昔の日記について

少し前に、mixiが「黒歴史日記を掘り返すキャンペーン」という企画をやっていた。
私は、自分が昔に書いた恥ずかしい文章などはワインのようなもので、寝かせれば寝かせるほど熟成されて良い味が出てくると思っている。そういう意味で、自分の黒歴史に対しては、さほど抵抗がない (といっても、ものによるけど)。
で、古いmixi日記を読み耽っているうちに、何か誘発されたのか、自分が学生の頃に書いた文章などを無性に読みたくなり、眠っていたHDDをひっぱり出してみた。

大学の頃は、『女形風味』という自分の個人HPを持っていたので、そこでほぼ毎日、日記なのか妄想なのか判断がつかないような駄文をダラダラと書いていた。そのときの日記のデータがかろうじて生き残っていたので (ネットラジオのデータは、ほぼ消してしまったようだが) 、いくつか載せたいと思う。今がちょうどクリスマス時期ということで、それくらいの時期に書いたやつを以下にピックアップする。


『それぞれのクリスマス』④

「葵、もう寝ちゃったみたいよ」
平山佐紀は襖を後ろ手で静かに閉めた。
「今日は大分はしゃいでたから疲れたんだろう」
キッチンテーブルで小皿に盛られたサラミをつまみながら夫の秀雄は言った。軽くワインが入っているため、頬がほんのりと赤くなっている。
佐紀が秀雄の前に座る。
「プレゼントはもう用意したの?」
「ばんたん」
「それじゃ、例年通りお願いね」
「ああ、起さないようにそっとな」
空になったグラスに秀雄はワインを注ぐ。
「なんか...葵が生まれてからずっと葵中心の生活になっちゃったよね」
佐紀は両肘をテーブルにつき、重ねた両手の上に顎を乗せた。
「そうだな。まぁ、世間一般では、それが普通なんじゃないか」
椅子から立ち上がり、秀雄は戸棚からもう一つグラスを取り出し、佐紀の前に置く。
「うん、そうなんだけど...」
そう言いながら、佐紀は秀雄から視線を外した。
「たまには、パパとママじゃない時間も作りたいな...なんて」
佐紀は自分の発した台詞に少し赤くなった。 秀雄はそれを見て軽く口元を緩めると、佐紀のグラスにワインを注ぎ、自分のグラスを佐紀のほうに掲げた。少し照れながら、佐紀もそれに倣う。
二人は小声で「乾杯」と言うと、カチャッとグラスを合わせた。
『パパとママ』から、恋人同士へと戻る瞬間。
窓の外はいつしか雪が降り始めていた。


『それぞれのクリスマス』①

居酒屋。
「ったくさー!何さあの男!」
神林里美はテーブルに上体を預けたまま、グラスを叩き付けた。ビールがテーブル上に少し散った。
「何も...何も、クリスマスの前日に別れ話なんてしなくてもいいじゃない...」
「酒が進むねぇ」
対面でタバコを吸いながら、古峨良照は面白い物を見るような目で里美を眺めている。
「飲まなきゃやってられないですよ!」
里美は顔を真っ赤にしながら言った。
「...って、古峨さん!!私のことは、ほっといてください!!」
「そうはいかんだろ、ほっといたら川にでも飛び込みそうな勢いだからな」
「飛び込みますよホントに...はぁ...」
溜息をつき、里美は再び顔をうつ伏せにする。
「一つタメになることを教えようか」
独りごつように良照は言った。
「酒を飲んで忘れられることというのは、別に普通にしてても忘れられるものなんだ。酒は人間を錯乱状態にさせるが、それはあくまで一時的なことで、記憶というのはちゃ~んと脳に残ってる。ゆえに、心に深く負った傷というのは酒の力じゃどうしようもならんわけよ。ヤケ酒というのは非常に効率が悪い」
「一時的でもいいですよ私は」
「ふ~む、さてさてどうしたものか」
軽く肩をすくめ、良照はタバコの火を消した。
「神林...これから、オレんち来るか?」
「え...?」


「...って、一瞬でもドキッとした私が馬鹿でしたよ」
喧騒にかき消されるほどの小さな声で里美は呟いた。
「あ?何か言ったか?」
鍋に具材を入れながら良照は振り返る。
「古峨せんぱーい!肉入れてくださいよ、これじゃただの野菜鍋ですよ」
一人の男が不平を洩らした。
「うるさい!豆腐を食え豆腐を!」
「だいたい人数が多すぎるんですよ、こんな狭い部屋で」
別の男の声が飛ぶ。
「狭くて悪かったな。だが、そのぶん温まるぞ」
「古峨さん...私やっぱりかえ」
と里美が口を開きかけたところで、それを遮るように良照が、
「ほらほら!神林!そんなとこに突っ立ってないでここに座れ!」
「はいはい...」
その後、良照の家では深夜まで鍋パーティが続いた。
最初は乗り気ではなかった里美も、いつしか団欒の輪に加わり、先ほどまでの嫌な気持ちが消し飛んでることに気付いた。
「...たまにはこういうクリスマスもいいかな、なんて」


極私的妄想劇場②(基本的に適当なネタが思いつかなかったときに書きます)

「ねぇ、藤井クン、男の子ってどういうときにHになるの?」
三重野妙子はニヤニヤしながら言った。
「あのー、そういう確信犯的な質問やめてもらえます?先輩」
「あら~?どうして?」
唇を尖らせ、わざとらしく首を傾げながら妙子は藤井の顔を覗きこんでくる。
「...もうその手には乗りませんよ」
「へぇ~」
妙子は藤井の耳たぶをいじりながら、
「でも以前は困惑しながらも内心喜んでたように見受けられたんですけどー」
「まぁ、前は前...ってことで」
精一杯虚勢を張り、そっぽを向く藤井。
「じゃあこういうのは?」
妙子は体を摺り寄せ、顔を藤井の肩にポンと乗せた。
「あー、結構効いてるみたい」


極私的妄想劇場⑤(眠くてしょうがないときに書きます)

相変わらず入院中の藤井。
このまま足が退化するのでは、と心配になるるほど藤井は動いてなかった。
「ふはぁ~あ...、暇だ」
両腕を使えないときのあくびというのはどこか滑稽だな、とどうでもいいことを思いながら藤井は窓外の樹木に目をやった。
「こんちわー」
「わっ」
カーテンが急に開き、麗子(保健の先生)が顔を覗かせた。
「お見舞いにきたよん」
「もう、驚かせないでくださいよ」
「なんだ、思ったより元気だね。心配して損しちゃった」
麗子は藤井のベッドに腰を下ろす。
「へぇ~、これ固定されてるんだね」
ギブスを指でちょんちょんと突きながら麗子は訊く。
「ええ。でも、もう少しで外せるみたいなんですけど」
「それまでは、このまま動けないの?」
「そうです、なもんでもう暇で暇で...」
藤井が喋っている途中から、麗子は藤井の胸あたりに指を這わせた。
「ちょ、ちょっと!!何してるんすか!?」
「いや、どういう反応するかなー、と思って」
新しいおもちゃを与えられた子供のような瞳で麗子は続ける。
「この後、『ずっと両手が使えないから、溜まってるんでしょ?』とかいう展開を期待してるんでしょ?」
「...図星って言ったらどうします?」
「へぇ~、って言うだけ」
「(...完全に弄ばれてんな俺)」
その二人のやりとりをカーテンの外で聞きながら、篠崎彩子は一人笑いをこらえていた。


『それぞれのクリスマス』(極私的妄想編)

「まさか、クリスマスも病院で過ごすとは思わなかったな...」
藤井はベッドの中で倦怠感に包まれていた。
視界に白いものが入ってきたので、チラッと窓外を見やる。
「雪か...」
藤井は視線を天井に戻した。
「雪国の人間にとっては珍しくもなんともないな」
「藤井さん、起きてますか?」
仕切りカーテンの向こうから女性の声が聞こえた。
藤井は瞬時に篠崎彩子とわかった。
「あ、はい、どうぞ」
「こんばんわ~」
彩子は手にケーキ用の白いキャリーデコ箱を持っていた。
食事用スペースにその箱を置き、窓の外を見ながら彩子はベッド脇のスツールに腰を下ろす。
「わー、降ってきましたね。寒いわけだ」
彩子は息を吐きながら手をすり合わせる。室内はあまり暖房が効いていなかった。
「どうしたんですか?こんな時間に」
藤井は訊いた。この時間に彩子と話すのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「これケーキなんですけど、一緒に食べません?今日、買ってきたんですけど」
そう言いながら彩子は箱の蓋を開けた。
色とりどりのケーキが並び、目にも鮮やかだった。定番のイチゴショートもあった。
「お、いいですねー、今夜はクリスマスですもんね」
「それもあるんですけど、あの、8日遅れの藤井さんのお誕生日祝いも一緒にと思って。ほら、12月17日は藤井さんの誕生日でしたよね?」
藤井は虚を衝かれたような顔をした。
「え、篠崎さん、覚えててくれたんですか?っていうか、それ以前に知ってたんですか?僕の誕生日」
「え、ええ、まぁ」
いくぶんか歯切れの悪い調子で彩子は答える。しかし藤井は特に気に止めなかった。
「ううう~、こんなに人の温かみに触れたのは初めてですよ」
藤井はわざとらしく両眼の位置に右腕を当てて、感涙にむせぶ仕草をしてみせた。
「ちょっと大げさですよ藤井さん(笑)」
「だって...12月17日は誕生日だっていうのに、携帯におめでとうメールが一件しか入ってなかった上、実家に帰ったら、家族は僕の誕生日のことを完全に忘れていたんですよ(注:両方とも実話)」
「私だって似たようなもんですよ」
「いえいえ、篠崎さん、ホントありがとうございます」
背筋を伸ばし、藤井はベッドに座ったまま深々とおじぎをした。
「いやだ、そんな改まって言わなくてもいいですよ(笑)」
そう言うと、彩子は少し逡巡するような表情を見せ、
「あの...本当のことを言いますと...私に藤井さんの誕生日を教えてくれたのは、麗子先生なんですよ」
「え」
間抜けな声で藤井は反応した。
彩子はケーキの入った箱を見つめながら続ける。
「予定が合わなくて今日は来れないとのことで、麗子さんご自身でケーキをわざわざ注文してくれて」
「そうだったんですか...」
藤井の中に何か熱いものがこみ上げてきた。
「篠崎さん、ケーキ食べましょう!」
彩子はニッコリと笑って頷いた。



とまぁ、基本的に、上記のような文章を、ほぼ毎日のように書いていたのだが、我ながらよくこんなことを毎日書いてたな、と思う。極私的妄想劇場を読んでわかるように、大学時代は、今は無い闇の妄想パワーがあったのかもしれない。


余談。
今の奥さんと付き合い始めて一年目に、奥さんに宛てて書いた手紙の下書きが出てきたのだが、これについては、あと数十年は寝かせないと飲めない感じの仕上がりになっていたので、いつか飲めるときがきたら解禁しようかな、と思っている。

女形風味』のトップ

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ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ編(1)~

ラジオ投稿記~STVラジオ編~
ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~
からの続き。

今回の爆笑問題カーボーイ編については、1回で書き上げられる気が全くしなかったので、「UP'S~無印時代」「JUNK時代」辺りで区切って2回 (もしくは3回) に分けて書こうと思う。爆笑問題カーボーイについては、2年前にこのブログで取り上げたことがあったが、実質、今回のブログがその続きに相当することになる。


爆笑問題カーボーイ(昔は爆笑問題カウボーイ)』を本格的に聴き始めたのは、確か99年頃だったと思う。
99年というと、爆笑問題の二人は、まだ30代半ば。年齢だけで判断すると、まだまだ若手といったところだが、この時点で結成から11年という相当なキャリアがあり、さらに司会業も板につき始めた頃だったので、テレビで目にする二人の姿には、既にベテランの風格すら感じられた。
それとは対照的に、ラジオでのトークはフレッシュな若手感が漂っており、二人の和気藹々とした雰囲気と、小気味よくテンポのあるトークは、聴いていて心地よかった。あと、たまに大学時代のノリで、田中さんが太田さんのことを「光さぁ」とウッカリ呼び捨てにすることもあったりと、コアな爆笑問題ファンにはたまらない (?) やりとりも垣間見る (聴く) ことができた。


この頃のカーボーイは、まだ生放送で、オープニングでFAXの呼び込みをしたり、『今週のリスナー代表』として選ばれたリスナーに電話をつないだりと、今とは大分異なる番組構成だった。オープニングで流れるテーマ曲も今とは違う。逆に、今と変わらない点といえば、タイトルコールの後に田中さんが関東地方の天気について話す部分ぐらいだろうか。この田中さんのちょっとした天気話が好き、というリスナーは地味に多いと聞く (私も好きだ)。


そして、当たり前だが、コーナーのラインナップも今と全く違う。唯一、『CD田中』だけが最古のコーナーとして今も生き残っているが、それ以外のコーナーは、『みみいろばみいろ』『川柳研究所』『学校ネタ』『ハッピーワールド』『チンチロうた』『バイウィークリーアンケート』などなど、もはやオッサンリスナーしか知らないようなコーナーだらけである。中には Wikipedia にすら載っていない完全に忘れられたコーナーもあるので、最近聴き始めたという若いリスナーは、特に新鮮に感じるかもしれない。
ちなみに、『学校ネタ』と『チンチロうた』については書籍化もされている。むしろ、学校ネタは本のが有名かも(宝島社爆笑問題の学校VOW』)。
あと、ついでにもう一つ若人の知らない豆知識を披露すると、CD田中というコーナーは、当初、リスナーの作品とは別に、必ずスタッフの作品があった。まだネタの作りの勝手が分からないリスナーへのお手本としてだったのか、それとも単に投稿数が少なかったのかは分からないが、何にしても、毎週ネタを作るスタッフの苦労たるや想像に難くない。また、番組にゲストが来ると、必ずCD○○(○○に入るのはゲストの名前)として、ゲスト版のCD田中がスタッフの手によって作られていた。番組前半のトークで、ゲストが喋った台詞を拾って即興でネタを作るので、かなりスタッフの力量が試されていたように思う。

所変われば品変わる、番組変わればネタの毛色変わる、ということで、爆笑問題のラジオに送られてくるネタも一種独特で、コサキンのそれとはまた違った雰囲気を醸し出していた。
この番組の特徴なのかもしれないが、ネタよりも、投稿してくるリスナー自身にスポットが当たることが多かった。今ではその文化は廃れてしまったが、ネタの前にリスナーの自己紹介を読んでいた時期もあった (今も近いものはあるけど)。当時、番組のファンサイトで個人的に何度も絡ませて頂いた岩崎トシヒデさんは『謎の忍者』を名乗って投稿していたし、『FAXを持っていないリスナー』としてお馴染みだった黒沢竜馬さんは、田中さんに対して「FAXを買って下さい!」と懇願するメッセージを、必ずネタの前に挟んでいた。「FAXがあれば、進路が助かる」という言葉は、古参リスナーだったら覚えている人もいるかもしれない (ちなみに、最終的に本当にFAXを買ってもらっていた) 。

そんなキャラの濃いリスナーが大勢いたこともあってか、「ここに自分が入っていくのは難しそうだなぁ」と気後れして、最初は投稿すること自体考えていなかったが、聴くだけリスナーを1年ほど続けた頃、転機が訪れる。この転機というのは、自分の転機であると同時に番組の転機でもあるのだが、ちょうどミレニアムの年である2001年の最初の放送で、太田さんの口から出た「今やってるコーナー、全部やめる!」という一言がきっかけとなり、現在進行形のコーナーが全て廃止になった。もちろんCD田中も。

廃止になると共に、新しいコーナーが太田さんの思いつきでポンポン生まれた。「『ベランダ』のエピソードを募集しよう」やら「『風が吹いた』ってコーナーどう?」など、完全にその場のノリで毎週のようにコーナーが生まれ、コーナーが20個ほど乱立した時期もあった。このコーナー乱立については、当時賛否両論あったが、番組の新陳代謝が向上し、初投稿の新規リスナーが増え、玉石混合の中で数々の名コーナーも誕生したので、結果的には良かったと思っている。

私もこのコーナー改革の波に乗り遅れまいと、「自分にも書けそう」と思ったコーナーへの投稿を積極的に始めたのだが、これが笑っちゃうくらい採用されなかった。当時の自分がどんなネタを送っていたのか全く覚えていないが、かなりピントのズレたネタを送っていたことは間違いない。
コーナーが増えるというのは、必然的に1つのコーナーに対して読まれるネタの数が減るということで、それはつまりどういうことかというと、『そのコーナーに送られてきた、面白かったネタの上から3つぐらいしか読まれない』ということなのだ。その上位3つに食い込むことができず、悔し涙を飲む日々が続いた。ネタが読まれないときの投稿者あるあるとしてお馴染みの「これ、ハガキが局に届いてないのではないだろうか?」「ネタに目を通されずに捨てられているのではないだろうか?」という疑心暗鬼に苛まれることも多かった。

そして、不採用が続いて半ば自暴自棄になってたある日のこと。

ここから書くことに関しては、投稿者として間違っても絶対にやってはいけないことなのだけど、「女のフリして送ったら採用されたりして」という良からぬ考えが頭をよぎった。よぎるだけならまだ良かったのだが、それを実行に移すだけの鬱積したものが当時の自分にはあった。
先に述べたように、この番組というのはリスナーにスポットが当たることが多く、リスナーのキャラが立っていれば、それだけスタッフの目にも留まりやすい (というと語弊があるが、当時は特にこれが顕著だった)。なので、女性投稿者の絶対数が少ないことを考えると、採用される可能性は高いと踏んでいた。

そして、「まぁ、とりあえず出してみるだけ」と軽いノリでハガキを送ってみたところ、これが一発で採用されてしまった。
『女性の立場から』というコーナーに送った普通のネタ (というか質問) だったが、まさか本当に読まれるとは思っていなかったので、心臓が飛び出るほど驚いた。もちろん、性別を偽って採用されたという罪悪感は多少なりともあったが、それ以上に、初めて爆笑問題のラジオで読まれたという嬉しさの方が勝ってしまい、味をしめた私は、その後も、藤井理奈というペンネームを使い、ハガキの本名を書く部分には苗字だけを書き、"あくまで女性として"ネタを送り続けた。藤井理奈名義で2回ほどYAS5000賞  (当時の週に1人だけ貰える賞) を頂いたが、さすがに途中で虚しくなったのか、投稿は自然と辞めてしまった。ちなみに、賞を頂いたコーナーは、『処女ちゃん』と『僕と私のオナ日記』という、名前の通り品性の欠片もないコーナーである。


それ以降、性別を偽って送ることはなくなったが、今でも悪いことをしたなと自責の念に駆られることがある。「実はボク、藤井理奈なんですよー」みたいなことをファンサイトの掲示板に書き込んだりもしていたので、今思うと本当にイタいやつだった。できることなら、タイムマシンで当時の自分のところに行ってブン殴ってやりたい。
私のラジオ投稿に関する黒歴史のベスト3に間違いなくランクインする出来事だったと思う。

藤井理奈としての投稿を辞めたぐらいのタイミングで、番組内でのコーナー乱立の波は落ち着きを見せ、『こしょうふりかけました』や『70代の視点から』といった出落ちのようなコーナーは完全に消え去り、『音の神様』『子供未来戦争』『田中の弟子募集』『新明解太田辞典』といった人気コーナーだけが生き残った。


ここからまた1年ほど聴くだけリスナーに戻り、『ガール』のコーナーが始まったことをきっかけに、再び別のペンネームでカーボーイへの投稿を再開するのだが、それはまた次回。

UP'S~無印時代の賞 (YAS5000笑い袋&クオカード)
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逃げるは恥だが役に立つ

今、"恋ダンス"が話題を呼んでいるドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(通称:逃げ恥)にハマっているので、個人的な感想を少し書こうと思う(あらすじをダラダラ説明するつもりは無いので、詳しい内容についてはWikiなどで確認してほしい)。

ブコメ系ドラマから随分と遠ざかっていたので、久しぶりに男女の恋愛模様を描く本作品を観て、想像以上の甘酸っぱさに心を持っていかれてしまった。どこか懐かしさを感じさせてくれる、このムズがゆく初々しい恋愛模様は、自分の中に眠っていた純情可憐な乙女の心と、純粋無垢な童貞の心を同時に呼び起こしてくれた。

脚本が素晴らしいのはモチロンなのだが、主演を務めるガッキーが本当にカワイイ。ガッキーのあまりの可愛さに何も句が浮かばなかった芭蕉が、ただただ「ガッキーや ああガッキーや ガッキーや」と詠んだという逸話はあまりに有名だが、ガッキーの可愛さというのは、デカルトが提唱した「我思う、ゆえに我あり」に並んで、一切の疑う余地がないほどの絶対的真実だと思う。

芸能界には、可愛らしい女優さんが星の数ほどいるが、ガッキーほどこの役がハマる女優はいないのではないだろうか。例えば、(年齢的なことは置いといて)綾瀬はるか石原さとみで考えたときに、どうにもしっくりこない。なぜしっくりこないのだろう、と考えてみたところ、ガッキー天性の女の子らしさにあるのではないか、という結論に達した。
ガッキーは、すごく女の子っぽい雰囲気を持っている。「女の子なんだから当たり前だろう」と思うかもしれないが、とにかく女の子っぽいのである。まだあどけなさが残る少女のような透き通った声、清らかな笑顔、そして、そんな中に見え隠れする一本芯が通った力強さ、そんな、男子が思い描く象徴的な女の子なのだ。爆笑問題田中裕二氏の言葉を借りるなら、とても"ガール"っぽいのである。そのガール感が、ヒロインの森山みくり(もりやま・みくり)に非常にマッチしている。

で、そんなみくりが、星野源演じる"プロの独身"こと津崎平匡(つざき・ひらまさ)に振り回され(ときには振り回す)るのだが、この星野源の童貞っぽさというか、こじらせてる感じの演技がまたとても良い。平匡の煮え切らない態度に「さっさと手ぇつなげよ!」とか「ガッキー泣かせんなよ!」と本気で思ったりするし、その反面で、平匡の葛藤に共感することもあったりと、みくり以上に見てるこっちの心が揺れ動かされ、その揺れ幅に共鳴して泣きそうになったりもする。

テレビの前で第三者として観ているこっちとしては、二人が両想いで、いつか結ばれることは知っている。けれど、二人の気持ちはすれちがってばかりで、なかなか交わらない。けど、お互いがお互いに惹かれあっていることに薄々は気付いている。けど、自分の本当の気持ちを相手に伝えることができない。けど、伝えたい。けど、素直になれない。けど、(略)。この絶妙な空気感に、いつも「あー、もう!あー、もう!」と、テレビ画面の前で限界まで身体をねじらせているのだが、もうしばらく、このねじれ運動を続けさせてほしいので、まだ完全にはくっつかないでほしい、という煮え切らない感想をもって締めの言葉とさせて頂きます。

ロンドン旅行記 (三日目)

ロンドン三日目。
「女心とロンドンの空」とばかりに、前日とはうって変わって良い天気だった。
ロンドンに来て初めての青空だったが、空が変わるだけでこんなに変わるものか、
と思うほど、窓から見える景色も違って見えた。

この日の午前中は、妻が前々から行きたがっていた『ヴィヴィアン・ウエストウッド』の本店(ワールズ・エンド)に行くことになっていた。
ヴィヴィアンとはイギリスのファッションブランドのことである。私はファッションブランドについては(言うまでもなく)疎いのだが、幾度となく妻の買い物に付き合っているうちに、ヴィヴィアンだけはそれなりに分かるようになった。といっても、あの王冠と地球のロゴぐらいだけど。

早めに朝食をとり、身支度を整えると、トッテナム・コート・ロード駅から、南西の方角にあるスローン・スクエア駅へと向かった。スローン・スクエア駅に着くと、そこからさらに長い道のりを20分ほど歩いたが、後になってワールズ・エンド行きのバスを見かけて、「あー、あれに乗ればよかったね」となった。まぁ、そのぶんロンドンの街並みをたくさん見れたので、それはそれで良かったのだけれど。  

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自分たちが歩いてきたキングスロードの西の端に、お目当ての店『ワールズエンド』はあった。店が数多く立ち並んでいる通りの、かなり外れに位置しているその店の前には、大きな時計が飾られており、それが勢いよく逆時計回りで回っていた(時計に対して逆時計回りという表現を使うのは違和感がある)。
ちなみに、この店は映画『けいおん!』にもチラッと出てくる、ということを後になって知った。ロンドンに行く何週か前の食事会で、友人らから「『けいおん!』の映画は絶対に観たほうがいいよ!」と強く勧められたので、行く前に観ておけばよかったな、と後悔した。

 

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日本人のスタッフがいる、という情報をネットで事前に仕入れていたのだが、店内には、カッコいい感じのイギリス人のお姉さん店員が二人いるだけだった。レジに座っていた方のお姉さんは、胸のところにオッパイの写真が印刷されたオッパイTシャツを着ていた。


店内を見て回っていると、お姉さんが「何をお探し?」と話しかけてきたので、妻が「こういう靴がほしい」説明すると、それに見合った靴を何種類か持ってきてくれた。靴を履いている間に、レジのところにいたお姉さんが、スマホを片手に「ねぇねぇ、この犬、チョー面白くない?」みたいなことを言いながら、変な帽子をかぶった犬の写真を見せてくれた。
2日目に出会ったKizittaさんのときにも感じたことだが、ロンドンの店員は、接客が日本のそれと比べてとてもフランクである。これが日本の店員だったら、「あ、大丈夫です」とか言いながら心の扉をそっと閉じるところだが、そんなに嫌な感じがしないのは、向こうがしごく自然体だからだろうか。まぁ、嫌な感じがしないとは言っても、もちろん緊張はするのだけれど。

靴は、それなりの値段したので、今回はクレジットカードで支払った。イギリスはカード社会で、たいていの店はカードが使える。なかには、現金を嫌がる店もあるらしいが、確かに、高額の買い物をしたときになどは、10ポンド札を何十枚もいちいち出すのは、払う方としても面倒だな、と思った。
そんなこんなで、無事に靴(とネックレス)を購入し、店を後にした。

バスでトッテナム・コート・ロードへ戻り、ホテルに荷物を置くと、17時頃まで近場を散策することにした。というのも、この日は、18時から、『切り裂きジャックのダークロンドンとカルチャー発信地ショーディッチ』という、今回のロンドン旅行で唯一申し込んだオプションツアーに参加することになっていたからである。

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ツアーの待ち合わせは、早めに出たものの、微妙に場所が分からなかったので、駅員に聞きながら、どうにか待ち合わせ場所までたどり着いた。私たちが一番最初だったようで、まだツアコンの人すら着ていないようだった。
駅の中を見回しながらしばらく待っていると、小学校の先生のような風貌の男性が現れ、おもむろに「切り裂きジャックツアー」と書かれた紙を両手に掲げた。人目のつく場所で怪しげな紙を掲げることに興奮を覚える性癖の人ではないことを遠巻きに確認しつつ、おそるおそる話しかけてみると、長谷川さんというツアコンの方だった。
「よろしくお願いします」とお互いに挨拶を交わすと、長谷川さんが「まだ他に2名参加者がいるんですけど、まだ来られていないようですね」と、辺りを見回した。他の参加者は両方とも女性らしい。ちなみに、このツアーを強く希望したのは妻なので、女性はこういうのが好きなのだろうか、と思った。

開始5分前になると、参加者と思しき女性が現れた。見た目は、しっかりしてそうな感じの20代後半のOLだったが、後で話を聞いてみると、まだ社会人1年目だそうで、一人でロンドンまで7泊8日の旅行に来たらしい。さぞかし旅慣れているのかと思ったが、これが初の海外旅行で、しかも英語が苦手らしく、困ったときはグーグル翻訳を使って言いたいことを全て書き出し、それを係員に見せて「This, OK?」で乗り切ってきたとのことだ。「グーグル翻訳、最強っすよ!」と言っていたが、心の中で「あなたも結構最強ですよ」と思っていた。本人がこのブログを読んでいるため、勝手な想像であれやこれや書くのは控えるが、すごく楽しい人だったので良かった。
参加するはずだったもう一人の女性は、結局、待ち合わせ時間を過ぎても現れなかったため、やむなく置いていくことにした。

切り裂きジャックのツアーと銘打ってはいるが、移動している間に、長谷川さんから、ロンドンでは有名な美味しいチョコレートの店やベーグルの店など、色んな店を紹介してもらった。ベーグルの店は、ツアーの帰りに寄って、美味しいと評判の『ホット・ソルト・ビーフ』を買って帰った。これもとても美味しかった。

肝心の切り裂きジャックの話も、とても興味深く聞けた。長谷川さんが、小学校の先生のような口調で、「はい、ここがですね、第五の殺人が起こった場所になります」と、遠足ではまず聞かないタイプの台詞を、朗々と淀みなく話しているのを聞きながら、現場の写真を撮ったりした。ちなみに、後から箕輪さんに聞いたところ、長谷川さん、本当に小学校の先生だったらしい。   以下、写真メインで紹介する。   第五の殺人が起こった学生寮の前。もともとは簡易宿泊施設という名の売春宿だったらしい。売春宿をそのまま学生寮にするのもすごいけど。

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切り裂きジャックと被害者が会っていたと思われる有名なパブ。一時期は、切り裂きジャックに乗っかって『Jack the Ripper』という名前にしていたらしい。

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第二の殺人現場。

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切り裂きジャックの逃走経路だったと言われている、雰囲気のある路地。また、このロンドンっぽい街頭が良い味を出している。

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クラフトビール工場。

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  『世界弾丸トラベラー』で、南キャンの静ちゃんが行ったというカレー屋。地元でも美味しいと有名らしい。

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美味しいと評判のチョコレート屋さん。チョコレートは1粒単位で売られていて、すべて量り売りっていう、なかなか珍しいシステム。

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  毎日行列ができるという、24時間営業のベーグル屋さん。

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  最後は、ブリュードッグという有名なパブでクラフトビールを飲んで、この日はおしまい。

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そんなわけで、三日目終了。この日もグッタリして、ベーグルを食べた後はすぐに寝た。    

ロンドン旅行記 (二日目)

ロンドン二日目。   雨こそ降らないものの、この日も天気はどんよりとしていた。ロンドンで迎える初めての朝だったので、気持ちよくカラッと晴れていてほしかったが、そもそも晴れることの方が珍しいらしいので、そういうものだと割り切ることにした。

着替えて1階の朝食ブッフェに行くと、パン、スクランブルエッグ、ハム、ベーコン、ベイクドビーンズ、ソーセージ、マッシュルームソテー、ポテト、チーズ、ナッツ...などなど、いわゆる『イングリッシュブレックファスト』と呼ばれる料理が所狭しと並んでいた。はやる気持ちを抑えつつ、胃のキャパシティを超えない程度に料理を皿に盛り付けた。

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そんなに沢山とったつもりはなかったが、これがズシっとお腹に重くのしかかってきた。特に、ソーセージとベーコン、マッシュルームソテーが重く、「基本的に、油を使う料理はとことん脂っこいんだな」と、このとき悟った。

この日の午前中は、佐藤さんというツアコンの方がロンドンを案内してくれることになっていたので、早めに身支度を済ませてロビーへと向かった。ロビーでは、既に佐藤さんと思しき女性がソファに腰かけて私たちを待っていた。テーブルを挟んで佐藤さんと対峙し、「よろしくお願いします」と会釈すると、彼女は「今日はね、とても楽しみにしてたの」と、人なつっこい笑顔をこちらに向けてきた。箕輪さんから"佐藤"という名前だけは聞いていたが、それ以外の情報がゼロだったので、勝手に若い女性だと思い込んでいたが、実際は、年のころ50代のミセスだった。

佐藤さんはテーブルの上に地図を広げ、ロンドン市内の各エリアについて簡単に説明してくれた。
「いい?ロンドンは大きく東と西に分かれていて、東はシティ・オブ・ロンドンを中心とした金融街、西は商業や文化施設などが集中している、いわゆるウェスト・エンドと呼ばれる娯楽の中心地なの。だから、イギリス人は、東側で一生懸命働いてお金を蓄えて、西側で人生を謳歌するわけ」
語尾に「わけ」を多用する桃井かおりのような口調で話す佐藤さんの一言一言に、うんうんと頷きながら、実際にどこを見て回るのかを相談した。私たちが泊っているホテルは、ちょうどその東西の分かれ目であるトッテナム・コート・ロードのすぐ近くで、立地の面ではとても恵まれていたらしく、佐藤さんから「あなた達、運が良いわよ」と言われた。ちょいちょい芝居がかった台詞を挟んでくるため、まるで自分たちが映画の主人公にでもなった気分だった。

そんなこんなで、行く場所がある程度固まると、ホテルのすぐ近くにあるトッテナム・コート・ロード駅へと向かった。

観光スポットを回りながら、佐藤さんから地下鉄やバスの乗り方も合わせて教えてもらった。
日本では、公共交通機関を利用する際の乗車カードとして『SUICA』があるが、ロンドンでも『オイスターカード』という似たようなものがある。これを改札機の読み取り部にタッチすることで、自由に地下鉄やバスに乗ることができるのだ。 最初、「なんでオイスター(牡蠣)?」と思ったが、それを言ったら、日本も「なんでスイカ?」なので、名前についてはあまり深く考えないことにした。旅行会社から、10ポンドが入ったオイスターカードを事前にもらっていたので、そこに20ポンドを追加でチャージした。

トッテナム・コート・ロード駅からノーザンラインに乗って南下し、ウォータールー駅で降りると、目の前にはテムズ川が広がっていた。世界最大の観覧車ロンドン・アイを視界の端で捉えながら川沿いを5分ほど歩くと、前方にビッグ・ベンが見えてきた。ビッグ・ベンとは、国会議事堂に付属する時計台の通称である。ロンドンを象徴するランドマークということもあり、遠くから見ても大分迫力があった。  

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合間合間に記念写真を撮り、大きな音で鐘が10回鳴り響いたのを聴いてから、休む間もなくトラファルガー広場へと移動した。広場の中に、ナショナルギャラリーの入り口へと続く階段があった。

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館内は、ゴッホダ・ヴィンチをはじめとした世界的に有名な画家の作品が数多く展示されていた。日本の美術館と違い、写真撮影も特に禁止されておらず、とても自由で開放的な空間だった。美大の学生と思しき女性が1枚の絵の前に座り込み、スケッチブックを広げて精巧な模写をしている光景なども見られた。

佐藤さんは絵画にも精通しているらしく、有名画家の作品について、丁寧かつ係員に注意されるのではないかと心配になるほど大きな声で私たちに解説してくれた。特に、マイク・タイソンカイジと並んで『世界三大・耳ちぎり』として私の中でお馴染みのゴッホについては、その耳ちぎりエピソードを含めて、生い立ちを詳しく話してくれた。
そんな佐藤さんに、「一番好きな画家は誰ですか?」と聞いてみたところ、「うーん、そうねぇ、カラヴァッジオかしら」という返事が返ってきた。正直、私は絵画について明るくないため、『カラマチオ』と空耳して、「何かエロい単語かな?」ぐらいにしか思わなかったが、妻が「私の持ってるバッグに、カラヴァッジオの絵が使われてるのがありますよ」と反応し、意外なところに二人の共通点があることが分かった。

ナショナルギャラリーを出ると、そこからバスに乗った。ロンドン名物の赤い2階建てバスである。バスに乗るのはこれが初めてだったが、オイスターカードで「ピッ」とやるだけなので、乗るのは簡単だった。ただ、『何番のバスがどこに行くか』とかはよく分かってなかったので、地下鉄と比べてバスはまだハードルが高いな、と思った。

バッキンガム宮殿の近くのバス停で降りて、大きめの通りへと出た。佐藤さんが「タイミングが合えば騎兵隊交替式が見れるかも」と言っていたが、タイミング的にバッチリだったようで、宮殿の方から馬に乗った騎兵隊がやってくるのが見えた。  

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馬に跨って悠々と闊歩する姿はカッコよかった。あと、警察が馬に乗ってるのは、なんか良い。 で、騎兵隊交替式の後に、続けて衛兵交替式。こっちの方がロンドンっぽい感じがするのは、赤い制服と黒いモコモコの長帽子のためだろうか。ちなみに、秋になると、この赤い制服からグレーのロングコートになるらしいが、やはり夏期制服のが映える。

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騎兵隊が通り過ぎた後の道路に散乱した馬糞を横目に、そのまま徒歩でバーリントン・アーケードへと向かった。バーリントン・アーケードとは、歴史と格式の高いお店が軒を連ねた、世界最古のアーケードである。 このアーケードには独自のルールが設けられており、走ったり、大声で話したり、口笛を吹いたり、光に当てたり、水をかけたり、12時過ぎに食べ物を与えたりするのはNGらしい。後半に若干の嘘も混じっているが、こういった独自ルールがあるあたり、格式の高さが伺える。ウィンドウ越しに店内を眺めるだけでも、一般庶民がとても気軽にショッピングできるようなところではない、ということが分かるほど高貴な雰囲気が漂っていた。実際、貴族御用達の店も多いらしい。
この後は、サンドウィッチ発祥の店や、山高帽発祥の店など、興味深い店を何件も案内してもらった。あっという間の3時間が過ぎると、バスでトッテナム・コート・ロードへと戻り、最後に、佐藤さんから「旅行だからって、夜逃げみたいにあっちこっち忙しく動き回るんじゃなくて、イギリスのテンポで、ゆっくりと楽しんでいって下さい」というお言葉を頂き、彼女とはそこでお別れした。
ホテルへと帰る道すがら、『Sainsbury's』というスーパーマーケットに立ち寄った。 ここで、イギリスではお馴染みの、マーマイトという癖のある調味料やら、紅茶などを買った。
会計のコーナーに行くと、通常のレジの他にセルフレジがあった。セルフレジはいまいち使い方が分からなかったので、通常のレジの方に並ぶと、そこにひときわ目立つ黒人の女性店員の姿があった。かなりふくよかな身体をしたその店員は、人目もはばからず気持ちよさそうに歌を歌っていた。日本だったら間違いなくアウトな行為だが、そこはユーモアの国イギリス。他のレジの店員もお客さんも、それを見てゲラゲラと笑っていた。
自分たちの番が回ってくると、運命の悪戯か、その店員のレジにあたった。彼女の前に立つと、「オー!ニホンジン!?」と片言の日本語で聞いてきたので、はい、と答えると、続けて「コンニチワー!」と笑顔で挨拶してきた。他の店でもそうだったが、外国人から日本語で挨拶されると妙に嬉しくなるもので、この店員との距離が急激に近くなったような気がした。

この店員、頭に巨大な安全ピンのアクセサリーを大量に付けていたのだが、それを見て妻が、「I have the same one.(私も同じやつ持ってます)」と言った。そういえば私も何か見覚えがあるな、という気がしていたのだが、妻が所持しているヴィヴィアン・ウエストウッド(イギリスのファッションブランド)のバッグにも、安全ピンをモチーフにしたやつがあったな、ということを思い出した。この妻の一言をきっかけに、妻と店員の距離がさらにグッと縮まり、そこから片言の英語と日本語を交えながらの会話が弾んだ。
彼女は「Kizitta」という名前で、このスーパーマーケットとは別に、服屋をやっているらしい (あと、後で調べたらユーチューバーだということが判明した)。Kizittaさんは、その服屋の住所と電話番号をレシートの裏に書き「よかったら連絡してね」と言って、私たちに渡してくれた。ありがとうと言ってガッツリ両手で握手をし、少し名残惜しい感じで店を後にすると、妻が「Kizittaさんとは、また会ってみたいね」と言った。
私の脳内に住んでいる落語家が、「いやぁ~、安全ピンってのは、人と人とを繋ぐモノでもあるんだなぁ~」と、人情噺のサゲっぽい台詞を言って、静かに袖へとはけていった。

この時点で昼の12時を回っていたが、私も妻も朝食がまだ消化しきれておらず、とても昼食をとれる状態ではなかったので、部屋に荷物を置いて少し休んだ後、歩いて大英博物館へと向かった。

「世界最大級の博物館に、徒歩5分で行けるなんて贅沢な話だなー」などと思いながら博物館の門をくぐると、そこには数十本の円柱が立ち並ぶギリシャ神殿風の建物が立っていた。「早く沙織お嬢様を救い出さねば...!」と思ったり思わなかったりしながら博物館の中に足を踏み入れると、大きな円柱がそびえるメインホールが目の前に広がった。

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明るい白を基調とした壁と床によって、開けた空間がより広く感じた。
大英博物館は最終日にも行ったので、5日目のブログに写真も含めてその辺のことはまとめて書くことにする。

17時頃になると、さすがにお腹が空きはじめたので、ホテルのすぐ近くにあった『TAS』というレストランで、本場のフィッシュ&チップスを食べることにした。ただ、やはり「イギリス料理 = 美味しくない」という先入観があったため、実写版の『進撃の巨人』を観るとき並にハードルを下げてフライを食べたところ、これがとても美味しかった。外はカリカリ、中はふっくらで、タルタルソースとの相性も抜群だった。付け合せのポテトとサラダも普通に美味しかった。

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まぁ、店によって大きく当たり外れがあるとも聞くので、今回の店がたまたま当たりだったのかもしれないが、これで私のイギリス料理に対する偏見が少し取れたような気がした。

店を後にすると、今度は徒歩でオックスフォード・サーカスの方まで足を延ばし、しばらくウィンドウショッピングを楽しんだ。
再びホテルに戻り、部屋のベッドに倒れ込んだときには、足がパンパンになっているのが分かった。そして、パンパンマンへと変身した私の足が「本日の歩行可能距離が限界に達しました!」と戸田恵子ボイスで強く訴えかけてきたところで、本日の笑点お開き、とばかりにシャワーを浴びて、死んだように寝た(2度目)。

二日目終了。    

ロンドン旅行記 (日本出発~ロンドン初日まで)

去年からずっと新婚旅行に行くタイミングを逸していたのだが、今年に入ってから仕事も落ち着いてきたのと、周りから「行ったほうがいいよ」と背中を押されたこともあって、9月の祝日が固まっている週に、1年遅れのハネムーンに行くことに相成った。

当初、計画を立てるにあたって、妻に
「旅行、どこ行きたい?」
と聞いてみたところ、
「ロンドンか鳥取
という、これが「どっちの旅行ショー」だったら、鳥取側に付いたMCがぶちギレるほどの釣り合いのとれていない2択が返ってきたので、俺脳内会議により満場一致でロンドンに行くことに決定した (鳥取県民の方、ごめんなさい)。
ちなみに、鳥取候補に挙げたのは、(妻が)大好きな水木しげる氏の生まれ育った境港市に行きたいという理由である。

旅行会社については、結婚式で自分たちの担当だったウェデイングプランナーの方が紹介してくれたところに決めた。会社の公式ホームページを通して、担当の方にざっくりとこちらの希望を伝え、それに添ってロンドンの旅行プランを組んでもらった。

ちなみに、私と妻の海外旅行経験について少し説明すると、 妻は社員旅行でアジア(上海、香港、マカオ、台湾)に何回か行っているが、 自分は会社のイベントでグァムに1回行ったことがあるだけである。
お互い、ガッツリと英語圏の国に行ったことがなかったので、その点については不安があったが、妻としては飛行機に長時間乗る方に極度の不安を感じていたようだ(飛行機が大の苦手)。

そんなこんなで旅行当日。ワクワクよりも不安が勝る精神状態で羽田空港へと向かった。小学校の頃に先生から習った教え『5時間前行動』をしっかりと守り、出発の6時間前には空港に着いたので、空港で買った文庫本を1冊読み終わるほどの暇、もとい、余裕をもってフライトに臨むことができた。

経路としては、羽田空港から出発し、ドバイ空港で乗り換えてロンドン空港に行くという流れだったのだが、トータルで12時間以上も飛行機に乗っているということで、途中、何度も機内食が出た。個人的に、機内食にあまり良いイメージをもっていないのだが、今回利用したエミレーツ航空機内食は、結構美味しかった。ちなみに、前述のグァム旅行では、帰りの便で、CAから「チャーハン or ビーフン?」というあり得ない選択肢を提示されたのだが、そういうことは一度もなかった。

ただ、狭い機内席の中で、「寝て起きてご飯を食べて、寝て起きてご飯を食べて」を4回ほど繰り返しているうちに、小屋で飼われているブロイラーのような気持ちになり、ロンドンに着く頃には、海原雄山だったらまず口にしないようなゲンナリした鳥へと退化を遂げていた。

ロンドン空港に到着すると、出口のところで、旅行会社の箕輪さんという方が出迎えてくれた。洋画の吹き替え声優のような良い声をした、50代くらいのジェントルマンだった。
車でホテルまで向かう道中、箕輪さんから、ロンドン滞在中の諸注意や、ちょっとしたロンドントリビアなどを聞き、知識を補充した。

ホテルに着き、ようやくブロイラーから人間としての心を取り戻したのも束の間、なにやら箕輪さんとホテルの人が揉めていた。
ホテルの人が話す英語に耳を傾けると「え、予約されてねーけど?」と、なにやら不穏なことを言っているようだった。後でちゃんと話を聞いたところ、ホテル側の手違いで、19日からの予約のはずが20日からになっていたらしい。 とりあえず空いてる部屋を探してもらったところ、すんなり見つかったとのことだったので、部屋に行ってみると、これがまた信じられないくらい狭い部屋だった。  

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「え、これ一人部屋に無理矢理ダブルベッド押し込んだんじゃねーの?」と疑うほどの狭さで、その上、風呂場にバスタブすらなく、窓から見える景色は隣の家の壁だった。
なにか釈然としないまま荷物を床に置くと、すぐさま部屋に電話がかかってきた。箕輪さんだった。
「そっちの部屋、バスタブ無いですよね?今、ホテルの人に頼んで、部屋を替えてもらってます」
それを聞き、ホッと胸を撫で下ろしたが、新しい部屋がここと同じスペックなケースも全然考えられるので、できる限りハードルを下げて、新しい部屋に入った。  

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先程の部屋とはうって変わって、十分なスペースのある二人部屋だった。バスタブもちゃんとあるし、三枚の窓からはロンドン市内を見るとこができた。妻と顔を見合せ、今度こそ本当に安心した。
この時点で、ロンドンはまだ昼の2時過ぎ。移動の疲れは残っていたが、この後ずっとホテルにいるのも勿体なかったので、ホテル近辺を散策することにした。

外を歩くと、いかにもロンドンといった赤レンガ造りの建物が立ち並び、ただ歩いてるだけでも楽しかった。日本は広告がやたらと色んな場所にあるが、ロンドンにはそれが殆どなく、そこがまた上品な雰囲気を醸し出していた。ただ、広告や看板が少ないぶん、お目当ての店を探すのには苦労した。  

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立ち並んでいる店は、もちろん初めて見るものばかりだったが、なかには日本ではお馴染みの『ユニクロ』や『H&M』、『ZARA』なども普通にあった。特にZARAは至るところにあり、『シン・ゴジラ』で石原さとみ演じるカヨコが言った「ZARAはどこ?」という台詞は、それだけ海外でメジャーな店だからなのかな、と思ったりした。
あと、ロンドン市内を歩いていて感じたのは、こちらの人はあまり傘をささないということだ。予備知識としてある程度は知っていたが、「あ、本当にささないんだな」と、妙に感心した。特に男性に至っては、滞在中に1度も傘をさしている人を見なかった。
ロンドンというのは天候が変わりやすく、先程までザーザー雨が降っていたかと思えば、その3分後には雲間から日が差し込み、そのまま快晴になったりするので、「どうせすぐやむだろう」と思ってる人が多いのかもしれない。
後でツアコンの人に聞いたところ、出かけるときに雨が降っていても、傘を持たずに行く人もいるようだ。その辺は、日本人の感覚と大分異なる。

で、色々と辺りを歩いているうちにお腹が空いたので、適当な店で夕飯をとることにした。知らない土地で知らない店に入るのは緊張するものだが、国をまたぐとそれに輪をかけて緊張する。
ままよとばかりに、目に留まったステーキハウスに飛び込み、「We are two.」と店員に言って席に案内してもらった。

英語能力については、妻の方が高いため(というか、私のリスニング能力がダメ過ぎるのだが)、基本的に妻主導で話してもらう感じになったが、それでも店員が私に話しかけてくることもあるので、そこで聞き取れなかった場合は、捨てられた子犬のような目で妻を見つめて、助けを求めていた。

で、無事に注文が通り、運ばれてきたステーキが以下。

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見ただけで胃もたれしそうなほどのステーキと、サイドメニューのマッシュポテト、マッシュルームのガーリック炒めである。
正直、ステーキとマッシュルームに関してはイマイチだった。特にマッシュルームは、ガーリックの味がしない上に、これをサンマの代わりとして殿様に出そうものなら、家臣に打ち首にされかねないほどの油の量だった。

一応、「Very good.」と言って店を出たが、かなり胃にヘビーだったようで、夜は特に間食もせず、そのまま死んだように寝た。

初日終了。    

ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~

前回の『ラジオ投稿記~STVラジオ編~』からの続き。
※今回のブログ中のネタは、むらかみあつしさんのブログより引用させて頂きました

北海道のラジオが私の深夜ラジオの原点だったが、そこから徐々に全国区のラジオも聴くようになった。
当時は、地元の新潟本局(1116kHz)でも一部ネットしていたということで、ニッポン放送、特にオールナイトニッポン(以下、ANN)を好んで聴いていた。ANNについても寄り道話は色々とあるのだが、今回はコサキンがメインなので、できるだけ割愛して話を進める。

ANNは、火曜日の『松村邦弘のANN』を聴いたのが最初で、そこから他の曜日もチェックするようになった。一応全曜日を聴いたと思うが、水曜日が自分的にあまりハマらなかったらしく、「他に何か面白い番組やってないかなー」で見つけたのが『水曜UP'S コサキンDEワァオ!』だった。

当時の私は『コサキン』を知らなかった。
関根(勤)さんと小堺(一機)さんは、テレビを通してそれぞれ知っていたが、二人がコンビとして活動してたことも知らなければ、お笑い芸人としての二人の経歴も全く知らなかった。その他にも、小堺さんが無駄に良い体をしていることや、関根さんが家で奥さんから冷遇されていること、関根さんが高熱を出すと夢の中に野口五郎の連絡先を知りたい男が現れること、里見浩太郎さんが、デビュー当時エリザベス里見と言う名でセクシービデオ「水着の中の白乳房」を出ていたことなどなど、挙げればきりがないほど知らないことだらけだった(最後のは完全に嘘だが)。

そんな何も知らない状態で放送を聴いたわけだが、フリートークに登場する人物から、ネタに使われる芸能人の名前、「オギオギ」といった謎の擬音など、意味の分かる言葉を探す方が難しいほど意味の分からない世界だった。それでも聴き続けたのは、きっと何か感じるものがあったのだろう。最初、「3ヶ月ぐらい聴けば、言ってることの意味が分かるようになるのかな」と思っていたが、3ヶ月聴いた結果、「意味の分からないことを言って笑っている」ということが分かった。
「晴郎のうなじにスクランブル・・・スティーガンセブール主演のセルビデオ『グラマーマン・愛と青春のみみずばれ』にゲストとして出ている、鬼裸ちんちろうこと、水野晴郎のうなじには何らかの図形が描かれているがWOWOWのようなスクランブルがかかっているため、はっきりわからない。解除するには別売りのデコーダーが必要。 つまり本当の事を知るには多少の出費の覚悟がいるということ。」というネタの意味を分かれという方が酷である。

で、なんだかんだ聴き続けていくうちに、コサキンの魅力が少しずつ分かり始め、1年も経った頃には、すっかりコサキンの"意味ねぇ~世界"にどっぷりハマっていた。で、ほぼ時期を同じくして、並びでやっていた『伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力』と『火曜UP'S 爆笑問題カウボーイ』も聴き始めるのだが、最初の頃はずっとコサキンに夢中だった。

このへんから投稿の話。

記憶はおぼろげだが、番組にネタを送り出したのは、聴き始めてから1年以上経ってからだったと思う。今まで地方のラジオ局にしか出したことがなかったので、「ネット局も多いだろうし、採用されないだろうなぁ」と思っていたが、その予感は的中し、最初の頃は全く採用されなかった。それでも根気強く毎週毎週出し続けた結果、2000年の2月9日の『お葉書列島』のコーナーに、

嫌な力士ベスト3
3位「仮面をつけている」
2位「立ち合いの際に相手の力士を見て顔を赤らめる」
1位「自分のまわしをわざとゆるめる」

というネタで採用された。
読まれた瞬間、「え!?え!?今の俺?」と、戸惑いと嬉しさが入り混じったような感情が湧き上がり、ドキドキと震えが止まらなかった。信じられなくて、同録したカセットテープを、それこそ本当に擦り切れるくらい繰り返し聴いた。プリプリの『Diamond』の歌詞にある「いくつも恋して順序も覚えてKISSも上手くなったけど、初めて電話するときにはいつも震える」と同じ感じのやつかな、と思ったが、おそらく全く違う。

1度採用されると、何となくコツが分かってくるもので、この初採用を境に、ちょこちょこ読まれるようになった。最初の頃は、隔週でお題が替わる『お葉書列島』というコーナーをメインにネタを出していたが、そのうち他の色んなコーナーにも出すようになった。人間とは欲深いもので、読まれたら読まれたで、今度は「あのコーナーで読まれたい!」と、さらなる欲が出てくるのである。

数あるコーナーの中で、読まれたいのにハードルが高いコーナーの代表格だったのが、『CD大作戦』だった。このコーナーは、簡単に説明すると、自分でお題を考えて、CDや効果音、番組内でのコメントを組み合わせて面白い作品を作るというコーナーである。CD音源を使って作品を作るという意味では、爆笑問題カーボーイの『CD田中』に近いかもしれない(JUNKリスナーしかこのブログを読んでいない前提で書いている)。

このコーナーで採用されると、最初に関根さんから『洗礼』といって、ラジオネーム(の略称)を叫んでもらえるので(渡辺淳一だったら「なべじゅん!」、中島光一だったら「なかこう!」みたいな感じで)、そういった意味でも読まれたいコーナーだった。

このコーナー、なぜハードルが高いかというと、まず根本的な問題として、書き方がよく分からないのである。「このCDのこの部分と、番組のこのコメントを組み合わせて、こんな感じで紹介して下さい~」みたいな説明をハガキに書くんだろうな、と漠然と分かってはいたのだが、いまだに何が正解なのか分からない。おそらく、他の投稿者の方も「こんな感じでいいのかな?」と手探りで書いていたと思われる。

次に、手持ちのCD音源が少ないということだ。当時、インターネットがギリギリ我が家に開通していたので、CDの歌詞についてはネットでどうにか調べることができた。しかし、当時はまだ、iTunesはもちろん、Youtubeもなかったので、ネットで音楽を実際に視聴することなどできなかったのだ。「歌詞だけ分かればいいのでは?」と思われる方もいるだろうが、歌詞が分かっても、それがどういうトーンで歌われているのか実際に聞いてみないことには、ネタにしにくいのだ。例えば、すごく早口で歌っていたり、天龍源一郎のような滑舌だったりした場合は、歌詞が聞き取れなくてアウトなのである。

結果、実際に自分が所持しているCDからネタを作ることが多かった。それなりにCDを所持している方だが、それでも限界があったため、親父のCDをよく漁って使わせてもらった。『宇津井健さんと出会った渚ゆう子さんの感想ベスト3』などは、完全の親父のCDがなければ作れなかった作品である(ちなみに、このときの1位は、渚ゆう子『二人は大阪』の「あ~、ここは戎橋」という部分を使用)。

色々と試行錯誤を繰り返し、初採用から数か月後、CD大作戦でも採用を頂いた。初めて「ふじきく!」と洗礼を受けたときは本当に嬉しかった。
ちなみに、CD大作戦は前半戦と後半戦で分かれており、前半戦は比較的ライトなネタ、後半戦はぶっ飛んだコアなネタという風に棲み分けがされていたのだが、後半戦に採用されるまでにも、それから数か月の期間を要した。時間をかけて、一歩一歩、着実に馬鹿への階段を上って(もしくは下って)いる実感があった。

今でも深夜ラジオへの投稿は続けているが、自分にとっての、いわゆる大喜利的なネタの原点は、コサキンだと思っている。クソ真面目にくだらない文章を書いて、コサキンの二人から「ばっかでー」と笑われることが何よりも嬉しかった学生時代。あの頃がなかったら、今の自分はなかっただろうな、と思う。

書きたいことはまだ色々あるのだが、それはまた次の機会に。

余談。
久しぶりにCD大作戦を聴いたら軽く涙が出た
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1887383

次回、『ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ編~』へ続く(かもしれない)。