エロ画質

マルチメディア時代の到来ということで、ここ数年で地上波放送のデジタル化が急速に進み、お茶の間のテレビにも、昔とは比較にならない程の鮮明な映像が届けられるようになった。それに伴い、映像の記憶メディアも、VHSからDVDへ、DVDからブルーレイへと変遷を遂げ、レンタルビデオでもテレビと変わらない画質の映像を、自宅で気軽に楽しめるようになった。最近では4Kテレビなるものも登場し、さらなる高画質化が進んでいる。
ただ、洗剤のCMの「より白く」の「より」が、もはや肉眼では確認できないレベルの微妙な差になってきているように、実際には、もう指数関数曲線の大分上の方まで来ている気もする。

で、より鮮明に観たいものといえば、ドラマや映画もそうだが、健全な男性諸君はエロメディアなのではないだろうか。

今や、AVの画質も驚くほど綺麗になり、男優の顔と陰部以外は、くっきりはっきり見えるようになった。今までボヤッとしか見えていなかった乳首も、はっきり見える乳首になった。普通に考えれば、はっきり見えるほうが良いに決まっている。『どっちの乳首ショー』で、「はっきり見えていない乳首 vs はっきり見えている乳首」対決が行われたとしても、大半の男は「はっきり見えている乳首」に票を投じるだろう。
しかし、私の場合、「はっきり見えていない乳首」を選んでしまうかもしれない。挙句、敗者の三宅裕司と二人で、関口宏が勢いよく乳首をチュパチュパやっている背中を、後ろで指をくわえて眺めるハメになるだろう。
というのも、(多少語弊はあるが) 私は画質の悪いAVが好きなのだ。

画質の悪いAVが好きな理由として、AVに初めて触れた頃の青い記憶が呼び起されたり、個人撮影物の生々しい雰囲気が感じられたりと、まぁ色々挙げられるのだが、そんな中で「想像の入る余地を与えてくれるから」というのが割と自分の中で大きいと思う。
日本にはモザイクというエロ文化があるが、あれによって逆に想像力が掻き立てられて、より性的興奮を覚える、という方も少なくないと聞く。対象物を隠すことで、逆に己の「見たい」という欲求を駆り立て、興奮へと導くのだ。これと同じ原理で、画質が荒いAVの見え辛い部分を、自分の脳内で好きなように補填することで、自分の妄想部分と映像が上手いことリンクして興奮度が跳ね上がるんだと思う。(余談だが、昔、『出動!ミニスカポリス』で、普通に女性が水着で歩いているところに、モザイクをかけることによって、あたかも全裸で歩いているように見せる、という品性の欠片もない素晴らしい企画があったことを思い出した)

『あまりにも見えすぎてしまうと、逆に本当に大切なものが見えなくなってしまう』という、綺麗な俺格言をここで投じることで、これ以上展開させるのをやめようと思ったのだが、画質に関して一つ思い出したので、もう少し続ける。

10年ほど前だっただろうか。
深夜、実家で何の気なしにNHKBSプレミアムを流し観していたところ、子供が色んなボランティアを体験する番組(あまり覚えていないが『身の回りにあるバリアフリーを探そう』とか、そんなノリの番組)が始まった。大分昔に放送された番組らしく、すぐに再放送だと分かった。自動車教習所で見せられる「交通事故はすべてを奪う」レベルの画質だったのだが、その画質が自分的にツボで、脊椎反射的に甘エレクトさせて観ていた記憶がある。森林ボランティア体験、みたいな場面で雑木林が映ったときに「これ、奥でカップルが何かやってるのでは・・・」と妄想を掻き立てられるような画質だった。始終、妙な興奮に包まれていた。
こういう、どうしようもない癖を吐露した上で例えにに使うのは、犬に対して大変失礼なのだが、まさに「パブロフの犬」状態だな、と思った。

色々と書いてきたが、何が言いたいかというと、「radikoも良いけど、雑音混じりで聴くラジオも悪くないよね」という話。