ラジオネームと住所

2つ前の記事で、10年ぶりにラジオ投稿を再開したことについて書いた。
久しぶりに投稿していく中で、「ああ、この感じ懐かしいな」と思うことがいくつかあった。今回はその中の一つ、『ラジオネームの前に住所が読まれる』ことについて書きたいと思う。

 

ラジオ番組には、お便りを読む際に、ラジオネームしか読まない番組と、ラジオネームの前に都道府県名、または市区町村名までを読む番組がある。私は、どちらかというと後者の番組に投稿することが多かった。というより、昔のAMラジオは住所を読む方が主流だった気がする。初めてネタハガキを書いた北海道の番組もそうだったし、学生時代に毎週投稿していたTBSラジオの『コサキンdeワオ!(以下、コサキン)』や『伊集院光 深夜の馬鹿力(以下、馬鹿力)』もそうだった。同じ並びでやっていた『爆笑問題カーボーイ』だけは、リスナー自らが率先して個人情報をバンバン開示する割に、なぜか住所は読まなかった。一番住所を読みそうな番組なのに。
ちなみに、2022年現在、馬鹿力ではリスナーの住所を読んでいない。これは、2005年に施行された個人情報保護法の煽りを受けたことによる影響である。当時の放送では、伊集院さんがフリートークの中でチラッとそのことについて触れており、「これからは、送られてきたネタの住所部分は作家が削除し、ラジオネームとネタだけが伊集院光の手元に送られるようになります」といったことを説明していた。で、その放送あたりから副次的に住所も読まなくなった。この話を聞くと、「じゃあ他の番組もそういう風にしないといけないのでは?」となるのだが、私はラジオ制作に関わる人間ではないので、その辺の内部事情までは分からない。うちはうち、よそはよそ、ということなのだろうか。
別記事のラジオ投稿記にも書いたが、私は馬鹿力への投稿を2003年頃から10年近くやめていたので、そういう意味では、住所を読む番組に最後に投稿してたのは20年近く前ということになる。もう長いこと、自分の住所をラジオから聴くことはなくなっていた。

 

「住所が読まれると何か違うの?」と思われる方がいるかもしれない。実際、聴くだけリスナーの人からすれば、投稿者の住所など露ほどにも気にならないことだろう。しかし、投稿してる側からすると、住所が読まれることで心の動き方が大分変わってくる。
ラジオネームだけ読む番組の場合、即座に自分のネタだと確定するので、「よし、読まれた!」と喜ぶタイミングが早い。これが住所を読む番組の場合、住所が読まれた時点で自分のネタだと確定しないことが、ままある。特に東京都など、番組がネットされていて人口が多い地域に住む人の場合、たいてい自分以外にも読まれる候補者がいる。候補者は皆、さながら競技クイズで確定ポイントを見極めるクイズプレイヤーのごとく、パーソナリティーが読み上げる次の1文字を、張り詰めた緊張感の中で待つのである。かくいう私も、クイズプレイヤーの顔をしながらコーナーを聴いていた時期があった。
あれは個人保護法が施行される前の馬鹿力に出していた頃。高校を卒業して会津大学に通っていた私は、住居を新潟から福島に移していた。当時の馬鹿力は福島県ハガキ職人が多く、ある日の放送中に伊集院さんが「この番組、福島のリスナー多くない?」と言うほどだった。当時、福島の常連リスナーは、私が記憶している限り3人いた。当時の私は全然読まれないC級ハガキ職人だったので、他のお三方の足元にも及ばなかったが、それでも「福島県」という単語が聞こえてくると背筋がピンと伸びた。そのお三方のうちの1人に、当時ネット上でもよく絡ませてもらっていた『ふしだらを声高に』さんという方がいた。この方に関しては、「福島県 ふ」まで私と読まれ方が同じなので、最後まで気が抜けなかった。次の文字が「し」なのか「じ」なのか、耳をダンボにして聴いていた。まぁ読まれるのは8割方ふしだらさんなのだけど。逆に残りの2割に当たったときは、スロットでスリーセブンが揃ったときのような快感を覚えていた。
ちなみに、実家の新潟に住んでいた頃にも、新潟県の常連で『主任運転士』という方がいて、その方が読まれるときもクイズプレイヤーの顔になっていた。最初は「なんでネットしてない新潟でこんなに出してる人がいるんだ!」と思っていたが、「それはお前もだろ」と今になって思う。


逆に、北海道のラジオに投稿していた頃は、新潟は自分だけだった。今のようにradikoもなければインターネットもそこまで普及していない時代だったので、わざわざ本州から北海道のローカル番組にハガキを出す人間は珍しかったのだ。なので、パーソナリティが「続いては、新潟県...」と読み上げると、その時点で自分のネタ確定だった。住所の時点で自分だと分かると、ラジオネームが読まれる前に一呼吸空くので、ほんの少しだけ心の準備ができる。これは県(または市区町村)が一意な人だけに与えられた特権なのだ。で、そういう人が常連になると、住所とセットでその人のラジオネームを覚えるようになる。前述の馬鹿力では「宮城県」「愛知県」「富山県」あたりの住所を聞くと、百人一首の上の句を読み上げられたような感覚になる。ただ、先ほども書いたが、こんなことを覚えるのは、1ネタ1ネタ注意を払ってラジオを聴いているラジオ投稿者だけである。

 

新潟、福島ときて、今は東京都北区に住んでいるのだが、今年の6月頃から投稿するようになった『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』では、やはりというべきか、東京都でかぶる率が高い。加えて、この番組は東京都までしか読まない場合と、区まで読む2パターンがあるので、あまり味わったことのない肩透かしを食らうことが多い。先日、妻から「なんで北区まで読まれるの?」と聞かれたのだが、(市町村以外の)区だけは読むというルールなのかもしれない。ただ、以前の放送で東京都までしか読まれなかったこともあるので、住所を読む基準はけっこう適当な可能性もある。ちなみにこの番組、東京都以外では、群馬や島根の方が意外と(?)送っているようだ。香川は1人だろうか。これだけで誰だか特定できる人は現LFのラジオ投稿者だろう。

 

SNSが広まってからというもの、ラジオ投稿者の人をネット上でたびたび見かけるようになり、存在を確認できるようになった。それより前の時代は、「このラジオネームの人ってほんとに存在するのだろうか?」という気持ちを少なからず抱えながらラジオを聴いていた。ラジオネームというのは無機質なものだ。だが、そこに住所が加わると、とたんに認識が変わってくる。どんなに変なラジオネームの人でも「へぇ。この人、札幌に住んでるんだ」と、少し人間味が出てくるのだ。遠い空の下で、同じ番組を一緒に聴いているんだ、という実感が湧いてくる。そして、その人の住所が急に変わったりすると、「この人、社会人になって東京に出てきたのかな」なんて想像を巡らせたりすることもある。実際、コサキンに投稿していた頃、自分の住所が新潟から福島に変わったタイミングで、小堺さんに「あれ、藤井くん住所変わった?新潟だったよね。一人暮らし始めたのかな?」と気付いてもらえたことがあった。最近だと、東京ポッド許可局で、ファンタスティック原田さんの住所が鳥取県になったことに気付き、「ああ、そういえば原田さん、家庭の事情で地元に帰られたんだったなぁ...」と思いを巡らせたりした。こういう、住所によってつながるラジオ投稿者だけの不思議な連帯感というものが、確実に存在するのである。

 

『ラジオネームと住所』という非常にニッチなテーマで一本書いてみた。世の中には、こういう細かいことに思いを馳せながらラジオを聴いている人間がいることを頭に入れておくと、また違ったラジオの楽しみ方ができるかもしれない。