ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ編(4)~

『ラジオ投稿記~STVラジオ編~』
『ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~』
『ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ(1)(2)(3)~』

からの続き。

ガールのコーナーへの投稿を続けていく中で、「他のコーナーにも出したい!」という欲求が高まってきたので、他に自分が出せそうなコーナーへの投稿を始めることにした。"出せそうなコーナー"というと若干の語弊があるが、要は自分がネタを書きたいと思うコーナーである。

で、「カーボーイのコーナーといえば、やはりCD田中だろう」ということで、何週かに渡ってCD田中に挑戦してみたのだが、これが箸にも棒にも引っかからなかった。前回も書いたが、CD田中というのは、SASUKEに出るようなアスリート志向の投稿者の方々が、先人たちが築き上げてきたネタの黄金パターンを礎として、日々新しいパターンを模索しては日進月歩で進化を遂げている、素人にはなかなかハードルが高いコーナーなのである。

コサキンでCD大作戦のネタを書いていた頃は、採用されなくても「次こそは!」と躍起になったものだが、CD田中は、選曲に加えて、放送中に田中さんが発した台詞を逐一チェックしなくてはならないため、何かのタイミングで「これは労力に見合わない」と見切りをつけて、早々にネタを書くのをやめてしまった。このコーナーに継続してネタを出し続けられるのは、本当に選ばれた人間だけだと思う。

ちなみに、先日、某ラジオ関連の飲み会で、カーボーイでも名前をよく耳にする常連の方(コミュニケーション能力が吐瀉物レベルに低いという意味のRNの方)から「CD田中に60ネタを送って全ボツだったことがある」という話を聞いて「ああ、ホントに狭き門なんだなぁ...」と改めて思い知らされた。もちろん、当時と今では採用基準も送られてくるメールの数も違うと思うが、それほどまでに情熱を持って投稿してくる人が毎週数多くいるわけだから、そこに食い込むのは一筋縄ではいかない。

そんなわけで、CD田中はスパッとあきらめたのだが、CD田中以外だと、当時は正直そんなに投稿したいコーナーが無かった。前回紹介した「今週の田中」は、爆笑問題の出ている番組をチェックしなくはいけない分、むしろCD田中よりもハードルが高かったし、リスナーが自分の周りの酒豪自慢を紹介する「酒豪自慢」は、どうしても似通った系統の長文ネタになると思ったので、出す気は全く無かった (あと、カーボーイでは長文ネタでしか読まれたことがなかったので、短文ネタが書きたいという気持ちもあった)。一応、短文ネタのコーナーがいくつかあったのだが、自分の中でいまいちピンとこなかったので見送りにしていた。今考えてみると、本当にワガママだな俺。

そんな中、何の前触れもなく突如始まったのが、「長井秀和ネタCD化計画」というコーナーである。これは、タイタン所属の芸人・長井秀和氏が、自分のネタCDを発売するべく、リスナーからネタを募集するという、ある意味では他力本願ライブのようなコーナーなのだが、カーボーイとしては珍しく、長井さんがネタを選び、長井さんがネタを読み上げるという箱番組スタイルだった。ちなみに、長井さんといえば、今でこそあんな感じだが(失礼)、当時は「間違いないっ!」の決め台詞が流行し、精力的にバラエティにも出ていた。また、当時は本人が管理している個人サイトも存在し、そこの掲示板でリスナーやファンと交流をしていた。私もそこで何回か本人とやりとりした記憶がある。

で、この長井さんのコーナーは「割と自由に書けそうだな」と直感的に思ったので出すことに決めた。最初は、お約束の「間違いない!」で締めるネタだけだったのだが、コーナーの雰囲気的に「これ、もしかして自分で勝手にフォーマットを作って送ったら読まれるのでは?」と思い立ち、「間違いない!」以外のパターンのネタをいくつか送ってみたら、これが採用された。それ以降は、リスナーが自由にフォーマットを考えて、それに乗っかってまた新しいネタが生まれる、というサイクルができていった。

これは、このブログを書いていて気付いたことだが、私はフリーフォーマットで好き勝手に書けるコーナーが好きらしい。ずっと投稿していた「ザ・ガール」も基本的には何を書いてもいいコーナーだったし、後に始まった「少年ピップ」というコーナーは、"ピップ"という登場人物さえ出せば、後は何を書いてもいい、という、あまり制約の無いコーナーだったので、その自由さに惹かれて何通かメールを送ったのを覚えている。「面白い短編小説が読みたい」のコーナーしかり、昔は今と比べてリスナーに丸投げするコーナーが多かったように思う。

で、そんなこんなで、ついにネタCDを発売するとなったとき、CDに入れるネタを書いたリスナーが番組内で発表され、私の名前も読み上げられた。そして後日、ノベルティと一緒に『お話しさせていただきます。』というネタCDが番組から送られてきて、韓流スターのような笑みを浮かべた長井さんのジャケットの裏に、ちゃんと「フジキク」という名前が小さく書いてあった。後にも先にも、CDにラジオネームが載ったのはこのときだけである。

ちなみに、長井さんはテレビでもリスナーのネタをやっており、TBSの「うたばん」にゲストで出ていたときは、私の書いたネタが普通に使われていた。それを観たときには、嬉しいような恥ずかしいような、なんとも言えない不思議な気持ちになったのを覚えている。当時は周りにラジオを聴いてる人がいなかったので、誰にも言えなかったけど。

とまぁ、爆笑問題カーボーイの投稿にまつわる思い出は、大体こんな感じだろうか。

4回に分けて長々と書いたが、これらは全て1999年~2003年までのたった4年間の出来事である。まだ田中さんの玉も2つあった頃の話だ。そこからさらに今日に至るまでの14年もの間、数々のコーナーが生まれては消え、投稿者も目まぐるしく入れ替わり、田中さんの玉も1つになった。私にとってはこの4年間が一番印象深いが、他のリスナーにとっては、きっとそれぞれ思い入れのある時期は違うだろう。夢中になって聴いていた時期というは、往々にして、ラジオを聴き始めた時期と一致するので、今年から番組を聴き始めた若いリスナーにとっては、きっと今が一番記憶に残る時期になると思う。この時期を、ホントに大事にしてほしい。

最後に、若干臭い言い回しになるが、投稿者が10人いれば、10人分のドラマがある。このブログを読んで何かを感じてくれる人がいたら、そのドラマを少しでも私に見せてくれると嬉しいな、なんてことをボンヤリと思いながら締めの言葉とさせて頂く。


次回、『ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力編~』へ続く(かもしれない)。