ラジオ投稿記~STVラジオ編~

「いつか何かのタイミングで、ラジオ投稿について書き残しておきたい」と常々思っていたので、この場を借りて自分のラジオ歴を振り返ってみたいと思う。

 

初めて聴いた深夜ラジオ番組は、今でもよく覚えている。あれは、まだ私が中学2年生の頃。夜中、チンチンをいじる傍らでラジオのダイヤルをいじっていたところ、雑音混じりに聴こえてきたのが、『船守さちこのスーパーランキング』だった。深夜ラジオのゴールデンタイムといわれる午前1時~3時と比べると、まだ浅い午後10時という時間帯だったが、自分の中では、これが深夜ラジオとの出会いで、ここから深夜ラジオを聴く習慣ができた。
この番組は、STVラジオで放送されていた。STVラジオといえば、日本国民の9割がご存じだと思うので、今更説明するまでもないのだが、残り1割の方のために説明しておくと、北海道のAMラジオ局である。2012年に開局50周年を迎え、今も変わらず道民に愛され続けている。残念なことに私は道民ではないので、遠く離れた新潟の片田舎で頑張って聴いていた。
「え、北海道のラジオなのに新潟で聴こえるの?」と疑問を持たれる方もいるだろうが、テツandトモの「夜になると遠方のラジオ局の放送が入りやすくなるのはなんでだろ~」というおなじみのネタにもあるように(無い)、深夜というのはなぜか電波の入りが良くなるのである。ラジオを聴くことでしか寂しさを埋めることのできない不器用な人間に対する、ラジオの神様の粋な計らいなのかもしれない。ちなみに、『深夜 ラジオ 電波 入る』辺りの単語でググると本当の答えが出てくるので、興味ある方は調べてみるといい。

 

とはいえ、radikoプレミアムのようなクリアな音声が新潟で聴けるわけもなく、雑音と戦う日々だった。radikoでしかラジオを聴いたことがない現代ラジオっ子には想像できないかもしれないが、ラジオのダイヤルを回してチューニングするというのは、非常に繊細な操作が要求される。『Tシャツの上から乳首の位置当てゲーム』など比較にならないほど当たり判定が厳しく、ダイヤルが0.5mmずれるだけで砂嵐に包まれて迷子になるということが日常茶飯事だった。
ちなみに、大手ラジオ局であるところのニッポン放送TBSラジオも、同じように雑音がひどかった。特にTBSラジオは、まともに聴ける状態ではなかったので、代わりにHBCラジオ(これも北海道のラジオ局)経由で聴いていた。そういう意味でも、北海道のラジオ局には随分とお世話になった。

 

で、北海道のラジオを聴いているうちに投稿を始めるわけだが、始めた理由は"なんとなく"だった。「出したら本当に読まれるのかな?」くらいの、ちょっとした興味本位だった。今ハガキ職人をやってる方も、最初はそんな軽い感じで始めたのではないだろうか。
初めて投稿したのは、曜日替わりパーソナリティの『アタックヤング』という番組で、もちろんこれもSTVラジオの番組だ。調べたところ、地方制作局の深夜放送では最古参の番組らしい(残念ながら、2016年3月に、45年6ヶ月の歴史に幕を閉じた)。
当時のパーソナリティは、自分の記憶とネットを頼りに調べた限り、以下の方々。
土日は必ず聴いており、火水金はたまに。月木は、確か裏番組を聴いていたので、ほとんど聴いたことがない。

月曜:千秋幸雄
火曜:山崎まさよし
水曜:神原智己
木曜:大植三奈江
金曜:KAN
土曜:明石英一郎
日曜:福永俊介

この中で最初に投稿したのは、確か福永俊介さんがパーソナリティを務める日曜日だったと思う。ただ、明石英一郎さんの曜日にも同時期に投稿を始めたので、どちらが先だったかは微妙に記憶が怪しい。どちらの番組もネタコーナーが豊富で、投稿しがいがあった。ちなみに、お二人ともSTVラジオのアナウンサーではあるが、軽快なトークから繰り出される深夜ならではのマニアックなネタやヒドい下ネタは、芸人ラジオ並にお笑い寄りの内容だった。

 

初めてネタが読まれたのも福永さんの番組だった。生まれて初めての採用で喜びも大きかったこともあり、ネタの内容は今でもハッキリと覚えている。『嫌な定食屋:トン汁を頼むと、厨房から豚の悲鳴が聞こえてくる』というものだった。今こうして見返すとベタベタなネタだが、それでも読まれたときは本当に嬉しかった。読まれた瞬間は、一瞬何が起こったのか分からないほどドキドキして、しばらく震えが止まらなかった。これはラジオで読まれた人にしか分からない感覚だと思うが、自分のネタ読まれた瞬間のパーソナリティと繋がった感じは、言葉では説明できないほどの快感を覚える。この快感から抜け出せなくなった中毒者が、投稿沼へと落ちていることになるのである。余談だが、このときハガキの余白にブタの絵を描いて採用されたので、それにあやかって、しばらくネタには必ず絵を描いて投稿していた。

この福永さんの番組と並んで熱心に投稿していたのが、先にも述べた明石さんの番組だった。アタックヤングは聴き始めるのが遅かったため、リスナーになって早々に最終回を迎えてしまったのだが、ほどなくして『明石英一郎のビビデバビデラジオ』という番組が始まった。この番組が、投稿者としての私の原点になった番組である。

番組の内容はもちろんのこと、パーソナリティである明石英一郎アナが大好きだった。私のペンネームである藤井菊一郎の『一郎』は、この明石さんの名前から取っている。明石さんの人柄を一言で説明するのは難しいが、『いつもバカなことを言ってるけど、子供と真摯に向き合って意見を言ってくれる大人』といったところだろうか。12月頃に受験生からハガキが来ると、「お前、受験生なんだから、こんな番組聴いてないで勉強しろよ!」と笑いながらも本気で心配してくれていたのが思い出される。

こんな明石さんがパーソナリティを務める番組だが、番組の流れとしては、前半がフリートーク(&ふつおた)で後半が主にネタコーナーだった。当時の藤井少年は、メモ帳にフリートークの内容や読まれたネタ、番組中にかかった曲に至るまで全てをメモしていた。知らない単語が出てくると、必ず後でそれを調べていた。そのためか、古い特撮物に変に詳しくなった。また、「なぜ採用されなかったのか?」ということを自分なりに分析して書きとめていたりもしたが、「その熱量の1%でも勉強に向けていれば、もっと良い大学に入れたんだろうな」と今になって思う。多分、実家に帰ればあのメモ帳は出てくると思うが、黒歴史になっていない程度に笑って読めるものになっていると信じたい。

当時は、大喜利的なネタというよりは、身の回りの面白かった出来事などを、「こんなことありました」と報告するようなネタを多く書いていた。逆に、今は身の回りのことを殆ど書かなくなったので(投稿する番組のテイストが違うというのもあるが)、当時の自分が書いてたようなネタを今同じように書けるかというと微妙なところだ。投稿者あるあるの一つとして、「身の回りの面白い体験談が書けない」というものがあるが、「よかった探し」ならぬ「面白かった探し」は、きっと若い頃の方が得意なんだろうな、と思う。

今は当時のような熱量はないが、面白かった探しについては、おじいちゃんになっても続けていきたいと思っている。

余談。
そういえば、明石さんの新番組が今年の4月から始まったと聞いているのだが、まだ全然聴けていない。。。
きっと、明石さんに「貴様!それでも軍人か!」と怒られるだろうなぁ。

次回、『ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~』へ続く(かもしれない)。