今、人生のどの辺を歩いているのか

「今って将来なのかな」と、青臭いことを考えることがたまにある。

けっこう前のCMで、父親が娘に将来の夢を聞いて娘が答えた後に、続けて娘が「パパは将来、何になりたいの?」と聞き返すといった内容のものがあった。CMのテーマとしては、おそらく『年齢で勝手に将来を決めてはいけない』だとか、『大人になっても夢を追い続けよう』みたいなメッセージが含まれていたのだと思う。ただ、これはあくまでCMであって、それほど強い志を持たない私のようなタイプの人間は、ある程度の年齢で将来というものが決まると思っている。

仮に「人生で最後に就く仕事を決めた状態」を将来だと定義してみる。そうすると、特殊なケースを除いて、大体40歳くらいまでには将来に片足を突っ込むことになると思う。人生には「この仕事で一生食っていく」(又は「俺は死んでも働かない」)という踏ん切りをつけなくてはいけないタイミングが必ずどこかにあると思っていて、一般的な転職の限界年齢などを鑑みても、その最終ラインは40歳辺りだと思う。かの孔子も、40歳で人生に迷わなくなった的な発言を残しているので、40歳は人生においての大きなターニングポイントであることは間違いない。安達祐実も40歳だし(関係ない)。

私の場合、仕事の面で大きな変化が訪れることはもう無い気がしている。以前このブログにも書いたが、去年、脱サラしてフリーランスになった。今は某会社の専属みたいな感じで個人契約を結んで働いている。かれこれ2年ほど経つだろうか。ただ、この契約が終わったとしても、おそらく職種自体は定年まで変えずに、プログラマー寄りのシステムエンジニアとして続けていくと思う。「変えず」というか、「変えられず」といった方が正しいか。これは転職活動をしていた頃に悟ったのだが、自分が今までやってきたことを捨てて全く新しいことをやるのは、かなりのエネルギーを必要とする。魔法使いから僧侶にはなれても、魔法使いから剣士になるのは厳しいのだ。「え、今から初期パラメータでやり直すの?」ってなるし。

そんなことを考えると、もう今は自分にとっての将来なのかもしれない。ただ、その反面で、「またこの先どこかで人生の帰路に立たされるときが来るのかな」なんてことを頭の片隅でボンヤリ考えたりもする自分もいる。将来はあと2回変身を残している可能性もあるし、既に最終形態なのかもしれない。『もう将来なのかもしれない運転』を続けながら定年を迎えそうな気がしている。


余談。オーストラリアだかの研究チームによると、人間のDNAに刻まれた自然寿命というのは、本来38年程度らしい。今は医学の進歩とライフスタイルの向上により寿命は延びているが、たかだか100年ほど遡っただけでも平均寿命は40歳代まで下がるので、令和を生きる現代人は最大HPがだいぶ上がったといえる。神より与えられし初期パラメータが38だとしたら、40ってもう限界突破してるのね。