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ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ編(2)~

ラジオ

ラジオ投稿記~STVラジオ編~
ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~
ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ編(1)~

からの続き。

藤井理奈というラジオネームを捨てたのを境に、カーボーイへの投稿をしばらく休んだ。

「休んだ」という表現は、投稿という趣味に対して仕事感が出るので少し抵抗があるのだが、投稿すると決めた番組については、基本的に毎週出さないと気が済まない性分なので、この表現が一番しっくりくる(仕事のように義務感が生じたり、締切を設けたりするのは、割と投稿者あるあるだと思う)。

投稿を休んでいる1年の間、番組ではいろんな動きがあった。

その中でも最大のトピックスといえば、「田中の弟子募集」コーナーの登場だろうか。このコーナーは、2001年のコーナー乱立期に降って湧いた新コーナーの1つで、その名の通り、「田中さんの弟子になりたい!」と希望するリスナーを募集するコーナーである。もちろん、ただ募集するだけではコーナーとして成り立たないので、漫才やコントなどのネタを一緒に送ってもらい、ネタの出来に応じて田中さんから「デシベル」という単位のポイントが与えられ、これを1000デシベルまで貯めると晴れて弟子として認定される、ということになった。察しの良い方はお気づきかと思うが、「1000デシベルまで貯めると弟子になれる」と最初に言い出したのは太田さんである。

このコーナー、最初に聴いたときは、2~3週ぐらいで終わると思っていた。なぜかというと、過去に「田中のカラオケ友達募集」という似た系統のコーナーがあり、それは3週ともたずに終了したからである。「何かを募集するコーナーは短命」という思い込みがどこか自分の中にあった。
そんな自分の予想に反して、弟子募集コーナーは番組の名物コーナーへと成長していった。毎週毎週、個性あふれるリスナーが「弟子にしてください!」と言って、番組に渾身のネタをぶつけてきた。このコーナーにネタを送ってくる人が本当に田中さんの弟子になりたいかどうかはさておき、これを足掛かりにして作家への道を切り開きたい、と野心を抱いていた人も少なからずいたように思えた。実際、弟子認定されたうちの1人は、上京して番組の作家になった(後述)。また、「デシベルを貯めて他の人と競う」という、ある種の賞レース的な要素が、リスナーの投稿意欲を駆り立てたのも人気コーナーになった一因だと思う。

そして、弟子募集コーナーが始まって1年も経たないうちに、1000デシベルに到達した猛者が何人も現れた。野口悠介(現カーボーイ作家)、藤田ハル(現カーボーイ作家の秋葉高彰の劇団ユニット『ザ☆夕方カレー』制作助手)、新堂ひろし(演歌歌手)の三名である(敬称略)。三者三様でキャラクターは全く違っていたが、全員、番組に強烈なインパクトを残したという点では同じである。特に、流れの演歌歌手である新堂さんにいたっては、番組内に「新堂ひろしのオーディションぶね」(新堂さんの代表曲『まつりぶね』とかけている)という単独コーナーもできたりと、番組が全面バックアップ体制を敷いていた時期もあった。
野口さんはこの中で一番年齢が若かったが、「作家になるとしたら多分この人だろうな」と思うほどネタを書く才能に溢れた人だった。なので、カーボーイの作家になったときも、あまり驚かなかった。ちなみに、弟子として投稿されていた頃は、ちょいちょいファンサイトの掲示板にも姿を見せていた。
弟子の中で唯一、藤田さんには何度か(カーボーイ関連の飲み会で)お会いしたことがある。本人のことをアレコレ言うのは気が引けるが、番組内でもイジられているように、ネタの中では「うひょー!」と叫びつつも、実際に会うと本当に物静かな方である。私もどちらかというと無口な人間だが、あそこまで寡黙な方は今までの人生で出会ったことがない。あと、雰囲気のあるイケメンさんである。

そんな3人の弟子が誕生したタイミングで「田中の弟子募集」コーナーは終了し、「募集」という二文字が消えて「田中の弟子」コーナーが新たに始まった。といっても、基本的にコーナーの中身は変わらず、継続して弟子全員にネタを書いて送ってもらったり、爆笑問題から出される宿題に対して回答(ネタ)を送ってもらったりしていた。特定のリスナーのネタを毎週必ず読むコーナーは、後にも先にもこのコーナーぐらいだと思う。

この辺から自分の投稿の話。

弟子コーナーが始まって間もない頃、「ザ・ガール」という新コーナーが始まった。
このコーナーは、弟子コーナーでの「新コーナーの企画案」という宿題で、野口さんが考案したコーナーである。ガールらしい行動やシチュエーションをリスナーが考えて、それに対して田中さんがガール度を採点する、というものだ。「ガールらしい」の判定基準は田中さんの中にしか存在しないが、田中さん曰く、「全盛期のキョンキョン」が満点の100ガールらしい。ちなみに、今の奥さん(山口もえ)は82ガールくらい。

コーナーが始まった当初は、正統派な短文ネタが多かったが、回を重ねるにつれ、徐々に「それ、ガールじゃねぇだろ!」と田中さんに突っ込まれるネタが増えていった。深夜ラジオのコーナーとしては順当な進化の仕方である。

当時、高校生だった自分は「このコーナーにネタを送りたい!」と強く思った。
というのも、当時は、女性視点のショートストーリーを書くのがマイブームだったので、それがネタに使えるのではないかと思ったのだ。同じクラスの友人・熊倉くん(小説家志望)が、ファンタジーなエロ小説を書いていたので、それに感化されて文章を書き始めた、というのもあったかもしれない。完全なる蛇足だが、熊倉くんが書いたエロ小説を自習の時間に読ませてもらっては、「この辺のくだり、エロくて良かったわ」と感想を言う、というモテる要素が全く見当たらない行為をよくしていたのが昨日のことのように思い出される。熊倉くん、元気かな。

閑話休題

女同士の友情をテーマにしたキャバクラ嬢のショートストーリーが自分の中でお気に入りだったので、それをネタ用に少し手直しして送ることにした。その際、「ラジオネームはどうしよう?」となった。カーボーイへの投稿を始めた当初に使って全く採用されなかった現ラジオネームの「藤井菊一郎」は使いたくなかったし、かと言って「藤井理奈」は完全に闇に葬った。で、色々と考えた結果「コサキンの洗礼で『ふじきく!』って呼ばれてるから、フジキクでいいや」というところに落ち着き、現ラジオネームの略称を使って送ることにした。

ガールのコーナーは、基本的に短文ネタしか読まれていなかったので、「さすがに長すぎて無理かな...」と思ったが、逆にそれが良かったのか一発で採用された。
藤井理奈での採用経験があったので、ネタを読まれたことに対してそこまで衝撃はなかったが、それでもやはり爆笑問題の二人が笑ってくれるのは凄く嬉しかった。性別を偽ってネタを送っていた頃は、自分ではない誰かを演じていたので、読まれても純粋に喜びきれない部分もあったが、今度は100%自分自身のネタなので、心から喜ぶことができた。それに、誰に見せるわけでもない自分のためだけに書いていた妄想文がネタとして日の目を浴びたことにより、何かが報われたような気がした。

その後も、ドラマっぽいショートストーリーをガールのコーナーに送り続けた。自分のネタがうまく番組にハマったのか、その後も出すネタ出すネタで採用をいただいた。あれだけボツが続いた日々が嘘のようだった。基本的に、週に長文ネタを1~2通送って、1通は採用されるというパターンだったので、不採用の方が少なかったと思う。この頃は、とにかくガールのネタを考えるのが楽しくて仕方なかった。書いていて楽しいネタというのは、パーソナリティーにもそれが自然と伝わるものである。

長井秀和のネタCD化計画」というコーナーが始まるまでは、ガールのコーナーにしかネタを出していなかったが、逆に、それによって爆笑問題の二人に「ザ・ガール=フジキク」という印象を残せたと自負している。田中さんに「こいつ、本当にドラマが好きなんだろうな」と言われたことは、今でも鮮明に覚えている。

もう力尽きたので、次回へと続く(やはり2回では書ききれなかった)