ネット発信の言葉に対する距離の取り方

日々、ネットの海をあてもなく泳いでいると、色んな言葉、言い回しに出くわす。

2013年、2014年のネット流行語大賞から、いくつか例を挙げると、『バカッター』『あ・・・(察っし)』『ほんとそれ(ほんとこれ)』『「やっとあえたね」』『そっとじ』『草不可避』『壁ドン』『このあと滅茶苦茶セックスした』『オタサーの姫』などなど。既に死にかけている言葉もあるが、2015年現在、まだ割と見かける。
こういった俗語の卵が生まれたときに、それを抵抗なく受け入れ、自分の言葉として使える人・使えない人が世の中にはいると思う。

自分はというと、どちらかと言わなくても後者に属しているということは、このブログを読んで頂いている方には自明の理だろう。どうしてもライト感覚で使うことができない。といっても、人とのコミュニケーションにおいて、相手がその言葉を普通に使ってきたとき、頑なに拒絶するのは大人として如何なものか思うので、そういった場面では使うこともあるが、自ら率先して使うことは、まずない。これはおそらく、自分が普段使用している脳内辞書にその言葉を新しく書き込むことで、何かしら脳にバグが生じるのではないか、という不安を脊髄反射的に感じているからだと思う。

人間の脳なんていうのは、よくできているようで、実はだいぶ適当だったりするので、変なゴミが紛れ込んだときに、誤作動しないとも限らない。聞くところによると、人間の脳は、実際に口から発した言葉通りに体を操作してしまう、ということが証明されてるらしい。例えば、全然楽しいと思ってなくても「いやー、今日はとても楽しかった!」と何度も口にすると、脳がこの言葉を読み取って、自律神経系がこれを現実にするんだとか。ということは、「私は桐谷美玲なのです」と毎日鏡に向かって言い続けていれば、もしかしたら桐谷美鈴になれるかもしれない。体は荒俣宏、心は桐谷美玲みたいな (完全に余談だが、昔、Qさまの前身番組で、自分を松浦亜弥だと思い込んでいるオッサンが出た回を思い出した。ギリギリだったなアレ)
「言葉には魂が宿っている」と言うが、そういう意味で、これはあながちウソではないと思う。

で、そんな新語を全く受け付けない頑固脳なのだが、10年ぐらい経つと「ああ、これは完全に一般用語化したな」と書き込み要求を受け付けてくれるようだ。例えば『アウェイ』(2005年生まれ)や『アラサー』(2006年生まれ)などなど。この辺の言葉は、既に、造語という意識がないほど一般用語化していると思う。

去年あたりから一般用語の領域に片足を突っ込んだと思われる『リア充』という言葉があるが、これは「(いわゆる世間で言われているところの) 」といった枕詞を、心の中でそっと頭につけてないと、正直まだ口にするのが恥ずかしい。自然に口にできるまで、あと5年はかかりそうだ。まぁ、5年後には、その言葉自体が死んでるような気もするけど。

ネット発信の言葉そのものに対する違和感もあるのだが、それよりも、『ネット発信の言葉を何の違和感もなく使う人たち』に違和感を覚える。
これは別に、コミュニティ内部での共通言語、いわゆる仲間内だけでの流行り言葉みたいなものを、閉じた空間の中で使う(例えば、何かのアニメが好きで、そのアニメに出てきたセリフや、特有のネタを仲間内で話す)ような場合は、全く問題ない、というか、それは極めて自然なことだと思う。むしろ、それは自分もするし。
その仲間内だけで流行っている言葉を、さも「みんな、知ってるよね?」的な感じで公の場で使うことや、その元ネタをよく分からないのに、なんとなくノリで使ってる人を見ると、「うーん」となるのである。まぁ、新しく生まれた言葉なんてものは、そういう風にして、徐々に浸透いくものなのだと言ってしまえばそれまでなのだが、やっぱり何か心にひっかかるものがある。

以前、ネット用語に対して某ラジオ番組で、爆笑問題の田中さんが「『ワロス』ってなんだよ、もうホント気持ち悪い」と言っていたり、オードリーの若林さんが「『~ですね、わかります』って言い回しあるじゃん。何あれ?気持ち悪い」というようなことを言ってた。別に、これに完全同意するわけではないが、ネットを殆どしない人からしたら、そういう得体の知れないものを見るような感じに映るということだ。ただ、実際、こういう人たちは、そういう目で見られている自覚があって使っていると思っている。その辺の自覚がなくなるとまずい、という話で。

と、色々言ってきた私だが、妖怪ウォッチに少しハマってた頃、コマさんがたいへん可愛かったので、色んな人に「もんげー!」を使っていた。しかし、これは完全に妖怪のせいなので全く問題ない。

謹賀新年

1ヶ月半ほどブログを放置していた。
とりあえず、生存確認の意味で少し更新しておく。

本当は、年始年末の間に1回は更新しようと思ったのだが、度重なる布団の襲撃に為す術も無くやられ、いつも気がつくと天井を向いてスヤスヤ寝ているという始末で、全く更新ができる状態になかったからである。いやはや、実家というのは、人間のやる気を吸い取るガスみたいなものが、色んな場所から噴き出しているに違いない。
そんな半死人みたいな生活を送ってるうちに、2015年が明けてしまった。

2015年と聞くと、すごく近未来な感じがするのだが、そこまでピンとこないのは、おそらく、自分の中で、「2000年がついこの前」ぐらいの感覚だからだろう。職場で私より10歳近く上の先輩は「90年代はまだ最近」と言っていたので、小学校の頃ぐらいで初めて『昔』なのかもしれない。

当たり前のことだが、2000年代に突入してからもう15年も経つことになる。世紀末に生まれた子供が、そろそろ盗んだバイクで走り出す頃だ。従姉の息子も、今年で高校1年生なので、もうそろそろ校舎の窓を破壊して回るかもしれない。今、ちょうど反抗期らしいし。
脇道に逸れるが、年始にイトコの家にいったときに「○○君って、反抗期あった?」と聞かれた。そのときは「多分、あったと思いますけど、ハッキリとは覚えないです」と答えたが、よくよく考えたら、正月に親戚からお年玉を貰い「ほら、ありがとうは?」と親に促されたときに、「(ありがとうと言うくらいなら) じゃあいらない」と突っぱねてたりしたので、それが反抗期だったのかな、と思う。もっとも、それはまだ小さい頃だったので、プレ反抗期みたいな時期だったのかもしれないけど。

で、そんな2015年の目標としては、まぁ、今日、職場で挨拶するときに色々と言ったのだが、ざっくり言うと、『ちゃんとする』。

ダメ人間「早くちゃんとした人間になりたーい!」

生きる

「表面だけ見ると、周りは楽そうに生きてるけど、やっぱりみんな大変だし、生きるのに一生懸命なんだよね」

といった話を、最近した。そのときは、「ああ、確かにそうだよなぁ」と、しみじみ感じずにはいられなかった。年齢的なものもあるのだろうが、このところ、そんなことをよく思うようになった。
ふてくされてばかりの十代を過ぎ、ふんべつをついて年をとり、あれよあれよという間に、甥っ子からオジサンと呼ばれてもおかしくないぐらいの年齢になってしまったが、心なしか、生きることに対して一番めんどうな時期に差し掛かったのではないか、と思っている。

『生きる』というのは本当に大変だ。

生きる、と聞いてパッと頭に思い浮かぶのは、谷川俊太郎の『生きる』という詩だ。
タイトルだけ見ると、どこか哲学めいたものを感じさせるが、そういう堅苦しいものではなく、「生きているとはこういうことなんだよ」と読者に「生きている」ということの具体例を提示することで、読者自身に生きることについて考えさせる、といった内容になっている。
震災を機に、様々な場所でまた読み直されているという話を聞くが、50年以上も前に作られた詩が、今もなお読まれているというのは、それだけ内容が普遍的なのだろう。
この『生きる』という詩は、たまに、ふと読み返したくなって、ぼんやり眺めたりすることがある。自分が今、生きてることに対する実感というのだろうか、日常生活の中で当たり前になっている様々な事象を、そのまま日常の中に埋もれさせるのではなく、その一瞬一瞬が、かけがえのない大切なものだと再認し、「ああ、自分は生きてるんだなぁ」と、新しい明日への活力に・・・みたいなことを書きだすと、とたんにきな臭い方向に行ってしまうのだが、それでも、たまに、生きることについて考えることは、悪くはないと思う。

ちなみに、この詩を読むにあたって、未だに謎なのが、
「いま生きているということ それはミニスカート」
と、詩の序盤から、いきなり『ミニスカート』という、中学生男子だったらそれだけで御飯が1杯食べられそうな単語が出てくることだ。
スタバにノートPCを持ち込んであれやこれや考えていた谷川俊太郎が、午後の授業をサボってたむろしている女子大生の太腿を見ながら、「ああ!これだ!」と、思いついたのだろうか。もしくは、『ライナスの毛布』よろしく、常に片手にはミニスカートを抱えて生活していたのか。はたまた、谷川俊太郎の主食がミニスカートだったのか。真相は分からない(おそらく美しいものを表す比喩的なことなんだろうけど、十数年経っても、これだけ耳に残っているということは、それだけでもう、谷川俊太郎の勝ちなんだろうな、と思う)。

私がこの詩を知ったのは、小学六年生のときだった。
卒業式の後に行われた六送会(六年生を送る会)で、自分を含む六年生一同が、保護者、及び先生の前で『生きる』を朗読した。一節ごとに一人ずつ担当が割り振られており、
「いま地球が廻っているということ」
「いまどこかで兵士が傷つくということ」
と、生徒が順番に大きな声で呼びかけする、という内容だった。
この『生きる』の呼びかけの練習時のエピソードで、かなり鮮明に覚えているのが、「かたつむりははうということ」担当だった鶴巻君のことである。
詩の終盤に「かたつむりははうということ」という一節が出てくるのだが、鶴巻くんの「かたつむり」のイントネーションがどこか変で、思わず皆が「フフフッ」と笑い出してしまう、という事態になった。鶴巻くん本人は、別に皆を笑わせるつもりなど毛頭なく、「え、何がおかしいの?」と、キョトンとしている様子だった。

この後は、NG大賞でよく見られる、『ツボにハマった女優が噴き出すのを堪えきれずにNGテイクを繰り返す』と同じような流れになり、何度やっても、鶴巻くんのところで引っかかって皆が笑い出すようになり、最終的に鶴巻くんが泣き出すというところまで発展し、ついには「鶴巻くんのところで笑わないように!」と、先生から指示が入るようになった。その指示が入ることにより、鶴巻くんがより泣いたのは言うまでもない。
まさに、「生きるのは泣けるということ」を体現していた。
先日、道端で「いやだー!」と大声で泣いて、母親から叱られている子供を見かけたが、そのときは「大人になったらもっとイヤなことが死ぬほどあるよ」と心の中で呟いて、心の中でそっと少女の頭を撫でてやった。生きているとイヤなことも多いが、それを声に出して言うと、余計にイヤなことになって自分に降りかかってくる。

最終的に何が言いたいかというと、「ピエロだって舞台裏では泣いてるんだよ」みたいなことを考えながら人のtwitterを見ると、切なくなるのでやめよう、という話。

ラジオ番組の最終回について

ラジオ番組の最終回についての話。

先日、『ナインティナインのオールナイトニッポン』の最終回を聴いて、「ああ、ラジオ番組の最終回ってこんな感じだったなぁ・・・」と少しセンチメンタルな気持ちになったのと同時に、"ラジオ番組の最終回を真っ向から受け止める"ということが、社会人になってからほぼ皆無になったことに気付いた。"真っ向から受け止める"というのは、番組の聴き始めの頃からそのままずっと熱心に番組を聴き続け、ヘビーリスナーのまま最終回を迎えるということだ。

新しく番組がスタートしたときに、パーソナリティから「最後まで一緒に走ろうね!」と肩を叩かれ、「うん!モチロン!」と元気よく返事をしたものの、あえなく途中リタイアした番組は星の数ほどある。しかし、ゴールテープを一緒に切り、涙を分かち合った番組というのは極めて少ない。特に、ここ数年は「あれ?いつの間にゴールしてたの?」と、番組の終了自体を知らなかったことすらある。最終回までずっと聴き続けるというのは、番組に対する深い愛情が必要なのはもちろんのこと、私生活において肉体的・精神的な余裕がないと難しい。

『毎晩、寝る前に必ず30回腹筋をする』ということを習慣づけるのが難しいように、番組を聴くことを完全に日常生活に溶け込ませるには、非常に長い時間が必要だ。
まず、聴くことが習慣になるまで、自分の中のオモシロ周波数と番組のオモシロ周波数がシンクロし続けなくてはならない。ずっとシンクロし続けていていれば問題ないのだが、年齢による価値観の変化だったり、番組の方向性の転換だったりで、途中、周波数が合わなくなり、聴くのをやめてしまうことが、ままある。また、それ以外にも、進学や就職活動など、私生活で大きな変化が起こった時に、止むを得ず聴くのを断念することもある。まぁ、大方は後者だと思うけど。特に、就活を機にラジオを聴くのをやめるという人が多いように感じる。

かくいう私も、就活を境にラジオ番組から離れた時期がある。高校の頃アホみたいに熱狂して聴いていた『コサキンDEワァオ!』ですら、番組の後半は就活の時期と重なり、結局そのままフェードアウトしてしまった。うろ覚えだが、最終回もまともに聴いてなかったと思う。コサキンリスナー失格である。
で、それから何年かして、投稿を再開したのを境に、またラジオを聴き始めたのだが、サラリーマンとしての生活リズムもあり、習慣的に聴くラジオ番組はめっきり減ってしまった。今、必ず聴くラジオは、TBSラジオの『JUNK』の月火木と、文化放送の『洲崎西』ぐらいである。放送第一回目から聴いていた『A&G超RADIO SHOW~アニスパ!~』も、随分前に聴くのをやめてしまったし、毎週欠かさず聴いていた『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』も、最近はあまり聴けていない。
経験上、「録音して、後からまとめて聴こう」と思ってる番組ほど、リタイア率が高い。逆に、「絶対にリアルタイムで聴く!」と決めている番組は、未だに継続して聴いている。これはラジオに限らないかもしれない。

そんな現状と比べて、自分が学生だった頃は、ラジオなしでは生きていけないほどラジオを聴いていた。そして、自分が愛聴していたラジオ番組が終わるときは、本当に悲しかった。
学生の頃というのは、テレビでも本でも音楽でもそうだが、何か1つのことに傾倒して、「これが自分の全てなんだ、これがなければ生きていけないんだ!」と錯覚することが多い。それが、いわゆる中二病の温床になったりするのだけれど、ラジオというのは、とりわけ自分を投影しやすい媒体で、『自分とパーソナリティは心と心で繋がっている』だとか『私の本当の居場所はここだけ』だとか、投稿が読まれた日には『こんなちっぽけな自分の存在が証明された』みたいな、BUMP OF CHICKENの歌詞のようなことを考えたりして心が高揚し、自分一人の世界に入るという病状が多数報告されている。
で、そういった状態でゴールテープを切ると、何もかもを失ったような喪失感が重く心に圧し掛かり、生きる意味を見失う、というレベルまで心が沈むことになる。そんなことを何度も何度も繰り返して、人は大人になっていくのである(違)。

ナイナイのオールナイトの最終回では、出待ちが何百人もいたらしい。これを聞いたときに「深夜の馬鹿力とか、爆笑問題カーボーイが終わったとき、果たして自分は出待ちに行くのだろうか」と考えたが、おそらく出待ちには行かず、部屋を真っ暗にして、ヘッドホンを付け、高校時代と同じスタイルで聴き、そのまま寝るんだろうな、と思う。それが、一番自分らしいかな、と思う (多分、これは中二病)。

セミが触れない

いつからだろうか、セミが触れなくなった。

「ジジジ・・・」という機械音にも似た声を響かせながら、中空を縦横無尽に飛び回り、急にピタッと木に止まる、あのセミの一連の動きを見ているだけで軽く鳥肌が立つほど苦手になってしまった。

子供の頃は全然平気で、むしろ率先してセミ採りをしたり、自由研究でセミの羽化を観察したりしていたのだが、いつの間にか、『私の中の気持ち悪い虫ランキング(オリコン調べ)』のかなり上位までセミが食い込んできていた。初動はそうでもなかったが、演歌のような売れ方で、じわりじわりと上りつめて、現在は単独2位である。
(ちなみに、1位はカタツムリ。カタツムリは小学生の頃からダメで、特に殻のグルグルがとにかく気持ち悪くて仕方なかった。殻が割れてるカタツムリなんぞ見た日には、思わずケロケロケロッピしてしまいそうになる程キツかった。あれは何というか、映画『食人族』でカメの甲羅を剥ぐシーンにも近いグロさを子供心に感じていた。)

セミが触れないとハッキリ自覚したのは大学の頃だったと思う。
うちの実家の周りは、栗の木に囲まれており、あちこちセミが飛び交っているのだが、その日の夜、たまたま網戸を少し開けていたせいで1匹のセミが私の部屋に闖入してきた。この時点で、既にパニックホラーなのだが、そのセミは、音もなく部屋の土壁にピタッと止まり、「お前が動けばオレも動くぞ」といった空気を醸し出しながら、少し背伸びすればギリギリ手が届くぐらいの高さから、私を見下ろしていた。
「そっと捕まえて、外に逃がそう」と思っている心とは裏腹に、体は全く動かず、このとき初めて「あ、オレ、セミ触れない」と悟った。そのときは、近くにあった小型のエアガンを手に持ち、どうにかセミを撃ち落としてやろうと考えたのだが、BB弾はセミの胴体に掠ることもなく虚しく空を切った。その攻撃に対して怒ったセミは、錯乱したように部屋の中を飛び回り、その後はもう地獄絵図だった。最終的に逃がせたかどうかも、よく覚えていない。ただ、これを機に、セミに自分から近づくことはなくなった。

そういえば、ついこないだ、実家に帰った時のこと 。親父が「道端で羽を痛めて飛べなくなってたから」とセミを拾ってきて、「ちょっと写真を取るから、セミ持ってて」と、狂気の沙汰としか思えないことを言い出したので、「無理!」と一蹴したが、大人になっても触れる人は触れるんだな、と思った。

もう夏も終わり、セミが仰向けになってドッキリを仕掛けてくる時期に入った。私はあれを心の中でセミコロンと呼んでいるのだが、ちょっと調べたところによると、生きてるかどうかの見分け方は、脚を伸ばして開いているものはまだ生きていて、曲げて閉じているものは死んでいるらしい。

まぁ、そんなことを確認できる余裕がないほど苦手な人は、遠くからBB弾を撃てばいいじゃない。

雑記

たまには写真付きのブログでも、ということで、お盆休み中に色々と行った場所を、写真と一緒に紹介したいと思う。

まず、日本橋のコレド室町でやっているアートアクアリウム展。
アートアクアリウムというのは、金魚や熱帯魚を使った水中アートのことである。夏になると決まって行われるこのイベント。何年前からやっているのか知らないが、去年あたりから足を運ぶようになった。

約5000匹の金魚がいるらしい。

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毎回、魅力的な仕掛けが作られている。

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これは去年もあった気がする。最上段に鎮座ましましている。

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私の中では、タマキンギョ、もしくは、フグリさんと呼んでいる。一年ぶりに会えたね。

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  去年来たときは、お土産に、でっかい金魚のぬいぐるみを買って帰ったが、今回はこのイベント限定のエナジードリンクを3本ほど買って帰った。まだ飲んでいない。 

続いて、前回のブログでも予告した通り、ウルフェス。これは4年前から毎年行っている。もう夏の恒例行事になりつつある。 お盆休みの真っ只中だし、ファミリーでごった返しているかな、と思ったが、そこまで混んでなかった。今回は、怪獣の展示物が例年より少なかったように思える。そういう意味では少し物足りなかったが、ヒーローショーは最初から最後まで観れたので、そこは満足。   ブースカがお出迎え。可愛い。

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キミにも読めるウルトラ文字。

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ふれあいステージでの一幕。マックスとメビウス

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子供と相撲を取るマックス。

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背後を取られるメビウス

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最終的に二人で相撲。

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この後は、ふれあいステージで引き続き人形劇『ウルトラP』のはじまりはじまり。オープニングで出てくるのが、毎度おなじみ、師匠ことケムラー。軽快なトークで子供の心を掴む。

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今回は、ゼアスがメインの人形劇。

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ヒーローショー。今年で35周年とかで、ゲストに『ザ☆ウルトラマン』が登場。周りの保護者のテンションが上がる。

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お土産コーナーの一角。前回より酒の種類が増えていた。

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戦利品。この日の夜に食べた、ひつまぶしと白焼きぐらいの値段だったのだけど、どうしても欲しかったので買ってしまった。

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続いて、渋谷ヒカリエの屋上でやっているモンハン展。
最初に受付で、『下位クエスト』と表紙に書かれた、折り畳みペラ1枚の紙を渡される。そして、展示物の中に隠されたヒントを見ながら、その中に書かれたクイズを解き(といっても、モンハンやってる人ならヒントなしでも分かるクイズだが)、出口で渡すと、クエストをクリアしたというハンコを押してもらえる。で、次回入場するときにそれを持っていくと、上位クエストを受けられるようになるらしい。以前、ドラクエ展に行ったときも同じようなシステムだったので、ゲーム系の展覧会ではお決まりなのかもしれない。
 
近くで見ると、なかなか迫力があるゴア・マガラ

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武器の展示。フルフルフルートを使いたい。

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4Gに登場する新モンスター。千刃竜・セルレギオス

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  ちなみに、会場では、このイベントでしか手に入らないダウンロードクエが用意されていた。ダウンロードクエの内容は、闘技場のリオレウス1頭、乱入あり。その日の夜、試しにと、久々にモンハンを起動したが、腕がなまっていたせいか結構キツかった。

続いて、自分の中では毎度おなじみ、サンシャイン水族館
池袋にのサンシャインシティの屋上にある、天空のオアシスこと、サンシャイン水族館。家から池袋まで結構近いので、よく足を運んでは水槽をボーっと眺めている。今回は、年間パスポートの更新も兼ねて行った。ちなみに、年に2回以上行くなら、年間パスポートを買った方がお得だ。   みんな大好き、タカアシガ二。

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この水槽の前でボーっとしてるのが至福のとき。

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サンシャイン水族館に関しては、しょっちゅう行ってるので、あまり写真は撮らなかった。
で、そのサンシャイン水族館の隣で現在やっているのが『もうどく展』。
閉館ギリギリの時刻に行ったのだが、それでもかなり混んでいた。この感じだと、前回の『へんないきもの展』と同様に、展示期間が延長されると思われる。   オーストラリアに住むエイの仲間らしい。

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アデヤカキンコ。カラフルなナマコ。

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世界最大級のやばいクモの割に、毒レベルは低め。

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ファンタジーではお馴染みのマンドラゴラ。

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ウナギにも毒あるんだよね、確か。

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ラストはスベスベマンジュウガ二。

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混んでたこともあり、ちゃんと撮れたのが少なかったので、気になる方は、直接足を運んでみては。
というわけで、今回は写真メインの雑記でした。

愛すべき怪獣たち

先日、『世界ふしぎ発見』で特撮の神様・円谷英二の特集をやっていた。それを観たせいか、久しぶりにウルトラマンが観たくなり、DVD-BOXを買おうかどうか迷っている。多分、買う。

ウルトラマンを初めて観たのは、いつ頃だっただろうか。もう遥か遠い昔のことなので、記憶も大分おぼろげなのだが、幼稚園とか、小学校低学年の頃だったと思う。

昭和のヒーローをリアルタイムで観ていた世代ではないため、視聴は主にテレビの再放送かレンタルビデオだった。借りる店は、うちの実家と昔から懇意にしている電気屋が営む、こじんまりしたレンタルビデオ屋だったのだが、残念なことに、そこはウルトラマンシリーズの新作をあまり置いてなかった。

ウルトラマンシリーズの中に、『人間の姿のときは教師』という斬新な設定で始まった『ウルトラマン80』という作品がある。物語の中盤、教師と地球防衛軍の二足のわらじがキツくなり、結局教師を辞めることになるのだが、その店は教師編までしか置いてなかった。そのため、ある程度大人になってから初めて辞めた事実を知ることになり、「ああ、教師、辞めちゃったんだ・・・」と、まるで旧友が退職したような気持ちになったりもした。
おそらく、ウルトラマンシリーズの中で、最後まで通して観たのは、その店で品揃えが充実していたウルトラマンAぐらいだと思う。

で、そんなわけで、各ウルトラマンシリーズの本編は未だにちゃんと観ていないのだが、親から買い与えられたウルトラ怪獣大百科という夢の本があったので、大まかな本編の内容と怪獣の外観は、知識として頭の中に入っていた。まだ本編で見たことのない怪獣を見る度に、「どんな怪獣なんだろう、ビームとか出すのかなぁ、ビーム良いなぁ、ビーム」などと、あれこれ頭の中で思い描くのが楽しかった。
そんな、脳からとめどなく湧き出てくる空想汁を、脳内だけに留めておくことができなかったのか、小学校低学年のときは、自由帳に、既存の怪獣のみならず、自分オリジナルの怪獣を描いては友達に見せたりしていた。そのときのエピソードとしてよく覚えているのが、バラの花をモチーフとしたオリジナル怪獣『バランガス』を描いた数日後のこと。レンタルビデオ屋で、ウルトラマンGを借りて観たところ、なんと本編に同名の怪獣が出てきたのだ(もちろん、バラの形状などしていないが)。で、当時小学生の自分は何を思ったか「うぁ!パクられた!」と、えらく憤慨した。そもそも、こんな新潟の片田舎に住む小学生のガキが描いた落書きを、円谷プロがパクるなど、どう考えても有り得ないのだが 、そのときは、友達にも「ちょっと聞いてー、オレの怪獣、パクられたわ」と、怒りと自慢が入り混じったような口調で吹聴して回ったのを覚えている。色々と痛い子だった。

あと、当時、自分の中で『一つ目』ブームが起こり、一つ目の怪獣をよく描いていた。小学生のときは、テストで余った時間に、余白に好きな絵を描いたりしてもいい、ということが皆の中で暗黙のルールになっていたので、余白にびっしり目玉を描いたりしていた。今改めて考えると、先生から、何か心に問題を抱えた子供と思われていたかもしれない。

当時の自分のように、昭和の怪獣には、子供を虜にする魅力がふんだんに詰まっていたと思う。初代ウルトラマンからウルトラマン80までの、所謂『昭和のウルトラマンシリーズ』に登場する怪獣は、現在のチビッ子たちにも人気が高い。

去年、ウルフェス(※TBSが主催しているウルトラマンを題材にしたフェスティバル)に行ったときのこと。場内に懐かしの怪獣の映像が流れていたとき、自分の近くにいた5歳ぐらいの男の子が「あ!キングジョーだ!」と、40年以上前の怪獣の名前を当たり前のように口にしている姿に、少し感動してしまった。キングジョーは、後にキングジョーブラックとして平成時代に再登場したので、それを観て知ったか、もしくはウルトラマン好きな父親がオリジナルを観せたのか、はたまた父親がキングジョーの末裔なのか。まぁいずれにしても、「怪獣は世代を超えて愛されてるんだなぁ」と、しみじみ感じた。余談だが、改造パンドンとか、改造ベムスターとか、一度倒した怪獣が復活して再登場するという展開 は、何故こんなにも心躍らされるのだろうか。それは大人になっても変わらず、ウルトラマンマックスや、ウルトラマンメビウスなどで、昭和の怪獣が復活するのを聞いたときは「ずるいぞ!そんなことされたら、ワクワクしちゃうじゃないか!」と思ったものだ。男なら分かってもらえると思う。

今年もウルフェスの時期がやってきたので、また沢山の子供に囲まれながらヒーローショーを見てこようと思う。