またラジオに投稿するようになった話

宣言するほどのことでもないが、またラジオに投稿を始めた。

最後に出したのが2013年なので、約9年ぶりになる。仕事でフリーランスに転身したことや、プライベートで他の趣味に時間を割くようになったこともあり、ラジオに投稿することは正直もうないと思っていた。ラジオ仲間から「もうラジオに出さないの?」と聞かれたときも、恋愛に疲れたOLが「もう恋はしないかな」とこぼすような感じで投稿の終わりを告げていた。

 

しかし、恋というのは突然やってくるものである。それが『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』だった。パーソナリティーをつとめるのは、今や演者としてもテレビで見る機会が多くなった売れっ子テレビプロデューサーの佐久間宣行だ。

私が最初に佐久間さんのことを知ったのはいつだっただろうか。確か『ゴッドタン』の『谷桃子王決定戦』の回で、谷桃子から強制的にステージ上に上げられて一緒にネタをやるくだりがあり、その辺りから存在を意識し始めた。完全に蛇足だが、先日カラオケに行ったとき、LIVE DAMのバーチャルカラオケのリストに谷桃子の名前があって「へぇ、今こんな仕事してるんだ」と、若干の驚きを覚えた。まぁそれはいいとして、当時は佐久間さんのことを一介のテレビスタッフとしか見ていなかったし、名前も顔もボンヤリとしか知らなかった。プロデューサーという肩書きも知らなかった。

そんな佐久間さんのパーソナルな部分を知るキッカケになったのがこの番組だ。初めて聴いたのは、確か1年目の何回目かの放送だったと思う。ツイッターのTLで「佐久間さんのラジオが面白い」という書き込みをよく目にするようになったので、試しに聴いてみることにした。おそらく、これが中途半端に知ってる芸人とかだったら、逆に聴いてなかったと思う。深夜ラジオリスナーというのは、得体のしれないイロモノ系パーソナリティが大好物なのだ。あと、テレビ東京の社員がニッポン放送で話すということにも興味を惹かれた。

最初、独特なガハハ笑いが少し気になったものの、トークは普通に面白かった。それと同時に「裏方の人なのに、よくこれだけ一人喋りできるな〜」と感心した。本人がすごく準備するタイプの人間とのことなので、トークは事前にしっかり練ってから臨んでいるのだと思うが、それでも生放送は緊張もするだろうし、慣れない環境で喋るのは難しいと思うので、かなり肝が据わってる人なんだろうな、と思った。

最初はそんな感じで放送に触れて、それからもたまに聴くようになった。佐久間さんの興味ある分野がけっこう自分とかぶっていたり、番組中に流れる曲が自分の好みと合っていたので、そういう部分も含めてだんだん番組そのものが好きになっていった。あと、佐久間さんがテレ東を退社してフリーになったのと同時期に、自分も当時勤めていた会社をやめてフリーになったので、勝手に佐久間さんに親近感を抱くようになっていた。退社直後の放送で、「確定申告どうしよう」みたいなトークをしてるときは、ラジオの前で「わかるー」と思いながら聴いていた。

 

番組への投稿を意識し始めたのは、割と最近のことだ。
放送内で読まれているネタの温度が今の自分に丁度いいということもあってか、放送を聴いてるときに「あ、これネタにできそうだな」と、不意にネタが思いつくことがよくあった。で、「せっかく思いついたのだから」と、出せないラブレターが溜まっていくかのように、ネタの種が日に日にスマホのメモ帳に増えていった。ちなみに、佐久間さんのラジオ関係なく、普段から気になった単語をメモる習慣自体は前々からある。例えばトイレに入ったとき、『人がいない場合でも水が流れることがあります』といった定型文を無駄にメモったりしている。これは、社会人になって投稿を再開した頃に自然とやり始めたことだ。以前、何かのバラエティを観ていたときに、クイズ作家の矢野さんが、街角で目に止まったものを片っ端からクイズの種としてスマホに書き込んでいくということをしていた。このレベルまではいかないまでも、私もこれに近いことをしている。投稿していないのにこういう事をするのは、部活を辞めても素振りの練習だけは続けている元野球部員のような、思いを断ち切れてない悲壮感のようなものがあるのだが、もう癖になっているのだからしょうがない。

で、そんなネタが溜まっていくメモ帳を見ながら、徐々に「投稿したい」という気持ちが強くなっていった。「よいのか、お主。1度投稿したら、またあの終わりの見えないマラソンが続くのじゃぞ」という投稿の神様(大量のハガキを貼り合わせた衣を纏っている)の声が背後から聞こえたものの、気がついたときには、直近2〜3週の放送で採用されたネタの文字起こしをして、読まれるネタの傾向を分析し始めていた。キーボードを叩きながら、「ああ、もう後戻りはできないな」と思った。

 

最初に投稿したのは今年の6月だった。手前味噌になるが、『深夜の馬鹿力』や『爆笑問題カーボーイ』をはじめとして、今まで色んなラジオ番組で読まれてきた人間なので、「まぁ1〜2週で読まれるだろう」という驕りが少なからず自分の中にあった。それが投稿の神様の逆鱗に触れたのか、最初の一ヶ月はまったく読まれなかった。「え、マジか?」と思った。後になって気づいたことだが、これにはいくつか原因がある。1つめの原因として、毎週やるコーナーをキチンと把握してなかった。これはもう根本的な問題である。

『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』には、『企画書はラブレター』『カンペ』『ラジオチャンピオン』という3つのコーナーがある。
最初、書きやすいということで、特にテーマなどが設けられていない『カンペ』のコーナーをメインに送っていたのだが、よくよく聴いてみると、このコーナーはやる頻度がきわめて低い。3週続けてやらないこともあったりする。むしろ、やる方が珍しいくらいなのだ。やらないのだから、読まれないのも当然である。そういう意味で、『企画書はラブレター』をメインに出す必要があった。こちらはスポンサーである明治とのコラボコーナーになっているので、ゲストが来てコーナーが無くなる場合を除き、必ず毎週やることになっている。

2つ目の原因は、テーマに沿っていないネタが多かったことだ。こちらは『企画書はラブレター』限定の理由になる。
比較対象として丁度いいので、私が9年前に投稿していた『深夜の馬鹿力』を例にとる。カルタコーナーなど、馬鹿力にも1つのテーマに沿ってネタを考えるコーナーは存在するものの、基本的にはオモシロに全振りの姿勢なので、テーマから若干ずれていたとしても割とストライクを取ってくれる。あきらかなボール球でも「球速が200km出てるからOK!」みたいな判定が下されることもあるので、ストライクゾーンが広いというよりは、どこに投げてもOKみたいな自由さがある(逆にいうと、どこに投げるか迷うことがあるのだけど)。あと、球審の気分によってストライクゾーンが大きく変わったりするので、その辺の調整が非常に難しい。
対して、佐久間ANNの『企画書はラブレター』だが、このコーナーはテーマにキチンと沿ったメールでないと絶対に採用されない(何週か送って確信した)。スポンサーとのコラボコーナーということで、ぶっとびすぎたシュールなネタや、下ネタなどもまず読まれない。私もこの辺は理解して送っていたつもりだったが、長きに渡る馬鹿力への投稿によって、投球フォームにだいぶ癖がついていたらしい。カレー勝負なのに、カレー風味のチャーハンを作って「これはカレーです」みたいな感じのネタを割と送っていた。「旨けりゃいいだろ」精神を一旦捨てないとダメだな、と悟った。

あと、これは投稿をするようになって始めて感じたことだが、この番組はトークとリアクションメールが主体で、コーナーはあくまでオマケ程度の位置づけだということだ。これはANN0という番組の時間的制約もあると思う。基本的に必ずやるコーナーは、前述の『企画書はラブレター』と、ジングルで流れる『ラジオチャンピオン』の2つ。『企画書はラブレター』は毎週7〜12通、『ラジオチャンピオン』は毎週2通のメールが読まれる。とすると、だいたい毎週10通程度のネタしか読まれないことになる。これは、今まで自分が投稿してきた番組と比べると格段に少ない。この10通に食い込むのは、なかなか至難の技だなと思った。だが、そう考えると、「この番組だけに集中して送ってるハガキ職人」って、いないとは言わないまでも、けっこう少ないのではないのだろうか。まぁ仮にそうだとしても、採用難易度はそこそこ高そうな気はする。

 

で、これらの分析をもとにネタを調整し、投稿を続けた。

 

そして、7月14日の『カンペ』のコーナーで、晴れて初採用を頂いた。読まれたネタは、投稿を始めた最初の週に送ったネタだったので、1ヶ月遅れでの採用になる。なので、このコーナーに関しては、ネタの方向性は最初から間違っていなかったらしい。
リアタイでは聴けなかったものの、佐久間さんが自分のラジオネームを読み上げて、自分のネタで笑ってくれるのは嬉しかった。あと、ニッポン放送で読まれるのは20年以上ぶりだったので、そういう意味での喜びもあった。ニッポン放送で最後に読まれたのは、確か『GO!GO!7188オールナイトニッポンR』だったかな。ネタを読まれた喜びから、RNてるてるアフロさんよろしく「自分のネタが読まれた部分を何度も何度も聴く」を久しぶりにやった。これをやりながら「radikoに10秒スキップ機能つけてくれよ...」と本気で思った。スキップ機能、普通のリスナー以上に投稿者の需要が高い気がする。

 

1回読まれて調子が出たのか、その後は『企画書はラブレター』のコーナーに2週連続で読まれ、8月17日の放送では2採用&ベスト企画メールに選ばれた。ベスト企画メールに選ばれた回は、翌日を休みにしていたのでリアタイで聴いていたのだが、佐久間さんが「本日のベスト企画メールは..東京都北区 藤井菊一郎」と言った瞬間、周りに妻がいたことも気にせず(なぜか起きてた)、「よし!!」と快哉を叫び、無意識にガッツポーズをしていた。久しぶりに本気で胸がドキドキして体が震えた。なんというか、しばらく忘れていたものを久しぶりに思い出したような感覚だった。ああ、そうだよこれだよ、と。お前、ラジオにメール送るの好きだったじゃん。そんな内なる声が聞こえてきた。後になってから振り返ったとき、自分にとっての「あの夜を覚えてる」のうちの1つが今夜になるだろうな、と思ったりした。

大人になると、感情の表面に薄い膜のようなものができて、本気で喜びを表に出すことが減ってくる。年を重ねるにつれ、その膜はドンドン厚くなっていく。しかし、ラジオで読まれる喜びというのは、そういった膜をも容易く破るパワーを持っていると思っている。15才だろうが60才だろうが、ラジオで読まれると本気で嬉しいのだ。以前、ツイッターにも書いたことだが、ラジオで自分のラジオネームが聴こえてくる喜びというのは、何者にも代え難い脳内麻薬的な快感がある。「1回ラジオで読まれてみな、飛ぶぞ」と言いたい。

 

そんな感じで久しぶりにラジオに投稿する喜びを思い出させてくれたこの番組には、これからもメールを出していきたいと思っている。佐久間さんに名前を覚えてもらえるところまではいきたいかな。
と、最後の方は少し熱くなってしまったので、最後に締めの一曲。槇原敬之で『もう恋なんてしない』