残りの25曲

前回(http://fujikiku.hatenablog.com/entry/2015/05/12/231542)の続き。
書いておきながら、アップするのを完全に忘れていた。案の定、コメントを書きながら、「あ、そういえば、これもあった!」と思い出したりしたが、また書き直すのも面倒だし、きりがないので、このままで。

■ Jasmine/佐藤聖

認知度はあまりないと思うが、佐藤聖子を好きになったきっかけの曲。少しハスキーで伸びやかな歌声に、一気に惹きつけられた。それにしても、『作詞 西脇唯』というのは、何か心ときめくものがある。


■ RADIO/JUDY AND MARY

この曲がリリースされてほどなくした頃、ラジオ強化月間とやらのテーマソングとして、やたらラジオで流れていたのをよく覚えている。声は電波に乗って~。


■ ハチミツ/スピッツ

中学の頃、親父に「『空も飛べるはず』が入ってるアルバムを買ってきてほしい」と頼んだところ、「無かったから」と言われて渡されたアルバムが『ハチミツ』で、以来ずっとローテーションで聴いていた。


■ 幸せの花束/そのざきみえ

(これ、別に50曲の中に入れなくても良かったのだけど)
昔、文化放送の『同級生~恋愛専科』というCM中によく流れてて、サビの歌詞だけボンヤリと頭に残り、曲名が分からないまま10年が経過し、最終的にネットで調べてようやく判明した曲。


■ 街/SOPHIA

SOPHIAといえば街、街とえばSOPHIA。カラオケで、この曲を歌い終えたときのカロリー消費量たるや。この頃の松岡充が一番カッコいい。


■ 少年期/武田鉄矢

どうして大人になるか分からないまま、大人になってしまいました。


■ FEEL ME/谷村有美

曲というか、ライブ映像と曲が合わさった時の、なんともいえない胸が高鳴る感じが好き。昔のライブビデオでよく見られる、『同じ曲を歌っている色んなライブ映像を切り貼りする』みたいな編集が好きで、FEEL MEはこれが特に秀逸。


■ シンデレラの勇気/谷村有美

ライブビデオ『feel mie special sound picnic』の中で、シンデレラの勇気を歌う有美さんが本当にカワイイ。あの笑顔を見る度に癒される。曲自体は、最初はそんなでもなかったが、何度も聴いてるうちに好きになった。


■ 空と君のメッセージ/ChouCho

今回あげた50曲の中では、最も新しい曲で、アニメ『翠星のガルガンティア』のEDテーマ。ChouCho は、近年のアニソン歌手の中で、頭2つぐらい抜けて好き。特に、橋本潮、石田曜子、橋本みゆき系統の、いわゆる歌のお姉さん的な匂いを感じさせる、甘くて透き通った歌声が、たまらなく好き。


■ 自分についた嘘/永井真理子

ライブビデオ『miracle girl tour '89』で、この曲を聴いて心を鷲掴みにされ、それ以降、永井真理子にハマる。ちなみに、大学時代は、知り合いの電気屋の兄ちゃんがくれた(私が永井真理子ファンと知っていたため)、89年のミラクルガールツアーのポスターを部屋に貼っていた。


■ One Step Closer/永井真理子

受験期によく聴いていた応援ソング。前述の電気屋の兄ちゃんが、「EDテーマに使われているから」という理由だけで『勝利投手』という中古のOVAを私にくれた。ちなみに、挿入歌は、C-C-Bの『原色したいね』。時代を感じる。


■ 「二人」に帰ろう/西脇唯

アニメ『H2』のEDにも使われた曲。西脇唯、自分の中では、楽曲提供者というイメージが強い。キレイな曲を沢山お書きになる方。


ロマンティックあげるよ/橋本潮

聴くとロマンティックが止まらなくなる曲。


■ Fine colorday/林原めぐみ

アニメ『万能文化猫娘』のOP。林原めぐみの曲で、好きな曲は色々あるが、一番聴いたのは多分この曲だと思う。とにかく、イントロでテンションが上がる。高校時代、塾への行きすがら、新津駅近辺のCDショップで買ったのを、今でも覚えている。


■ お引越し/広瀬香美

(前述にもあるが) 昔、文化放送でやっていた『同級生~恋愛専科』という番組内で使われていた曲。ほっこりする。
こおろぎさとみ、今考えると、あの時点で30代だったのだろうか。


■ SHAKE ME UP!/Favorite Blue

曲自体はそんなに、なのだけど、この曲が使われたドラマ(と、Favorite Blue)が好きだったので入れてみた。そうえいば、本田博太郎がウパウパ言っているあの超名作映画の主題歌もFavorite Blueだったなぁ・・・。


■ 誰より好きなのに/古内東子

自分の中のOLな部分が疼く曲。OLな部分?


■ Man and Woman/My Little Lover

中学時代は、マイラバが好きで、マイラバばかり聴いていた。マイラバの曲は、どこか『性』を感じさせてくれる。女子にカラオケでこれを歌われたら、簡単に好きになってしまう気がする。


■ 走れ!/ももいろクローバーZ

ももクロにハマった曲。やっぱり6人だったときの曲のが好きだなぁ。。。


■ 翼にかえて/森川美穂

ハイトーンな歌声が心地いい森川美穂の曲。グリコのCMで使われていたので、曲名は知らなくても「あ、聴いたことある」と言う人は多いはず。


■ DRIVE ME CRAZY/山下久美子

ドラマ『東京大学物語』の主題歌。ドラマが好きだったというわけではないのだが、この曲が非常に印象深く、当時、なけなしの小遣いでCDも買った。多分、これは山下久美子の声質だから出せる味なんだろうな、と思う。


■ Season Train/RAZZ MA TAZZ

爽快感の中に、どこか切なさが漂う RAZZ MA TAZZ の認知度を上げたヒット曲。冬になると聴きたくなる。中学の頃、久保田くんという友達がこのCDを持っていたので、借りてよく聴いていた。


■ flower/L'Arc-en-Ciel

ラルクにハマるきっかけになった曲。ファン投票でも1~2位になるほどメジャーな曲だが、外せないところなので。『Blurry Eyes』と並んで、カラオケでは一番歌ってる曲かもしれない。


■ あなた/L'Arc-en-Ciel

バラードとしては、『White Feathers』『瞳の住人』などを押しのけて、ラルクの中で一番好き。パリ公演のラストでも歌ってたね。


My Revolution/渡辺美里

この場を借りて、昔、クソ袋に送ってボツになったネタを。
渡辺美里さんの代表曲「My Revolution」の2番の歌詞中に「ホームシックの恋人たちはユーモアだけを信じている」という一節がありますが、ここでいう「ユーモア」というのは、私が週3で通っているユーモア教室『ケセラセラ』の講師・フランキー吉沢先生が繰り出すナンセンス・ユーモアと同じタイプのユーモアでしょうか?

童貞について

最近、あまりに文章を書いてないので、ブログの更新頻度を少し上げていこうと思う。

先日、友人と呑んでいるときに、「童貞って、すぐ女を好きになるよね」という話になった。『童陰(※童貞が女を好きになる速さ)矢のごとし』という古くからの諺にもある通り、こちらがほんの少し目を離した隙に、光の速さで女性に恋してしまうのが童貞という生き物だ。

かくいう私も、そんな時期があった。箸が転がっても恋する高校(童貞)時代、ネットを通じて知り合った年上の女性とメールを交わしているうちに、電話はもちろん、顔すら知らない相手に対していつの間にか恋心が芽生え、いてもたってもいられずに深夜のテンションにまかせてメールで告白した挙句にふられ、最終的に連絡が取れなくなる、という、甘酸っぱい、というには程遠い、思わず胃酸が込み上げてくるような苦い経験をしている。

今思い返しても、なぜあんな勝率0.1%未満の勝負に挑んでしまったのか、謎でしょうがない。少年漫画だったら間違いなく勝利する熱い展開なのだが、現実というのは童貞には優しくないようだ。

童貞は何故にこのような失敗をおかしてしまうのだろうか?

童貞期 (今、『童貞器』と変換された。卑猥。) というのは、理想の女性像が、漠然とだが自分の中に存在している。そして、知り合った女性に対して、その理想成分が、ほんの1%でも含まれていたら、それ以外の部分を妄想で自分の都合の良いように埋めて、「ああ、この人こそが理想の女性なんだ!」もしくは「この人だったら、俺のことを受け入れてくれるかもしれない!」といった勘違いを引き起こす、自動妄想補填装置が備え付けられている。
そのぶん、恋に落ちる速度も人一倍早い。「童貞と2人で呑むと、本当にすぐ「好き」と告白されるので、その度に「それはお前の勘違いだ!」と、論破するようにしている」という女性が知り合いにいるが、これも童貞ならではのエピソードといえよう。昔、某芸人のネタにもあったが、「5分話しただけで女の子を好きになってしまう」やつである。

普通は、女性と接していく中で、この補填装置が経年劣化で壊れていき、次第に女性のありのままを受け入れるようになるのだが、これが、なかなか劣化しない人がいて、そういう人こそが童貞、もしくはDT(童貞)脳を持っている人なのだと思う。

私の場合はというと、これまでの人生の中で、一応、人並程度には女性と付き合ってきて、それなりのエロ経験も積んできたつもりなので、多少、このDT脳細胞は消滅してしまったと思われるが、自分の話に5回同意されただけで相手の女性を好きになってしまう程度のDT脳は持ち合わせている。まだ大丈夫だ(何が?)。

ただ、それとは別に「もし自分が女だったら、想像力の逞しい童貞を弄んで観察してみたい」といったことを考えるようになってきたので、これはこれでおかしな方向に装置が故障したな、と我ながら思う。ただ、高校時代に『女家庭教師と男子生徒』という短編エロ小説を、男子生徒側ではなく、女家庭教師側の視点で書いていた時期があったので、その頃から幾分かねじ曲がった方向に装置が動いていた気もする。

最後に完全な蛇足として、世間一般的に、「曲がったキュウリも美味しい」と言われているが、実際問題、野菜が曲がるのは土の栄養バランスが悪いらしい。

マイ音楽ベスト50 (1_25)

5/3(日)に放送された、TBSラジオ爆笑問題の日曜サンデー』の中で、『AKASAKA HOT 百 ハンドレッド 50/50』という、爆笑の二人が、それぞれ自分が選ぶ音楽ベスト50を発表するという企画をやっており、それをマネしてやっている方が何人かいたので、自分もマネしてやってみようと思う。

私の場合、音楽知識が浅い上に、大分偏りがあるので、自分でもどんな50曲が選ばれるのか想像がつかないが、思いつくままに書き出していこうと思う。多分、好きな曲というよりは、自分の中で思い出深い曲の発表になると思う。ただ、順位付けまでするのは流石に面倒なので、とりあえず、50曲をピックアップだけしてみた。
記事の上限で、50曲全ては入らなそうだったので、とりあえず25曲で。

※歌手名であいうえお順

■ 彼女とTIP ON DUO/今井美樹
うちの親父が、今井美樹を結構聴く人で、昔よく親父の車の中で、テレサ・テンと並んで、今井美樹の曲がよく流れていた。そんな中でも特に好きだった曲。作詞が秋元康というのを見ると、また手の平の上で転がされた感が。

■ AIRPORT/今井優子
昔、中古CD屋で、ジャケ買いした『Do Away』というアルバムの中に収録されていた曲。歌ってる方は、正直ほとんど存じ上げないのだが、とても伸びやかで魅かれる歌だったので入れてみた。調べたら、角松敏生プロデュースなのね。

■ 想い出がいっぱい/H20
アニメの『みゆき』よりかは、『ナインティナインのオールナイトニッポン』で流れているイメージのが強い。
「少女だったといつの日が思い出すときがくるのさ」の部分を聴く度に、その少女が今どんな感じに育っているのかを想像するのが好き。大体いつも思い浮かべるのが、新潟の結婚式場かなんかのローカルCMで、「神様なんて信じてなかったけど、今日だけは信じてあげてもいいかな」と言いながら微笑む27歳ぐらいの女。

■ 以心伝心しよう/大城光恵
90年代初期に、NHKの歌番組『みんなのうた』で放送された楽曲。曲は、もちろん好きなのだが、味のあるパラパラアニメに心を鷲掴みにされた。ちなみに、放送では2番の歌詞が使用されている。初めて1番の歌詞を聴いたときは、思ってた以上に大人の女性っぽい内容で驚いた。

■ Sweet Sweet Memories/ガーデンズ
この曲が、というより、大塚純子の歌声が好きなだけ、っていう。当時は、もし女性として生まれ変わって歌声が自由に決められるとしたら、大塚純子がいい、と思っていた。別段、特徴のある声ではないのだけど、どこか魅力的な歌声。

季節を抱きしめて/大藤史
やるドラ』はほぼ未プレイなのだが、曲自体はとても好き。特に、「声をあげて笑いあえた短いあの日の夢」という歌詞が、たまらなく好き。「夢」で締めるのが切ない。

■ Turn Into Love/大橋利恵
元・ELT五十嵐充プロデュースである大橋利恵の10枚目のシングル。五十嵐充節炸裂といった感じで、とにかくキラキラしており、エイベックスエイベックスしてる曲。私の中に住んでいるエイベックス五郎が、「これこれ、こういうのでいいんだよ」と何度も頷きながら90年代を噛みしめている。

■ ラスト・シーン/岡村孝子
某ラジオDJ曰く、『弱いOLの歌』でお馴染みの岡村孝子。そんな弱いOLの曲を大好物とする私。この曲、割とインパクトのある歌詞なので、もしよければ調べてみてほしい。ちなみに、ライブだと「あの男(こ)がほしい」と言いながら客席に向けて指を指すのがお決まり。

■ さよならなんて云えないよ/小沢健二
小沢健二の曲を聴くと、ときめきを覚える。いつまでも色褪せない。いやホントに。

■ POLLYANNA(I BELIEVE IN YOU)/Catherine Warwick
ゲーム『Mother2』より。名曲。

■ 生きてるって素晴らしい/川菜翠
初めて聴いたのはラジオ大阪でやってた、『宮村優子の直球で行こう!』だっただろうか。当時、ちょいちょい川菜翠が出ていて、毎回のようにこの曲が流れていた。『どきどきポヤッチオ』というPSゲームで使われている。

■ 涙のSingle Rain/川村万梨阿本多知恵子
機動戦士SDガンダム『嵐を呼ぶ学園祭』の劇中歌。アニソンというカテゴリの中では、おそらく一番好きな曲。80年代を彷彿とさせるメロディラインが好きで、たまに、思い出したように聴き返している。ただ、聴いてみると分かるが、未だに二人の歌声の判別ができない。ちなみに、後に林原めぐみがカバーしており、そっちのバージョンはカラオケにも入っている。

■ DNA/川本真琴
この曲きっかけで川本真琴ファンになった方も多いと思う。言わずと知れた川本真琴の代表曲。『1/2』も好きだが、川本真琴というと、こちらの印象のが強い。曲名が、『大嫌い(D)なのに(N)愛してる(A)』という意味を持つ、と知ったのは、結構後になってからだった。

■ 言えずの I LOVE YOU/KAN
STVラジオ『KANのアタヤンPUSH!』でのエンディングテーマとして使われていた非常にポップな曲。さすが稀代のメロディーメーカーといったところ。

■ 早くしてよ/久宝留理子
眉毛が太いことと、化粧の具合によって、かなり顔が変化することで、(私の中だけで)お馴染みの久宝留理子。一時期、ライブビデオを漁ってよく聴いていた。代表曲として、他にも「男」があるが、こっちのが好き。

■ FAKE STAR/黒夢
黒夢ファンなら、ライブの1曲目としてお馴染みの曲。後期は、どんどん伴奏が早くなっていき、CD音源とはかけ離れたものになっていったが、むしろそっちの方に慣れてしまったため、久しぶりにCDを聴くと、遅く感じるという逆転現象が起こる。

■ 晴れのち晴れ/小坂明子
アニメ『はーいアッコです』の前期OP、第二期ED。小坂明子というと、正直なところ、『あなた』一発だけの人かと思っていたのだが、結構色んなアーティストにアニソンを提供しているようで、最近だと、『美少女戦士セーラームーンCrystal』のED(ももクロ)もそうらしい。知らなんだ。

■ With/小堺一機
コサキンリスナーなら誰でも知っているムックンの名曲。番組のエンディングで必ず流れるので、いつも当たり前のように聴いていたが、大学時代、運転中に曲だけをじっくりと聴いていたら、思わず泣いてしまった。

■ 夢の手前で/児島未散
宝田明の娘の曲(この紹介もどうかと思うが)。全てを優しく包み込んでくれるような甘い歌声が好きで、中古CD屋でよくアルバムを発掘していた。ちなみに、アニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』リメイク版での主題歌である。子供の頃に観ており、もちろん曲も記憶に残っている。

City Hunter ~愛よ消えないで~/小比類巻かほる
個人的には、『Get Wild』よりこっち。小比類巻かほるだと、『両手いっぱいのジョニー』も好き。ちょっと年下の君~。

■ サラダ通りで会いましょう/近藤名奈
路線的には、永井真理子の後釜な感じのお方。もうちょっと売れてもよかった気がする。ちなみに、水樹奈々の本名も近藤奈々だが、本人が混乱を避けるために芸名を水樹にしたとか。

マイ フレンド/ZARD
アニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマ。ZARDで好きな曲は沢山あるが、やはりこれは外せない。この頃は、織田哲郎の曲に心を持って行かれている感が強い。

My Baby Grand 〜ぬくもりが欲しくて〜/ZARD
『好きなCMの音声だけを抽出し、編集して繋げて通学時に聴く』というブームがあった高校時代に、広末涼子が出ていたNTTドコモのCMを延々聴いていたのを思い出す。NTTドコモのCMソングとして使われていた。

素敵な夢を叶えましょう/サザンオールスターズ
爆笑問題カーボーイリスナーにはお馴染みの、不朽の名曲。番組のエンディングでかかると、「ああ、もう火曜日も終わりか」となる。カーボーイのオフ会で2回ほど歌った。

■ 夏の日のドラマ/サザンオールスターズ
歌っているのは、桑田佳祐ではなく、松田弘。メロディラインが素晴らしく、松田さんの優しい歌声も相まって、とても聴いてて心地がいい。

後半の25曲は、またそのうち。

深夜の馬鹿力の1009回記念放送を聴いて

大分遅れてしまったが、『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』の放送1009回記念企画についての感想を少し。

前置きとして、番組について軽く触れておこうかと思ったのだが、気の向くまま、チンチンの向くままに書き出したところ、収集がつかなくなりそうだったので、それについてはまた別の機会に改めて書くとして、今回は、純粋に表題の件についてだけ書くことにする。番組について存じ上げない方もいるだろうが、そういう人は全力で無視する方向で行こうと思う。

というわけで、1009回放送の感想。

スペシャルウィークの何週か前の本放送で、伊集院さんの口から、「過去のコーナーの振り返りをやります!」と聞いたとき、嬉しい反面、「そういうことやるような人じゃないのに、どういう風の吹き回しだろう...」と、どこか素直に喜べない自分がいた。『そういうことやるような人じゃない』と決めつけられるのは、本人的に不服かもしれないが、以前にTwitter上で、「過去のコーナーはもうやらない」といったことを匂わす発言を何度もしていたので、最初は乗り気ではなかったのでは、と勝手ながら思っていた。そんな、『登校拒否の息子がいきなり、「俺、学校に行くよ!」と言い出して逆に戸惑う母親』のような気持ちでスペシャルウィーク当日を迎えたが、そういった心配事は全て杞憂に終わった。放送は非常に楽しかった。

いつ頃からだろうか。スペシャルウィークに特別な企画を一切やらなくなり、普段以上に普段と変わらない放送をするようになったのは。
深夜ラジオが好きな人ならお馴染みのあるあるとして、『スペシャルウィークより、普段の放送の方が面白い』というものがある。こと深夜ラジオにおいては、ゲストを招いたり、何か特別な企画をやるよりも、いつも通りのフリートークをやり、通常コーナーをやってくれた方が、むしろ安心感があって面白い場合が多い。また、投稿している人にしてみたら、スペシャルウィークは、普段より読まれるメールの量が減る分、あまり嬉しくない面もあるのだと思う。実際、自分にもそういう時期があったし。ただ、それでも、「たまには何かやってほしいな」という気持ちも、少なからずあったのが、正直なところだ。
そんな状態だっただけに、「その時 人類は思い出した スペシャルウィーク様の存在を」というナレーションと共に、スペシャルウィーク様がのっそりと壁の向こう側から顔を出したときには、私を含む馬鹿力リスナーたちは、恐れ戦き、ガクガクと震える体を抑えるのに必死だった。数週間前に、「皆の者!もうじき、スペシャルウィーク様がお目覚めになられる!手遅れになる前に逃げるんじゃ!」と騒ぎ立てて村人から処刑された大長老の言葉が脳裏に一瞬浮かんでは消え、浮かんでは消えしている中、僕たちは、為す術もなく、スペシャルウィーク様に完全に飲み込まれてしまった。と、それほどまでに、今回のスペシャルウィークは強い衝撃を与えてくれた。

内容について具体的に触れると、今回、2週に渡ってコーナーを振り返った訳だが、コーナーのランキングは以下のようになった。

第18位 UP’S(アップス)音頭
第17位 ナイナイアルアルコーナー
第16位 性のコーナー
第15位 集え若人!深夜の歌声喫茶
第14位 リストカッターケンイチ
第13位 ラジオ青春アニメ劇場 燃えろヒカル製作委員会
第12位 輝け!紅白電波歌合戦
第11位 ちびっこなぞなぞ
第10位 天才・伊集院光プロデュース 音楽ユニット大ブレイクプロジェクト
第9位 カブトムシのひみつ
第8位 栄冠は君に輝く
第7位 あそび
第6位 空脳アワー
第5位 いつまでもたえることなく友達でいようコーナー
第4位 渡辺校長の平成ハレンチ学園
第3位 巨大ロボットヒーローラジオアニメーション「つよいロボ」
第2位 青春時代クソミュージックボックス
第1位 発表する時間なし (※みんなの心の中にあります)

番組初期のコーナーと最近のコーナーが入り乱れており、長きに渡って聴いてる古参組にとっては、だいぶカオスな印象を受けると思う。そんなカオスなランキングの中でも、特に目を引くのが、歌コーナー率の高さだ。『UP’S音頭』、『集え若人!深夜の歌声喫茶』、『輝け!紅白電波歌合戦』、『栄冠は君に輝く』、『青春時代クソミュージックボックス』。また、『つよいロボ』と『音楽ユニット大ブレイクプロジェクト』(変死隊)を歌コーナーと考えれば、3分の1以上が歌コーナーである。いやー、強いな、歌。
電波歌は言わずもがなだが、私の中で、最も夢中になって聴いていた時期にやっていた歌声喫茶のコーナーが、特に思い出深い。このとき、私はまだ高校生だったので、新潟の実家で雑音と戦いながら聴いていた。地方組としては、気軽に歌声喫茶に足を運べる都内の人を本当に羨んだものだ。『水面にプカー 「タマちゃんでーす」』を、一緒に歌いたかった。

あと、もう一つランキングを見て気になったのは、「純粋なネタコーナーが少ない」ということだ。「ランキングは必ずしも投票数だけで決めない」ということを放送の中で言っていたので、伊集院さんによるランキングの調整は、多かれ少なかれ入っているとは思うが、歌コーナーを除くと、純粋な珍文コーナーが殆どランクインしていないことが見てとれる。この事実を目の当たりにし、「今と昔で、もう大分リスナーが入れ替わってるんだろうなぁ...」という一抹の寂しさを感じた。まぁ、これだけ長年やってるんだから、そんなことは当たり前で、入れ替わってない方が異常なんだけど。

純粋なネタコーナーでいうと『三行革命』『早押しクイズQQQのQのQ』『裏伊東家の食卓』『ディレイでいってみよう』『落語リハビリ』あたりは、正直ランクインしてほしかった。特に、QQQのQのQと裏伊東家が、本当に大好きだったので。

と、そんな少々ネガティブな感想を持ちつつも、放送自体は非常に楽しく聴かせてもらった。順位が発表されるたびに「お、このコーナーくるか!」といった具合に、胸がワクワクとノスタルジーで溢れかえるのは、いつになく新鮮だった。今回の放送を聴いているとき、自分は間違いなく高校生に戻っていた。

Twitter上では、既に現役を退いているラジオ投稿者の方や、伊集院ファンの著名人が、珍しくリアルタイムで実況しており、私のTL(タイムライン)は、「あれ?マスター、今日どうしたの?いつもよりお客さん多いね。へぇ~、なんだか懐かしい顔もいるじゃない」といった様相を呈しており、平日の深夜1時とは思えないほどの盛り上がりを見せていた。このためだけに、翌日有給を取った社会人の方も何人かいたようだ(自分も取りたかった...)。「ああ、こんなコーナーあったなー」「俺、ちょうど、この頃から聴きだしたんだ」「リストカッターけんいち好きだったなぁ!」「歌コーナー、久々にやってほしい」「アン・ルイスコーナーが無かった」などなど、様々な感想が飛び交うTL。そんなTLをボンヤリ眺めながら、20年という長い年月を、ひとり噛みしめていた。

思い返すと、私が深夜の馬鹿力を聴き始めたのは、高校生の頃だった。だいたい、98年頃だろうか (それ以前の放送は、神に与えられし魔法の力によって脳に直接届けられる形で全て聴いた)。そして、今現在もなお、翌日に何か特別な用事でも入らない限りは、基本的にリアルタイムで聴くようにしているので、私の人生の大部分は馬鹿力と共に過ごしてきた、といっても過言ではない。

よく、リスナーの方で、「伊集院のラジオによって救われた」という人がいる (私の友人にもそういう人はいる)。私の場合、救われた、なんて大それたことは言えないが、思春期特有の何かモヤモヤした心のわだかまりや、厭世的な気分に沈んでどうにもならない苦しみの石塊を、この番組が、よく分からないオモシロ器具で粉々に砕いてくれたような、そんなよく分からない形で、精神的に楽にしてもらったことは、何度かあったような気がする。ラジオの聴き方なんて人それぞれだが、この番組を聴いて何かを感じ取る人というのは、どこか根っこの部分で繋がっていると思う。それは思い込みという名の幻想かもしれない。本当のものよりキレイな嘘に夢を見ているあの娘なのかもしれない((C)佐野元春)。ただ、そんな幻想を見せてくれる番組を、今後も一蓮托生で最後まで聴き続けていきたいと思っている。

最後にもう一つだけ。

昔、『タモリ笑っていいとも出演中 一方そのころコーナー』という一回こっきりの特別企画があった。
笑っていいともに出演中のタモリの様子と、同時刻のリスナーの行動を紹介するという、ちょっとした実験企画だったのだが、この企画の中で、微妙に企画意図と異なる(?)方向への展開があった。生まれた場所も、育った環境も、年齢も性別も違う中で、月曜日の深夜1時にだけは、全員がラジオをつけて、この番組を聴いているという事実に、伊集院さんが、「なんか、年甲斐もなく感動しちゃってさ」と、放送の中で言っていた。
このときは別段、自分の中で感動はなかったのだが、今回、1009回記念のスペシャルウィークを聴いて、TLを眺めながら、私もそれに近い感動に包まれていたことに気付いた。基本的に、私がフォローしている伊集院関係の方々は、私と同年代か、私より少し上が殆どなのだが、「この人たち、自分と育った環境も全く違うのに、十数年前のあの日、あの時間に、同じラジオを同じように聴いていたんだな」等と考えると、なにか妙にこみ上げてくるものがあった。青臭い言い方が続くが、『あの頃』と『今』は繋がっているんだな、と、当たり前のことなのに、それを今回の放送で改めて感じることができたような気がした。きっと今、高校生のリスナーも、10年後、20年後に、今の放送を聴くと、きっと同じようなことを考えると思う。

と、そんなことを綴りながら、今日も今日とて、堕手淫にいそしむダメ社会人。だめにんげんだもの。みとぅを。

ネット発信の言葉に対する距離の取り方

日々、ネットの海をあてもなく泳いでいると、色んな言葉、言い回しに出くわす。

2013年、2014年のネット流行語大賞から、いくつか例を挙げると、『バカッター』『あ・・・(察っし)』『ほんとそれ(ほんとこれ)』『「やっとあえたね」』『そっとじ』『草不可避』『壁ドン』『このあと滅茶苦茶セックスした』『オタサーの姫』などなど。既に死にかけている言葉もあるが、2015年現在、まだ割と見かける。
こういった俗語の卵が生まれたときに、それを抵抗なく受け入れ、自分の言葉として使える人・使えない人が世の中にはいると思う。

自分はというと、どちらかと言わなくても後者に属しているということは、このブログを読んで頂いている方には自明の理だろう。どうしてもライト感覚で使うことができない。といっても、人とのコミュニケーションにおいて、相手がその言葉を普通に使ってきたとき、頑なに拒絶するのは大人として如何なものか思うので、そういった場面では使うこともあるが、自ら率先して使うことは、まずない。これはおそらく、自分が普段使用している脳内辞書にその言葉を新しく書き込むことで、何かしら脳にバグが生じるのではないか、という不安を脊髄反射的に感じているからだと思う。

人間の脳なんていうのは、よくできているようで、実はだいぶ適当だったりするので、変なゴミが紛れ込んだときに、誤作動しないとも限らない。聞くところによると、人間の脳は、実際に口から発した言葉通りに体を操作してしまう、ということが証明されてるらしい。例えば、全然楽しいと思ってなくても「いやー、今日はとても楽しかった!」と何度も口にすると、脳がこの言葉を読み取って、自律神経系がこれを現実にするんだとか。ということは、「私は桐谷美玲なのです」と毎日鏡に向かって言い続けていれば、もしかしたら桐谷美鈴になれるかもしれない。体は荒俣宏、心は桐谷美玲みたいな (完全に余談だが、昔、Qさまの前身番組で、自分を松浦亜弥だと思い込んでいるオッサンが出た回を思い出した。ギリギリだったなアレ)
「言葉には魂が宿っている」と言うが、そういう意味で、これはあながちウソではないと思う。

で、そんな新語を全く受け付けない頑固脳なのだが、10年ぐらい経つと「ああ、これは完全に一般用語化したな」と書き込み要求を受け付けてくれるようだ。例えば『アウェイ』(2005年生まれ)や『アラサー』(2006年生まれ)などなど。この辺の言葉は、既に、造語という意識がないほど一般用語化していると思う。

去年あたりから一般用語の領域に片足を突っ込んだと思われる『リア充』という言葉があるが、これは「(いわゆる世間で言われているところの) 」といった枕詞を、心の中でそっと頭につけてないと、正直まだ口にするのが恥ずかしい。自然に口にできるまで、あと5年はかかりそうだ。まぁ、5年後には、その言葉自体が死んでるような気もするけど。

ネット発信の言葉そのものに対する違和感もあるのだが、それよりも、『ネット発信の言葉を何の違和感もなく使う人たち』に違和感を覚える。
これは別に、コミュニティ内部での共通言語、いわゆる仲間内だけでの流行り言葉みたいなものを、閉じた空間の中で使う(例えば、何かのアニメが好きで、そのアニメに出てきたセリフや、特有のネタを仲間内で話す)ような場合は、全く問題ない、というか、それは極めて自然なことだと思う。むしろ、それは自分もするし。
その仲間内だけで流行っている言葉を、さも「みんな、知ってるよね?」的な感じで公の場で使うことや、その元ネタをよく分からないのに、なんとなくノリで使ってる人を見ると、「うーん」となるのである。まぁ、新しく生まれた言葉なんてものは、そういう風にして、徐々に浸透いくものなのだと言ってしまえばそれまでなのだが、やっぱり何か心にひっかかるものがある。

以前、ネット用語に対して某ラジオ番組で、爆笑問題の田中さんが「『ワロス』ってなんだよ、もうホント気持ち悪い」と言っていたり、オードリーの若林さんが「『~ですね、わかります』って言い回しあるじゃん。何あれ?気持ち悪い」というようなことを言ってた。別に、これに完全同意するわけではないが、ネットを殆どしない人からしたら、そういう得体の知れないものを見るような感じに映るということだ。ただ、実際、こういう人たちは、そういう目で見られている自覚があって使っていると思っている。その辺の自覚がなくなるとまずい、という話で。

と、色々言ってきた私だが、妖怪ウォッチに少しハマってた頃、コマさんがたいへん可愛かったので、色んな人に「もんげー!」を使っていた。しかし、これは完全に妖怪のせいなので全く問題ない。

謹賀新年

1ヶ月半ほどブログを放置していた。
とりあえず、生存確認の意味で少し更新しておく。

本当は、年始年末の間に1回は更新しようと思ったのだが、度重なる布団の襲撃に為す術も無くやられ、いつも気がつくと天井を向いてスヤスヤ寝ているという始末で、全く更新ができる状態になかったからである。いやはや、実家というのは、人間のやる気を吸い取るガスみたいなものが、色んな場所から噴き出しているに違いない。
そんな半死人みたいな生活を送ってるうちに、2015年が明けてしまった。

2015年と聞くと、すごく近未来な感じがするのだが、そこまでピンとこないのは、おそらく、自分の中で、「2000年がついこの前」ぐらいの感覚だからだろう。職場で私より10歳近く上の先輩は「90年代はまだ最近」と言っていたので、小学校の頃ぐらいで初めて『昔』なのかもしれない。

当たり前のことだが、2000年代に突入してからもう15年も経つことになる。世紀末に生まれた子供が、そろそろ盗んだバイクで走り出す頃だ。従姉の息子も、今年で高校1年生なので、もうそろそろ校舎の窓を破壊して回るかもしれない。今、ちょうど反抗期らしいし。
脇道に逸れるが、年始にイトコの家にいったときに「○○君って、反抗期あった?」と聞かれた。そのときは「多分、あったと思いますけど、ハッキリとは覚えないです」と答えたが、よくよく考えたら、正月に親戚からお年玉を貰い「ほら、ありがとうは?」と親に促されたときに、「(ありがとうと言うくらいなら) じゃあいらない」と突っぱねてたりしたので、それが反抗期だったのかな、と思う。もっとも、それはまだ小さい頃だったので、プレ反抗期みたいな時期だったのかもしれないけど。

で、そんな2015年の目標としては、まぁ、今日、職場で挨拶するときに色々と言ったのだが、ざっくり言うと、『ちゃんとする』。

ダメ人間「早くちゃんとした人間になりたーい!」

生きる

「表面だけ見ると、周りは楽そうに生きてるけど、やっぱりみんな大変だし、生きるのに一生懸命なんだよね」

といった話を、最近した。そのときは、「ああ、確かにそうだよなぁ」と、しみじみ感じずにはいられなかった。年齢的なものもあるのだろうが、このところ、そんなことをよく思うようになった。
ふてくされてばかりの十代を過ぎ、ふんべつをついて年をとり、あれよあれよという間に、甥っ子からオジサンと呼ばれてもおかしくないぐらいの年齢になってしまったが、心なしか、生きることに対して一番めんどうな時期に差し掛かったのではないか、と思っている。

『生きる』というのは本当に大変だ。

生きる、と聞いてパッと頭に思い浮かぶのは、谷川俊太郎の『生きる』という詩だ。
タイトルだけ見ると、どこか哲学めいたものを感じさせるが、そういう堅苦しいものではなく、「生きているとはこういうことなんだよ」と読者に「生きている」ということの具体例を提示することで、読者自身に生きることについて考えさせる、といった内容になっている。
震災を機に、様々な場所でまた読み直されているという話を聞くが、50年以上も前に作られた詩が、今もなお読まれているというのは、それだけ内容が普遍的なのだろう。
この『生きる』という詩は、たまに、ふと読み返したくなって、ぼんやり眺めたりすることがある。自分が今、生きてることに対する実感というのだろうか、日常生活の中で当たり前になっている様々な事象を、そのまま日常の中に埋もれさせるのではなく、その一瞬一瞬が、かけがえのない大切なものだと再認し、「ああ、自分は生きてるんだなぁ」と、新しい明日への活力に・・・みたいなことを書きだすと、とたんにきな臭い方向に行ってしまうのだが、それでも、たまに、生きることについて考えることは、悪くはないと思う。

ちなみに、この詩を読むにあたって、未だに謎なのが、
「いま生きているということ それはミニスカート」
と、詩の序盤から、いきなり『ミニスカート』という、中学生男子だったらそれだけで御飯が1杯食べられそうな単語が出てくることだ。
スタバにノートPCを持ち込んであれやこれや考えていた谷川俊太郎が、午後の授業をサボってたむろしている女子大生の太腿を見ながら、「ああ!これだ!」と、思いついたのだろうか。もしくは、『ライナスの毛布』よろしく、常に片手にはミニスカートを抱えて生活していたのか。はたまた、谷川俊太郎の主食がミニスカートだったのか。真相は分からない(おそらく美しいものを表す比喩的なことなんだろうけど、十数年経っても、これだけ耳に残っているということは、それだけでもう、谷川俊太郎の勝ちなんだろうな、と思う)。

私がこの詩を知ったのは、小学六年生のときだった。
卒業式の後に行われた六送会(六年生を送る会)で、自分を含む六年生一同が、保護者、及び先生の前で『生きる』を朗読した。一節ごとに一人ずつ担当が割り振られており、
「いま地球が廻っているということ」
「いまどこかで兵士が傷つくということ」
と、生徒が順番に大きな声で呼びかけする、という内容だった。
この『生きる』の呼びかけの練習時のエピソードで、かなり鮮明に覚えているのが、「かたつむりははうということ」担当だった鶴巻君のことである。
詩の終盤に「かたつむりははうということ」という一節が出てくるのだが、鶴巻くんの「かたつむり」のイントネーションがどこか変で、思わず皆が「フフフッ」と笑い出してしまう、という事態になった。鶴巻くん本人は、別に皆を笑わせるつもりなど毛頭なく、「え、何がおかしいの?」と、キョトンとしている様子だった。

この後は、NG大賞でよく見られる、『ツボにハマった女優が噴き出すのを堪えきれずにNGテイクを繰り返す』と同じような流れになり、何度やっても、鶴巻くんのところで引っかかって皆が笑い出すようになり、最終的に鶴巻くんが泣き出すというところまで発展し、ついには「鶴巻くんのところで笑わないように!」と、先生から指示が入るようになった。その指示が入ることにより、鶴巻くんがより泣いたのは言うまでもない。
まさに、「生きるのは泣けるということ」を体現していた。
先日、道端で「いやだー!」と大声で泣いて、母親から叱られている子供を見かけたが、そのときは「大人になったらもっとイヤなことが死ぬほどあるよ」と心の中で呟いて、心の中でそっと少女の頭を撫でてやった。生きているとイヤなことも多いが、それを声に出して言うと、余計にイヤなことになって自分に降りかかってくる。

最終的に何が言いたいかというと、「ピエロだって舞台裏では泣いてるんだよ」みたいなことを考えながら人のtwitterを見ると、切なくなるのでやめよう、という話。