童貞について

最近、あまりに文章を書いてないので、ブログの更新頻度を少し上げていこうと思う。

先日、友人と呑んでいるときに、「童貞って、すぐ女を好きになるよね」という話になった。『童陰(※童貞が女を好きになる速さ)矢のごとし』という古くからの諺にもある通り、こちらがほんの少し目を離した隙に、光の速さで女性に恋してしまうのが童貞という生き物だ。

かくいう私も、そんな時期があった。箸が転がっても恋する高校(童貞)時代、ネットを通じて知り合った年上の女性とメールを交わしているうちに、電話はもちろん、顔すら知らない相手に対していつの間にか恋心が芽生え、いてもたってもいられずに深夜のテンションにまかせてメールで告白した挙句にふられ、最終的に連絡が取れなくなる、という、甘酸っぱい、というには程遠い、思わず胃酸が込み上げてくるような苦い経験をしている。

今思い返しても、なぜあんな勝率0.1%未満の勝負に挑んでしまったのか、謎でしょうがない。少年漫画だったら間違いなく勝利する熱い展開なのだが、現実というのは童貞には優しくないようだ。

童貞は何故にこのような失敗をおかしてしまうのだろうか?

童貞期 (今、『童貞器』と変換された。卑猥。) というのは、理想の女性像が、漠然とだが自分の中に存在している。そして、知り合った女性に対して、その理想成分が、ほんの1%でも含まれていたら、それ以外の部分を妄想で自分の都合の良いように埋めて、「ああ、この人こそが理想の女性なんだ!」もしくは「この人だったら、俺のことを受け入れてくれるかもしれない!」といった勘違いを引き起こす、自動妄想補填装置が備え付けられている。
そのぶん、恋に落ちる速度も人一倍早い。「童貞と2人で呑むと、本当にすぐ「好き」と告白されるので、その度に「それはお前の勘違いだ!」と、論破するようにしている」という女性が知り合いにいるが、これも童貞ならではのエピソードといえよう。昔、某芸人のネタにもあったが、「5分話しただけで女の子を好きになってしまう」やつである。

普通は、女性と接していく中で、この補填装置が経年劣化で壊れていき、次第に女性のありのままを受け入れるようになるのだが、これが、なかなか劣化しない人がいて、そういう人こそが童貞、もしくはDT(童貞)脳を持っている人なのだと思う。

私の場合はというと、これまでの人生の中で、一応、人並程度には女性と付き合ってきて、それなりのエロ経験も積んできたつもりなので、多少、このDT脳細胞は消滅してしまったと思われるが、自分の話に5回同意されただけで相手の女性を好きになってしまう程度のDT脳は持ち合わせている。まだ大丈夫だ(何が?)。

ただ、それとは別に「もし自分が女だったら、想像力の逞しい童貞を弄んで観察してみたい」といったことを考えるようになってきたので、これはこれでおかしな方向に装置が故障したな、と我ながら思う。ただ、高校時代に『女家庭教師と男子生徒』という短編エロ小説を、男子生徒側ではなく、女家庭教師側の視点で書いていた時期があったので、その頃から幾分かねじ曲がった方向に装置が動いていた気もする。

最後に完全な蛇足として、世間一般的に、「曲がったキュウリも美味しい」と言われているが、実際問題、野菜が曲がるのは土の栄養バランスが悪いらしい。