ジェネレーション

今年の3月に『笑っていいとも!』が終わる。

笑っていいとも!』といえば、日本国民なら誰もが知っている番組だ。「ごめんなさいー、わたし、テレビとか全く観ない人間なんで~」と、テレビを観てないことがまるでステータスだと言わんばかりのプライドブス(プライドが高いドブスの意)でも知っている。32年の歴史は伊達じゃない。私がまだ親父の精巣で自由気ままに泳いでいた頃には、タモリは、もうお昼にマイクを握っており、国民はウキウキウォッチングしていたのだ。そんな、テレビバラエティ史の金字塔を打ち立てた人気番組が、とうとう長い歴史に幕を下ろす。これは悲しい。いいとも出演者各人が、こぞってタモリを説得しようとしたのも頷ける。

ただ、誤解のないように言っておくと、私は別に「笑っていいとも!」の熱烈なファンというわけではない。毎日録画している、という稀有な知り合いもいるが、そこまで情熱を傾けて観る番組ではないと思っている。コンビニでジャンプを手に取って「こち亀ってまだやってるんだ、長いなぁ」と思う程度の感覚だ。むしろ、司会のタモリ自身でさえも、そういうスタンスでやっていると思う。なので、『クイズ☆タレント名鑑』が終わったときのような物悲しさとは種類が全く違う。

『当たり前のように皆が知っていたものが、これから生まれてくる人にとっては当たり前ではなくなる』

これが、とても悲しい。そして怖い。広辞苑から、一般的に使われていた用語群がごっそり削られてしまったような感覚に近い。
子供の頃、親戚の叔母さんから「あー、○○ちゃんは○○を知らないか。そうだよね、まだ生まれてないもんね~」などと言われた経験は誰しも一度や二度あるだろう。そのときは「ケッ、そんなの知らなくて当然だろ」と思いながら、有らぬ劣等感を抱いたものだ。しかし、自分がいざ逆の立場になってみると、優越感なんてものはまるでない。「ワシが若い頃は~」と、おじいちゃん感覚で孫に聞かせる楽しみ、みたいなものはあるのかもしれないが、自分が見たり聴いたりしてきたものを共有できる相手が年々減っているという事実は、やはり悲しい。

そろそろ誰か、二代目タモリを襲名してはどうだろう。