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ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ編(1)~

ラジオ投稿記~STVラジオ編~
ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~
からの続き。

今回の爆笑問題カーボーイ編については、1回で書き上げられる気が全くしなかったので、「UP'S~無印時代」「JUNK時代」辺りで区切って2回 (もしくは3回) に分けて書こうと思う。爆笑問題カーボーイについては、2年前にこのブログで取り上げたことがあったが、実質、今回のブログがその続きに相当することになる。


爆笑問題カーボーイ(昔は爆笑問題カウボーイ)』を本格的に聴き始めたのは、確か99年頃だったと思う。
99年というと、爆笑問題の二人は、まだ30代半ば。年齢だけで判断すると、まだまだ若手といったところだが、この時点で結成から11年という相当なキャリアがあり、さらに司会業も板につき始めた頃だったので、テレビで目にする二人の姿には、既にベテランの風格すら感じられた。
それとは対照的に、ラジオでのトークはフレッシュな若手感が漂っており、二人の和気藹々とした雰囲気と、小気味よくテンポのあるトークは、聴いていて心地よかった。あと、たまに大学時代のノリで、田中さんが太田さんのことを「光さぁ」とウッカリ呼び捨てにすることもあったりと、コアな爆笑問題ファンにはたまらない (?) やりとりも垣間見る (聴く) ことができた。


この頃のカーボーイは、まだ生放送で、オープニングでFAXの呼び込みをしたり、『今週のリスナー代表』として選ばれたリスナーに電話をつないだりと、今とは大分異なる番組構成だった。オープニングで流れるテーマ曲も今とは違う。逆に、今と変わらない点といえば、タイトルコールの後に田中さんが関東地方の天気について話す部分ぐらいだろうか。この田中さんのちょっとした天気話が好き、というリスナーは地味に多いと聞く (私も好きだ)。


そして、当たり前だが、コーナーのラインナップも今と全く違う。唯一、『CD田中』だけが最古のコーナーとして今も生き残っているが、それ以外のコーナーは、『みみいろばみいろ』『川柳研究所』『学校ネタ』『ハッピーワールド』『チンチロうた』『バイウィークリーアンケート』などなど、もはやオッサンリスナーしか知らないようなコーナーだらけである。中には Wikipedia にすら載っていない完全に忘れられたコーナーもあるので、最近聴き始めたという若いリスナーは、特に新鮮に感じるかもしれない。
ちなみに、『学校ネタ』と『チンチロうた』については書籍化もされている。むしろ、学校ネタは本のが有名かも(宝島社爆笑問題の学校VOW』)。
あと、ついでにもう一つ若人の知らない豆知識を披露すると、CD田中というコーナーは、当初、リスナーの作品とは別に、必ずスタッフの作品があった。まだネタの作りの勝手が分からないリスナーへのお手本としてだったのか、それとも単に投稿数が少なかったのかは分からないが、何にしても、毎週ネタを作るスタッフの苦労たるや想像に難くない。また、番組にゲストが来ると、必ずCD○○(○○に入るのはゲストの名前)として、ゲスト版のCD田中がスタッフの手によって作られていた。番組前半のトークで、ゲストが喋った台詞を拾って即興でネタを作るので、かなりスタッフの力量が試されていたように思う。

所変われば品変わる、番組変わればネタの毛色変わる、ということで、爆笑問題のラジオに送られてくるネタも一種独特で、コサキンのそれとはまた違った雰囲気を醸し出していた。
この番組の特徴なのかもしれないが、ネタよりも、投稿してくるリスナー自身にスポットが当たることが多かった。今ではその文化は廃れてしまったが、ネタの前にリスナーの自己紹介を読んでいた時期もあった (今も近いものはあるけど)。当時、番組のファンサイトで個人的に何度も絡ませて頂いた岩崎トシヒデさんは『謎の忍者』を名乗って投稿していたし、『FAXを持っていないリスナー』としてお馴染みだった黒沢竜馬さんは、田中さんに対して「FAXを買って下さい!」と懇願するメッセージを、必ずネタの前に挟んでいた。「FAXがあれば、進路が助かる」という言葉は、古参リスナーだったら覚えている人もいるかもしれない (ちなみに、最終的に本当にFAXを買ってもらっていた) 。

そんなキャラの濃いリスナーが大勢いたこともあってか、「ここに自分が入っていくのは難しそうだなぁ」と気後れして、最初は投稿すること自体考えていなかったが、聴くだけリスナーを1年ほど続けた頃、転機が訪れる。この転機というのは、自分の転機であると同時に番組の転機でもあるのだが、ちょうどミレニアムの年である2001年の最初の放送で、太田さんの口から出た「今やってるコーナー、全部やめる!」という一言がきっかけとなり、現在進行形のコーナーが全て廃止になった。もちろんCD田中も。

廃止になると共に、新しいコーナーが太田さんの思いつきでポンポン生まれた。「『ベランダ』のエピソードを募集しよう」やら「『風が吹いた』ってコーナーどう?」など、完全にその場のノリで毎週のようにコーナーが生まれ、コーナーが20個ほど乱立した時期もあった。このコーナー乱立については、当時賛否両論あったが、番組の新陳代謝が向上し、初投稿の新規リスナーが増え、玉石混合の中で数々の名コーナーも誕生したので、結果的には良かったと思っている。

私もこのコーナー改革の波に乗り遅れまいと、「自分にも書けそう」と思ったコーナーへの投稿を積極的に始めたのだが、これが笑っちゃうくらい採用されなかった。当時の自分がどんなネタを送っていたのか全く覚えていないが、かなりピントのズレたネタを送っていたことは間違いない。
コーナーが増えるというのは、必然的に1つのコーナーに対して読まれるネタの数が減るということで、それはつまりどういうことかというと、『そのコーナーに送られてきた、面白かったネタの上から3つぐらいしか読まれない』ということなのだ。その上位3つに食い込むことができず、悔し涙を飲む日々が続いた。ネタが読まれないときの投稿者あるあるとしてお馴染みの「これ、ハガキが局に届いてないのではないだろうか?」「ネタに目を通されずに捨てられているのではないだろうか?」という疑心暗鬼に苛まれることも多かった。

そして、不採用が続いて半ば自暴自棄になってたある日のこと。

ここから書くことに関しては、投稿者として間違っても絶対にやってはいけないことなのだけど、「女のフリして送ったら採用されたりして」という良からぬ考えが頭をよぎった。よぎるだけならまだ良かったのだが、それを実行に移すだけの鬱積したものが当時の自分にはあった。
先に述べたように、この番組というのはリスナーにスポットが当たることが多く、リスナーのキャラが立っていれば、それだけスタッフの目にも留まりやすい (というと語弊があるが、当時は特にこれが顕著だった)。なので、女性投稿者の絶対数が少ないことを考えると、採用される可能性は高いと踏んでいた。

そして、「まぁ、とりあえず出してみるだけ」と軽いノリでハガキを送ってみたところ、これが一発で採用されてしまった。
『女性の立場から』というコーナーに送った普通のネタ (というか質問) だったが、まさか本当に読まれるとは思っていなかったので、心臓が飛び出るほど驚いた。もちろん、性別を偽って採用されたという罪悪感は多少なりともあったが、それ以上に、初めて爆笑問題のラジオで読まれたという嬉しさの方が勝ってしまい、味をしめた私は、その後も、藤井理奈というペンネームを使い、ハガキの本名を書く部分には苗字だけを書き、"あくまで女性として"ネタを送り続けた。藤井理奈名義で2回ほどYAS5000賞  (当時の週に1人だけ貰える賞) を頂いたが、さすがに途中で虚しくなったのか、投稿は自然と辞めてしまった。ちなみに、賞を頂いたコーナーは、『処女ちゃん』と『僕と私のオナ日記』という、名前の通り品性の欠片もないコーナーである。


それ以降、性別を偽って送ることはなくなったが、今でも悪いことをしたなと自責の念に駆られることがある。「実はボク、藤井理奈なんですよー」みたいなことをファンサイトの掲示板に書き込んだりもしていたので、今思うと本当にイタいやつだった。できることなら、タイムマシンで当時の自分のところに行ってブン殴ってやりたい。
私のラジオ投稿に関する黒歴史のベスト3に間違いなくランクインする出来事だったと思う。

藤井理奈としての投稿を辞めたぐらいのタイミングで、番組内でのコーナー乱立の波は落ち着きを見せ、『こしょうふりかけました』や『70代の視点から』といった出落ちのようなコーナーは完全に消え去り、『音の神様』『子供未来戦争』『田中の弟子募集』『新明解太田辞典』といった人気コーナーだけが生き残った。


ここからまた1年ほど聴くだけリスナーに戻り、『ガール』のコーナーが始まったことをきっかけに、再び別のペンネームでカーボーイへの投稿を再開するのだが、それはまた次回。

UP'S~無印時代の賞 (YAS5000笑い袋&クオカード)
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