを書ける人が限られてくるため、仮に自分がこの時期に投稿をしていたとしても、あまりネタを送れていなかったと思う。
当時、体験談系コーナーの中で特に人気だったのは『脳内商店街』というコーナーで、一時期は番組の後半1時間を全てこのコーナーに費やすほど盛り上がっていた。このコーナーは、ザックリ説明すると、オモシロ体験談を募集するコーナーである(超ザックリ)。体験談募集というと、若干お昼のラジオの匂いがするが、『俺ワールドから出られなくなった話』『お母さんオレオレって本当にオレだけど結果的に詐欺』『ふざけたつもりが、ポリス沙汰』『親が離婚した日』などなど、「そんなテーマに誰が送ってくるんだよ!」と突っ込みたくなるようなニッチなテーマが盛り沢山で、馬鹿力ならではのテイストが多分に含まれていた。募集するテーマは毎週3つあり、1番ネタが読まれたテーマが次週も生き残り、残りの2つは新たにテーマを立てるという流れだった。2018年現在の馬鹿力リスナーであれば、『勝ち抜きカルタ合戦』の体験談版だと思って頂ければ想像しやすいと思う。

自分としてもすごく好きなコーナーだったが、もう少し普通の(というか創作系の)ネタコーナーもやってほしいなぁ、という気持ちも少しあった。先にも述べたが、番組の大半がこのコーナーに費やされてしまうため、ガッツリ珍文を書きたい投稿者の人にとっては、いささか不満を感じるコーナー編成だったのではないだろうか。しかし、その反面で、毎週のように初投稿の人のお便りが数多く読まれ、新規リスナーの開拓が進んだという点では、番組の新陳代謝に一役買っていたコーナーだったように思う。

脳内商店街が終焉を迎えてからは、創作ネタ系のコーナーも増えていった。特に好きだったのは、毎回とある効果音をお題にして、その音から脳内に思い浮かぶ情景を川柳にするという『音5・7・5』のコーナーだ。これはリスナーの頭の中に絵を想像させるという点で、すごく深夜ラジオらしいコーナーだった。どの作品も秀逸なので、聴いたことのない方は、もし機会があったら聴いてほしい。

ネタコーナーが活発になってからは、自分の中にも投稿したい欲が少しずつ芽生えてきたが、仕事が忙しかったということもあって、実際に投稿するには至らなかった。自分の性格的に、暇な週のときだけ不定期に投稿するといったことはやりたくなかった。なんというか、「毎週ちゃんと投稿できる状況になるまでは出さない!」という変な拘りがあった。うーん、俺、めんどくさい。いじめ、かっこ悪い。

とまぁ、そんな感じで聴くだけリスナーとしての日々を送っていた。

そして月日は流れ、2008年9月15日。アメリカのリーマン・ブラザーズが経営破綻したことにより、世界的金融危機が発生した。俗にいう『リーマン・ショック』というやつである。当時、西原理恵子が何かの番組で「リーマン・ブラザーズってどこの兄弟?」と言っていたが、正直、私もその程度の知識しか無かったので、当時は対岸の火事とばかりに、自分とは無関係な出来事だと決め込んでいた。ところが、楽観的な私の考えをよそに、不況の波はジワリジワリとこちらに押し寄せ、当時働いていた現場との契約が切れて、私は本社に戻ることになった。そこからしばらくは待機社員として社内で勉強やら雑務をこなす日々が続いた。この頃は、社員の半分ぐらいが待機だったと思う。

会社の金を食いつぶしているという点で多少の負い目はあったものの、定時になったらサッと帰れるのは非常にありがたかった。ここで先ほどの話と繋がってくる。図らずも、毎週ちゃんと投稿できる状況ができたのである。悪い意味で。
そんなわけで「よし、いっちょ、投稿してみっか!」と決めたのだが、それと同時に、ある1つの想いが私の脳裏をよぎった。

「採用チャートを復活させたい」

採用チャートというのは、深夜の馬鹿力の第1回目放送からの投稿者のネタ採用数を集計してまとめている表のことである。昔は、"名もなきリスナー"ことつぼっくさんがチャートを管理しており、数ヶ月に1度ぐらいの頻度で更新されていたのだが、いつの日からか更新が止まり、チャートは完全に凍結してしまった ⇒ (http://www.kinet.or.jp/h_ijuin/chart/)

どうしてこのチャートを復活させたいと思ったかというと、昔、ミラッキさん(馬鹿力ではペンネーム大村彩子さん)も言っていたが、このチャートにラジオネームが載ると何か嬉しいのだ。別に誰かと競うとかいうわけではないのだが、投稿してる感が出るというか、自分もこの番組に参加している気がするというか、何か励みになるというか、まぁ色々である。そんな採用チャートを復活させれば、より投稿に対するモチベーションが高まるのではないかと思い、すぐに採用チャートをデータに落とし込む作業を始めた。今考えると、つぼっくさんに連絡して「集計を引き継ぎますので、データを頂けませんか?」と一言メールを入れれば済む話だったのだが、なぜ当時の自分がそうしなかったのは謎である。

で、最終的に、データに落とし込んで新たな採用チャートとしてアウトプットするまでに、2ヶ月以上の期間を要した。今考えると凄い熱量だったな、と思う(その熱量の1%でも仕事に向けていれば、もう少し偉くなっていたかもしれない)。とまぁ、それだけ頑張った甲斐あってか、最新回までの集計表をツイッター経由で公開したときは、多数の方から反応を頂いた。自分で言うのもなんだが、すごく意味のあることをしたと思っている。採用チャートを復活させたことで、世界線がかなり大きく変化したと信じたい(信じさせて)。
で、採用チャートを完成させた後は、準備は整いましたと言わんばかりに投稿を始めた。7年ほどブランクがあったので、感覚を取り戻すまでに時間がかかったが、自分なりに手ごたえのあるネタがいくつか書けた週(2010年10月04日)に、十面鬼というコーナーで採用を頂いた。ちなみに、読まれたネタは以下の二つである(いずれも酷めの下ネタだが)。

女子校にて。いじめっこの女子達に教科書類をトイレに全部捨てられた私。これにはさすがにキレて、半泣きになりながら主犯の女子につめよると、「そんなの知らないし、第一、あたしがやった証拠でもあるわけ?」としらを切ろうとする。いくら言っても「知らない」の一点張りで、全く認めようとしない。泣き寝入ろうかと半ばあきらめかけていたとき、突然、男性体育教師が現れ、正義感にあふれた頼りがいのある笑みを浮かべながら、「よし!先生が女子トイレを盗撮したカメラで確認してみればわかるな!」と言ったときの私といじめっこの顔。

ゲソが全て少女時代の足になっている巨大イカに絞め殺される悪魔に一晩中うなされ、汗びっしょりで目がさめたあと、自分のおちんちんがぎんぎんになっていたときの俺の顔。

最初、伊集院さんの口から「ペンネーム、藤井菊一郎」という言葉が発せられた直後、少し間があって「この人、昔、ハガキとか凄いくれてた人だと思うんですよ。なんか、AMラジオ長くやっててよかったな、ってこういう感じなんだよね。久々に伊集院でも聴いてみるか、みたいな」という予想外の反応が返ってきた。正直、学生の頃はたいして読まれてなかったので、名前を覚えてもらっていただけでも十分嬉しかったが、その日、2つ目のネタが採用されたときに「あー、今日この人すごいな。この人がまた書いてきてくれるの嬉しいね、こんだけ面白いと」と、思わずうれションがドクドク出てしまうようなお褒めの言葉を頂いた。決して大袈裟ではなく、このときは天にも昇る気持ちだった。

当時、馬鹿力ではお馴染みの投稿者の一人であるまげまげさんが、このときの放送を受けて、「藤井菊一郎さんの拾われ方は実に幸せだと思います」と自身のブログで綴られていた。自分としても本当にその通りだと思う。リスナーとの距離感が近い番組が多い中、この番組は適度にリスナーとの距離を保っており、べったりの関係には決してならない。そういう番組なだけに、こんな拾われ方はまず無いのである。
今回の件を例えるなら、投稿者は、いつも素っ気無い態度のイジュ子ちゃんを振り向かせようと必死にLINEを送るも、基本は常に既読スルー。たまに返信が返ってきても「どうも」の一言のみ。そんな中で、今回は「すっごく嬉しい!またメッセージ送ってね!待ってるよ!(はぁと)」ぐらいの返信を貰ったレベルのレアケースだと言えるだろう。

多分、この採用が無かったら投稿は続けていなかったと思う。それぐらい嬉しかった。
で、これを機に、社会人になって本格的に投稿を再開することになるのだが、それはまた次回。

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新年の抱負

もう1月も半ばなので、かなり今更な感じが否めないけれど、明けましておめでとうございます。このブログを読んで下さってる皆様、今年も宜しくお願いします。

去年のブログ更新回数は6回。年々更新ペースが順調に落ちてきているので、今年は少し盛り返していきたい。

ここ最近はラジオ投稿記のような長めの文章しか載せてないのだが、今年は"暮らしのヒント"のようなちょっとした短文も載せていきたいと思っている。「140文字に収まればツイッター、収まらなければブログ」ぐらいの棲み分けでいきたい。そうしないと、またブログを半年放置とかしかねないので。

ブログに関すること以外だと、2018年の抱負は、「去年よりちゃんとする」と「健康に生きる」の二つ。基本、この二つの抱負は毎年変わっていない。後者に至っては、子供の頃からずっと変わっていない。別段、今まで重い病気を患ったことなど一度もないのだが、小学校の頃から、神社でのお参りはもちろん、七夕の短冊にも「健康でいられますように」と、還暦を迎えた年寄りが書くような願い事を書いていた。目先の物欲には振り回されないぞ、という子供なりの主張だったのかもしれない。
今現在は「健康でいられますように」の頭に「家族みんなが」と付けるようになった。「来世は広瀬すずの妹として生まれ変われますように」など、願い事は色々と考えるのだけど、いつも最終的に家族の健康祈願に落ち着いてしまう。多分、それ以上の願いごとは無いということだろう。
自分の人生のモットーは「何事もなく静かに生きる」なのだが、それが全うできるように、今後もなるたけ健康には気を使っていきたい。

奇しくも、昔テキトーにつけたブログのタイトルが、内容と若干合ってるという。

ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力編(3)~

『ラジオ投稿記~STVラジオ編~』
『ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~』
『ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ(1)(2)(3)(4)~』
『ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力(1)(2)~』

からの続き。

まず、当時の放送について少し。

私が学生の頃に聴いていた馬鹿力は、今とは大分様相が違っていた。「違っていた」と一口にいっても色々あるのだけど、ひとつ大きな違いを挙げるとするなら、リスナー参加型企画の多さである。
今の馬鹿力は、リスナーはおろかゲストすら呼ばない完全引きこもりスタイルが定着しているが、昔は、スペシャルウィークのときにリスナーに電話をつないだり、リスナーのお宅を訪問するといったことが当たり前にあった。また、大勢のリスナーを一堂に集めて、当時のノベルティ『おしりコイン』を使ってギャンブル大会をしたり、珍文が書かれたTシャツを全国のリスナーに配布して、他のリスナーがそのTシャツを着ているリスナーを見つけるというスタンプラリー的な催しをするなど、かなり大規模なリスナー参加の企画も定期的に行われていた。通常のコーナーでも、リスナーに電話口でモノマネ&ボケ回答をしてもらう「○○選手権」のコーナーや、リスナーをTBSに集めて皆で電波歌を歌う「歌声喫茶」のコーナー、他にも、リスナーだけでユニットを結成してCDを販売するといった長期に渡った実験的コーナーも存在し、最近の引きこもりスタイルから聴き始めたというリスナーにとっては想像もつかないようなことが日常的に行われていた。

ここで少し脇道に逸れるが、前述のリスナーユニット(変死隊)のCDは、当時入手するのが本当に大変だった。最初は都内各地での限定販売という形をとっており、荒川の土手などでスタッフが手売りしたりしていたのだが、新潟に住む地方リスナーの私にとっては買いに行くのが困難な場所ばかりだったので、「この感じだと買うのは無理かなぁ...」と半ばあきらめかけていた。しかし、ある日の放送で、伊集院さんの口から「新潟の亀田にある和菓子屋さんに30枚入荷します」と、次のCD販売情報が発表されたときに「あ、ここだったら行ける!」と、その週の土曜日に足を運んでみたのだが、店に到着するやいなや、店員さんから「ああ、すいません、発表翌日の朝に完売しました」と申し訳なさそうに言われ、ションボリしながら帰りの電車に乗ったのを今でも覚えている。「新潟はJUNKをネットしていない地域だから大丈夫だろう」と高を括っていたのだが、熱心な馬鹿力ファンにはそんなこと関係なかったようだ。最終的にネット通販になってからようやく手に入ったのだが、それまでの手に入らないもどかしさたるや凄かった。きっと自分以外の地方リスナーの方も大体そうだったと思うけど。
ちなみに、元・変死隊のメンバーである戸谷さんとは、ひょんなことから数年前にご一緒する機会があったのだが、最初に生で声を聞いたときには「ああ、あの戸谷さんだ!」と、当時の放送と脳がリンクして凄く感動したのを覚えている。

話を戻す。

とまぁ、このように、90年代後半から2000年代初頭の馬鹿力は、リスナー参加型の企画が非常に多かった。こういった企画がなくなったのには、おそらく色んな理由があるのだろうけど、結局のところ、リスナーも伊集院光自身も年をとったということに尽きるのではないだろうか。まぁ、そんなこといったら「えー、でもー、伊集院と同世代の爆笑問題のラジオは、去年、リスナーをスタジオに呼んで仲良くトークしてたよー」と、意地悪なJUNKリスナーから突っ込みが入りそうだが、まぁ"うちはうち、よそはよそ"ということで。
去年、伊集院さんがテレビで「50歳にもなって深夜ラジオとかどうなんだろう、と思って」と話していたが、本人の深夜ラジオに対する向き合い方が、ここ十数年で少しずつ変化してきているのだろうな、と思う(まぁ、全く価値観が変わらずにラジオを続けてる人の方が稀だと思うが)。スタッフが入れ替わったり、帯で朝のラジオを始めたりと、周りの環境の変化に依るところもあるのだろうけど、なんだろう、やっぱり深夜の放送はもう少し続けてほしい。「深夜にあの声を聴くと安心する」っていう人、結構いると思うんだよね。

で、馬鹿力の本放送がそんな感じでリスナーと絡むことが多かったということもあってか、リスナー同士が交流するコミュニティも数多く存在した。
今はSNSが発達したので、ネット上でリスナー同士がつながろうと思ったら(性的な意味じゃないよ)いくらでも手段はあるが、その頃はまだそんな便利サービスは存在していなかったので、個人ファンサイトに設置してある掲示板やチャット、もしくは脳汁を触媒として直接脳に語りかける特殊な手法(俗に言う"ドクドク脳汁テレパシー")で交流するのがスタンダードだった。後半ウソ。
当時、ネット上で伊集院リスナーが集う場所といったら、最初に出てくるのは『イジューインホリック(以下、ホリック)』という伊集院系のファンサイトになるだろうか。ここ以外にも色々あったと思うが、最大手はホリックだったと思う。ホリックでは、その週に馬鹿力で読まれたネタが全て文字起こしされ、各ネタに対して来訪者から投票をしてもらい、ネタに対する集計ポイントで投稿者のランキングを付けるという、よっぽど暇、もとい熱意がないとできない企画をメインに、豊富な伊集院関係のコンテンツが数多く掲載されていた。
リスナー同士の交流も非常に活発で、定期的にオフ会が開かれていた。オフ会には、当時まだ高校生で唯一の地方組だった私も何度か参加させて頂き、慣れないオフの空気に戸惑いながらも、ラジオリスナー同士のふれあいを楽しませてもらった。そのときのオフで知り合った一部の方とは今でもまだリアルに親交があり、ちょいちょい自宅に呼んだり、外で飲んだりしている。ちなみに、自分の結婚式にもそのリスナー友達らを招待したのだが、「あの頃にホリックで絡んでた人たちを、まさか自分の結婚式に呼ぶことになるとはなぁ...」と妙に感慨深い気持ちになったのを覚えている。
当時、ホリック関連で知り合った他のリスナーの方とは、今もツイッター上で薄~くつながっているが、どちらかというと行方知らずになっている方のが多い。こういう話題のときに度々思うのだが、インターネット黎明期にネット上にいた人たちは一体どこに姿を消したのだろうか。このユビキタス社会、ネットにつながらず生活するのは不可能だと思うので、きっとどこかに生息はしているのだろうけど、SNSができたと同時期ぐらいのタイミングで一気に消えたような気がする。私はこれをデジタル神隠しと呼んでいる。

閑話休題

ホリック以外のファンサイトだと、(どちらかというと投稿者寄りになるが) 動力板やボツネタ供養掲示板などが交流の場としてあった。他にもつぼっくさんのところのチャット等、いくつか伊集院系のコミュニティはあったと思うが、自分が特に入り浸っていたのはこの辺の3つが主だった。
ボツネタ供養掲示板は、投稿してボツになったネタを掲示板に書き込んで供養するというコンセプトの板だったが、私の拙いネタにも温かいコメントをしてもらったりと、大変居心地のいい場所だった。ボツが続いても、ここの掲示板に投稿することで、ネタの供養と同時に心が浄化されていた。当時は特に不採用が多かったので、お世話になることが多かった。

で、この辺から投稿の話へシフト。

前述の通り、当時は本当に馬鹿力でネタが採用されず、3~4週に1回読まれれば良い方だった。「ハガキを送る枚数が少ないのかな?」と懐疑的になったりもしたが、当時の自分が書いていたネタのクオリティ的に、100枚出そうが大差なかったと思う。
ネタの送る数については、投稿者の間でたびたび話題に上がるが、こと馬鹿力に関していうと、いくら数を出しても読まれないものは読まれないと思っている。以前、実験として『愛実ちゃんにチョイ足し! 』というコーナーに、かなり無理をして50ネタほど捻りだし、その中で「採用されるならこれかな」というネタを事前に3つほどピックアップしてから放送に臨んだことがあるのだが、結果として、そのピックアップしたうちの2つが放送で採用された。このとき、数を送ったところで意味がないことを悟った。まぁ、その2つのネタを思いつく過程で50ネタ考える必要があったのかもしれないので、全く意味のない行為だとはいわないが、面白いか面白くないかをキチンと咀嚼せずに何でもかんでも送るのは、自分の中のオモシロ基準がブレるので、個人的にはよろしくないと思っている。
昔、さまぁ~ずのラジオで、ふかわりょう氏が「10個のネタを思いついたら、11個目のネタを送ってきてほしい」と話していたが、面白いネタを考えるってそういうことだよなぁ、と素人ながらに思っている。まぁ、1分程度で思いつくネタなんて、たいてい他の人も思いついてるだろうし。もちろん、11個目のネタを量産して送れるならそれにこしたこをはないが、私はそこまで器用、というかオモシロ脳を持ってないので、週に20ネタぐらいが限界だ。

学生時代の馬鹿力への投稿数は週に10ネタ程度だったが、なかなか採用されない中でも、めげずに毎週毎週送り続けていたので、トータルではそれなりに採用は頂いた。が、結局、ラッキーパンチ的なものばかりで、自分が納得のいく採用のされ方は一度たりともなかった。もちろん、放送で読まれたら嬉しいは嬉しいのだけど、なんというか、「すっごくお気に入りの服を着ていったのに、靴を褒められる」みたいな、そんな採用のされ方だったので、どこか自分の中で釈然としないことが多かった。多分、どこがどう面白いのか分からずに送っていたのだと思う。

ここでまた高速を降りて脇道に逸れるが、今現在、正月ということで実家に帰省しており、「そういえば、昔のネタ帳ないかな」と机の中をガサゴソとあさってみたところ、ネタ用の小さいメモ帳が二冊ほど出てきた。で、おそるおそる読んでみたところ、それはそれは目も当てられない酷いネタのオンパレードだったのだが、ネタが酷いということよりも「ああ、この頃の自分ってこんなこと考えてたんだな...」と、ネタを通して当時の自分の精神状態が強く伝わってきて、えらくノスタルジックな気持ちになった。
あと、酷いネタが多いとはいえ、闇属性を持つ高校生の心の叫びみたいな実体験ネタは割と笑えた。特にダメにんげん系のネタを眺めてると『誰のことを言ってるのか分からない内輪ウケのネタで、とりあえず爆笑している自分』『学校に漫画を持ってきてクラスメイトと回し読みとかしてるやつは、俺みたいに本気で本の世界に入っていない』『手淫をしていたら、まだイクつもりはなかったのに中途半端に出してしまったため、気合を入れ直してもう一回する』『クラスでも人気者で上位グループのやつと二人っきりになった場合、気まずさに耐えられるという点では、俺のほうが優位に立てる法則』あたりは、かなり実体験に則している感じがヒシヒシと伝わってきて、笑うと同時に軽く胃酸がこみ上げてきた。完全に闇に飲み込まれる前にネタ帳をそっと閉じたが、またしばらく寝かせてから、良い頃合いを見計らって開けたいと思う。

再び高速へ。

そんな中、第385回(2003年3月3日)の放送で採用されたのを最後に、馬鹿力への投稿をやめた。どうしてやめたのかはハッキリと覚えていないが、当時の自分の状況的に、とても投稿できる精神状態ではなかったのだろう。その1年後ぐらいに、気まぐれで2、3回送ったこともあったが、基本的に馬鹿力への投稿、というかラジオ投稿からは完全に身を引いた。その後、卒論も佳境に入ってきた頃には、半分ノイローゼみたいな感じになっていたので、より投稿どころではなくなっていた。その頃は、自分のホームページに『女形ラジオ』という10分程度のフリートークという名の愚痴を垂れ流した録音データをアップするのが日課で、それによって多少なりともストレスを軽減させていた。女形ラジオを上げていた頃は本当にストレスが酷く、知り合った当初はそれなりに仲の良かったゼミの女教授とも徐々にそりが合わなくなり、最終的に「君は人として大事な何かが欠落している」と真正面から言われたりと(まぁ、それを言われても大してショックを受けなかった自分が何かを物語っている気もするが)、図らずも自分の人間性について見つめなおす機会に恵まれた。

で、まぁ様々な苦難を乗り越えて、どうにかこうにか大学も卒業できて社会人になったのだが、学生のときに腐るほどあった暇な時間は、儚くも遠い日の幻のように消え去り、社会の歯車として働く日々だけが残った。よく就活や就職のタイミングで趣味をやめるという話を聞くが、こういうことなんだなぁとボンヤリ思ったりもした。それでも一応ラジオだけは聴いていたが、投稿を再開するという考えに至ることはなかった。

そんな感じで「もうラジオに投稿することも無いかなぁ...」と思っていたときに転機が訪れる。次回から社会人編。

 

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