ニシエヒガシエ

「もう少し勉強しておけば良かったな」と昔を振り返ることが、たまにある。
かといって、今更、学生に戻るのは死んでも御免なのだが、仮に勉強をやり直せるんだったら、小学生ぐらいからやり直したい。おそらく、その辺の時期に染みついた勉強に対する姿勢や考え方が、今の自分の中途半端な学力、延いてはダメ人間気質に繋がっている気がする。

学力というのは、基礎知識の蓄積で成り立っているものであり、土台がしっかりしていないと、その上に乗る応用的な知識も、非常に不安定な代物になってしまう。極端な例を挙げると「左」と「右」を幼稚園のときに正しく覚えなかった人は「じゃあ次に、方角を覚えよう」というときに、躓くことになる。

こういった、応用的な知識を身に付ける上で、覚えなくてはならない素因数分解した言葉というのは、ただひたすら暗記するしかない。この段階で躓くと、非常に面倒なことになる。「右って何?」と聞かれたところで「昔の人がそう決めたことだから」としか答えられないし、「何って何?」みたいなことを言われたら、これはもう禅問答の領域だ。もしくは、「お、キミ、詩的だね」なんて言ってしまいそうになる。プリミティブな言葉というのは、往々にして由来がハッキリとしないものだ。興味を持って覚えろ、という方が無理な話かもしれない。
脳内辞書で割と初期の方に埋まるべき単語が、虫食い状態のまま成長していくケースというのは、決して稀ではないと思う。RPGで、最初の方に取るべきアイテムを、物語の大分後半になってから、「あ、こんなところにあったんだ」と見つけるみたいな感じ。

自分の場合、「左」と「右」は問題なかったのだが、「東」と「西」がダメだった。
恥ずかしい話だが、中学の始めくらいまで、東と西を割とあやふやに覚えていた。そのせいか、1度、地理のテストで目も当てられない程の点数を叩きだし、親に、こっぴどく叱られたことがあった。『太陽がどの方角から昇って、どの方角に沈むか』というのは、自分が通っていた小学校の校歌の出だしが「東の空に昇る日を~」だったので、自然と頭に刷り込まれていたのだが、「北を上、南を下、としたときに、東と西が左なのか右なのか」ということを、正しく理解していなかった。「北極を上として考えたときに、地球は反時計回り(左回り)で自転してるんだから、左は西だろ」と、中学生までに習った知識を総動員させれば分かりそうなものだが、その辺りが自分の中で繋がっていなかったんだろうな、と思う。
「知識は合わせて覚えた方が理解が深まるんだ」と、気付いた頃には、もうだいぶ大人になっていた。

そういえば、大学時代に物理の授業で、物体の運動の公式を導き出すのに、微分積分が登場したときには、「ああ!微分積分って、このために使うんだ!」と、少し感動した覚えがある。「この路地から入ると、この通りに出るんだ!」みたいな、頭の中で点と点が繋がる感じ。高校のときに張られた伏線が回収されたような気分だった。ロマサガ3だったら、間違いなく頭の上に電球が出ていた。
高校時代は、微分積分なんて、何のために勉強するのか全く分からずに、ただただ解き方だけを覚えていたが、先ずにこういうことを教えてくれればいいのに、と思ったものだ。いや、もしかしたら、教えられたのにスルーしていただけかもしれないが。

「どうして学ばなくてはいけないのか」ということを理解できるだけの知識を早く身に付けることが、イージーモードで人生を歩んでいく上で大事なことなのではなかろうか、と劇団員が言っているー。