アニラジの話

つい先日、文化放送開局70周年記念ということで、『A&G超RADIO SHOW~アニスパ!~』が一夜限りの復活を遂げた。それを聴いて妙にノスタルジックな気分になったので、自分とアニラジの出会いなどを少し振り返ってみたいと思う。


アニラジとは

当たり前のように『アニラジ』という言葉を使っているが、そもそもこの言葉自体、既にオッサンしか使っていない死語と化している可能性が高い。一応、Wikiで意味を調べてみたところ、『アニメ関連のラジオまたはインターネットラジオの番組のジャンル、および主にアニメで活躍する声優がパーソナリティを務めるラジオまたはインターネットラジオの番組』と書かれていた。純粋に意味だけを読み取ると、令和の時代に使われても特に違和感がないように思えるが、自分の中にあるアニラジという言葉の響きが、90年代声優ブームの頃に創刊された『アニラジグランプリ』を強く連想させるため、どうしても90年代の残り香のようなものを感じてしまう。うっすら國府田マリ子の顔が浮かんでくるところまでがセットだ。
ただ、実際、この雑誌でアニラジという呼称が定着したらしいので、同じようなイメージを持ってる人は自分以外にも多いと思われる。

 

アニラジとの出会い

最初に聴いたアニラジは、確か國府田マリ子の『BANANA放送局ヤンラジグランプリ!!』だったと思う。アニラジ好きな人で國府田マリ子というと、文化放送の『ツインビーPARADISE』(以下、ツイパラ)を最初に思い浮かべる人が多いと思うが、私は微妙に世代が下のため、ツイパラが終わってから國府田マリ子の存在を知った。
で、BANANA放送局を聴くようになったのは、ラジオの選局ダイヤルを適当に回していたら何やら可愛い声が聞こえてきたので、甘い蜜に引き寄せられる蝶のようにそのまま聴くようになった。おそらく、当時の男子中高生とアニラジの邂逅は大体そんなパターンだったと思う。もちろん、このときは國府田マリ子が声優だということも知らなければ、本人の顔すら知らなかった。可愛い声のお姉さんがコチラに向けて優しく語りかけてくれるのを、ただドキドキしながら無心で聴くという、ある意味では一番正しい聴き方をしていた。自分がアニラジに癒しやドキドキを求めるのは、この原体験があったからかもしれない。
ちなみに、本人のお姿を初めて拝見したのは、当時の最新シングル『風がとまらない』のCDジャケットだった。番組内でも宣伝していたので、「これは買わねば!」ということで少ない小遣いの中から捻出してCDを購入した。蛇足情報として、当時モンスターファームにハマっていた同級生の江川くんに色々と自分の手持ちCDを貸したときに、「この國府田マリ子のCD、けっこう強かったわ」と言われたのをなぜか妙に覚えている。

 

このBANANA放送局という番組、もともとそういう契約だったのか知らないが、半年もしないうちに終了し、翌月に後番組として『オレたちやってま〜す』が始まった。こちらは有名なので、ラジオ好きなら普通に知ってる人も多いのではないだろうか。いわゆる、声優やお笑い芸人、ミュージシャンといった様々なジャンルの芸能人同士がトークをするラジオの先駆けになった番組だ。初期のパーソナリティーは、先の國府田マリ子に加え、TOKIO城島茂とL'Arc〜en〜Cielのtesuya(当時はtetsu)の3人だった。今考えても、どういう会議を経てこの組み合わせになったのか謎である。この番組は、BANANA放送局が終わった流れでそのまま聴いていたが、「アニラジを聴いてる」という感じはあまりしなかった。癒しやドキドキの要素も特になく、かといって突き抜けて面白いというわけでもなかったので(ひどい)、正直、この頃は惰性で聴いていた覚えがある。ただ、後に極楽とんぼがメンバーとして新たに加入してからは、番組自体がオモシロの方向に傾いてきたので、どちらかというとそちら目当てで聴いていた。

 

聴いてたアニラジあれこれ

國府田マリ子の番組をキッカケとして、アニラジという文化が少しずつ私の中に浸透していった。当時の自分のラジオタイムテーブルを振り返ってみると、平日はJUNK(当時はUP's)やオールナイトニッポンなどをはじめとした芸人ラジオを聴くことが多く、アニラジを聴くのは土日が多かった。といっても、平日の深夜ラジオゴールデンタイム(25時~27時)以外は、合間合間に全国のアニラジをつまみ食い的な感じで聴いていた。私が住んでいたのは新潟だったが、深夜であれば普通に大阪のラジオなども受信できたのである。もちろん雑音混じりではあったが、十分聴くに耐えうる音質だった。
最初のうちは、聴く番組が固定していなかったので、適当にチューニングしてそのときに流れていたアニラジを聴いていた。そのため、桑島法子の『CLUB db』や『國府田マリ子のGM』を同じ週に3回聴く、といった謎現象がたびたび発生していた。ネット局が多い番組に関しては、曜日と放送時間帯がバラけているので、合間時間のローテーションによっては遭遇する率が高いのである。

 

ある程度アニラジを聴くようになってくると、徐々にお気に入りのパーソナリティーも出てくる。当時は、マチリンの愛称でお馴染みの豊嶋真千子が好きだった。最近だと、ちびまる子ちゃんの二代目お姉ちゃん役が有名だろうか。すごく親しみやすく、いろんな人から愛されるキャラで、変に飾らないところも好きだった。本人がパーソナリティーを務めていた『豊嶋真千子Earthly Paradise』はもちろん聴いていたが、他番組ゲストに出た回、特に神谷浩史がグランドアシスタントを務めていた『VOICE OF WONDERLAND』は録音して繰り返し繰り返し聴いていた。ほぼ同期なのか知らないが、神谷浩史との掛け合いは凄く好きだった。個人的に、神谷浩史と一番相性が良い相手だと思っている。

 

声優ラジオのパーソナリティーというと、林原めぐみが有名だが、私はそこまでハマらなかった。以前、ラジオでの林原めぐみを評して妻が、「たまに腐女子黒歴史みたいなしゃべり方するじゃん」と言っていたのだが(個人的にツボだった)、ハマらなかった要因の一つとして、それも少しあるような気がする。ただ、それでも『林原めぐみのTokyo Boogie Night』などは、たまに聴いていた。「林原めぐみの声を聴くと安心する」という人がいるが、その気持ちは何となく分かる。久しぶりに聴くと実家に帰ってきたようなキモチになるのだ。番組初期に始まった『早口言葉の挑戦状』のコーナーなどは今でも続いており、こういう「変わらなさ」も、長く番組が続いている秘訣でもあり、魅力なのかもしれない。

 

ラジオ大阪で日曜の22時に放送されていた『宮村優子の直球で行こう!』(以下、直球)という番組は、好きで毎週必ず聴いていた。宮村優子といえば今でもエヴァのアスカ役として有名だが、この頃は本人のルックスも相まってアイドル的な人気を博していた。同時期に、テレ朝のナイナイの深夜番組にもゲストに出てたのを覚えている。今でこそ声優がバラエティに出るのは当たり前になったが、当時としてはかなり珍しかった。
で、そんな宮村優子岩田光央がメインパーソナリティーを務めるのが直球だ。内容的には、かなり下ネタが多めだった。というか、ほぼその印象しかないので、ホントに下ネタ満載の番組だったんだろうなと思う。以前、誰かがツイッターで、「これまでの声優ラジオは下ネタを大声で言うことが面白さのすべてだったけど、人間性そのものを面白くしたのは『アニスパ!』が初めて」ということをつぶやいていたのだが、これがまさにその通りで、昔のお笑い寄りのアニラジは、とにかく下ネタを言ってればいいみたいな風潮が少なからずあった。直球の流れで聴いていた『電撃大賞』も、これまた下ネタを下ネタで煮しめたような番組で、当時学生だった自分は楽しく聴いていたが、今になって思うと、あれは学生だったから楽しめていたんだろうなと思う。この頃の、「声優がワードの響きだけでキツい下ネタを言う」というあの独特の感じは、リアルタイムで聴いてないと分からない肌感覚だと思う。

 

私は下ネタに魅かれたというより、なんかワチャワチャやってる感じが好きだった。先ほど、アニラジには「癒しやドキドキを求めていた」と書いたが、それとは別のベクトルで「みんなでワイワイやってる楽しさ」みたいなものもアニラジには求めていて、これがこの直球には詰まっていたと思う。この直球が放送されていた枠というのは、ラジオ大阪 (OBC) におけるアニラジ番組枠の総称として『1314 V-STATION』(通称Vステ)と呼ばれており、夏と冬に『Vステ夏の陣・冬の陣』という特別番組が放送されたりもしていた。番組合同の企画だったり、生放送で外から中継するなど、このときのお祭り感が当時は大好きだった。
ちなみに、2014年に、宮村優子三重野瞳が2人で直球の特別版をニコニコ動画で放送したのだが、内容のローカル感と当時の思い出話とラジオ大阪の雰囲気も相まってなんとも味わい深かったのを覚えている。先日のアニスパのときも感じたが、アニラジの一夜限りの復活というのは、同窓会感が普通のラジオよりも強い気がする。


日曜の夜の迷子

前述の『電撃大賞』が放送終了するのは日曜日の25時半で、私が記憶してる限り、これ以降は月曜の朝までラジオ大阪の番組は放送休止だった。で、日曜も26時を回ると、いよいよ他の局でも聴く番組、というより放送してる番組がなくなってくる。今のように、タイムフリーで過去の未視聴放送を簡単に聴くこともできない時代だったので、学生にはリアルタイムで放送中の番組を聴くほかないのだ。「聴く番組がないなら寝ればいいじゃない」と思われるかもしれないが、日曜がまだまだ続いてほしいという気持ちと、「とにかく誰かの声を聞いていたい…」という寂しさを原動力として、雑音の中ひたすらダイヤルを回して放送している局を探すのである。さながら、雪山で遭難している登山者が、猛吹雪の中、「誰かー!」と助けを求めるように。こんなふうに書くと、何か心に問題を抱えていた学生と思われかねないが、別にそういう訳ではなく、これはこれで案外楽しかったりもした。意外と当時のラジオ好きあるあるだったと思いたい。


さやかの部屋で...

そんな日曜の夜に、誰かの声を探し求めるようにして見つけたのが『さやかの部屋で…』という番組だ。
日曜のド深夜、どこかの局で流れていたアメリカザリガニの番組が終わって27時を迎え、「全放送局の1週間の番組がマジで全て終わったかな?」と思いながらダイヤルをMBS放送に合わせたところ、聴こえてきたのがこの番組だった。最初、「あれ?こんな番組やってたっけ?」と思った。後になって知ったことだが、この番組は月に1回不定期でやっていたらしい。日曜の27時、しかも月1回不定期となると、そら見つけ出すのも困難のはずだ。RPGで、特定条件を満たさないと現れない宝箱をノーヒントで偶然手に入れたような感覚だった。
この番組、パーソナリティはインディーズ歌手でもあり、SMスナイパーで連載を持っているライターの「さやか」という女性だった。肩書だけ聞くと、サバサバ系のファッサマみたいな人を思い浮かべそうなものだが、これが凄くおしとやかな雰囲気で、可愛らしい声の女性だった。一言一言、独特のリズムで丁寧に言葉を紡ぎ、まるで催眠術にでもかけるかのような語り口で私の心に入りこんできた。
基本、『性』がテーマの番組で基本は男子禁制だったこともあり、当時まだ女性に免疫がなかった私は、とにかく夢中になって彼女の声に耳を傾けていた。女性しか入れない禁断の地に踏み入ってるような感覚だった。決して大袈裟ではなく、当時はこの番組を聴くためだけに生きてたといっても過言ではないくらい好きだった。
ちなみに、一回だけこの番組でメールが読まれたことがある(放送で読まれると思ってなかったので本名で)。「ジングルがベリーセクシーだったので、つい聞いてしまいました」という死ぬほど他愛ない内容だったが、このメールに反応してもらえたのが凄く嬉しかったので、この部分だけ切り取ってmp3化した音声がどこかのHDDに眠っているはずだ。で、なぜかジングル部分だけ今のPCに入っていたので、そこだけアップする(passは『1179』)。

https://dotup.org/uploda/dotup.org2586699.mp3.html

 

ちなみに、パーソナリティーの"さやか"だが、後に『XXX//x(クスクスクス』というMBS深夜の枠の月曜日を担当することになる。これを聞いた時は「やったー!」と飛び跳ねて喜んだのだが、なぜか最終的に聞かなくなってしまった。なんというか、月に1回1時間というのがレア感も含めて丁度よかったようで、毎週2時間も性(シモ)だとさすがにちょっとキツかった。過剰供給の問題点をこのとき悟った。

 

 

と、最後の方はアニラジ関係なくなってしまったが、アニラジを聴き始めの頃の話を少し書いてみた。もはや遠い昔の話である。
さてさて、ラジオおじいちゃんは『飯塚雅弓のまだまだ日曜日だよ!』でも聴きながら寝るとするかのう...(BGM: 飯塚雅弓『アクセル』)