ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力編(5)~

『ラジオ投稿記~STVラジオ編~』
『ラジオ投稿記~コサキンDEワァオ!編~』
『ラジオ投稿記~爆笑問題カーボーイ(1)(2)(3)(4)~』
『ラジオ投稿記~伊集院光 深夜の馬鹿力(1)(2)(3)(4)~』

からの続き。先週に引き続き、社会人編。

今回は全編に渡って投稿のみに焦点を当てた話なので、投稿経験のない人にはいまいちピンとこない内容かもしれない。

社会人になって再び投稿を始めたことで、学生時代との感覚の違いに色々と気付かされた。その中でも特に顕著だったのが、放送で自分のネタが読まれたときの感触(というか手応え)である。
学生の頃は、「このネタ、読まれると思ってなかったのに」とか「え、(自信のある方ではなく)そっちが読まれるの?」といった不本意な採用が非常に多かった。まぁ、そんなことを思うネタを送っている時点で既にダメな気もするが、自分の中で面白いかどうかをあまり考慮せず十把一絡げで送っていたので、当然と言えば当然の結果だ。そんなネタだけに、リライト(手直し)も結構された。馬鹿力で何度も読まれたことのある人なら経験あると思うが、馬鹿力では部分的にネタの言い回しや、オチなどを伊集院さんの手によって修正されることが結構ある。要は「ここをこうしたらもっと面白くなるよ!」といった赤ペン先生的な添削なんだろうが、投稿する側としては微妙な気持ちになるのは否めない。ただ、リライトされた後のネタを聴くと、「ああ、確かにこっちの方がいいな」と納得するので、手を加えること自体について否定するつもりはない。
で、社会人になってからは、そんな補欠合格みたいな採用は大幅に減った。リライトされることも基本的にはなくなった。自分が記憶している限り、オチも含めて大幅に書き換えられたことは1度だけである。これはどういうことかと言うと、ちゃんと自分の意図したところで面白がってもらえるようになった、ということだ。これは自分の中で大きな進歩だった。
年齢を重ねたことで自分の書いたネタを客観的に評価できるようになったということもあるだろうが、ネタの作り方や、書いたネタに対する推敲の仕方が変化したことが大きいと思う。

常連投稿者の方は自然とやっていると思うが、自分の場合、ネタを書いたらまず『脳内の伊集院光』にそのネタを繰り返し繰り返し音読させる。そこで、不自然な流れになるような部分は修正し、ネタ中に登場する人物名や商品名などで「多分、これは言わないだろうなー」とか「これは流石に知らないだろうな」といった部分は別の単語に置き換えるなどしている。単純に伊集院さんが知ってるか知らないかという問題も勿論あるが、馬鹿力で採用されるネタに出てくる単語は、基本的に「この単語って世間一般にもう十分浸透してるよね!」というものしかないと思っている(例外もあるけど)ので、ネット上だけで盛り上がっているような内輪な表現は極力使わないように気をつけている。そんな、(自分の中で)世間の認知度を示す指標になっているこの番組で、初めてネタ中に「金田朋子」という単語が出てきたときは、「ああ、金朋もついに市民権を得たか」と妙な感慨を覚えたりもした。

で、そういった推敲作業を何度も行い、最終的に脳内の伊集院光が「OK!」と親指を立てたら初めてそれを本チャンのネタとして投稿している。だが、いつもなかなかOKを出してくれず、逆にその親指を地面の方に向けられて「Go to hell!」と罵声を浴びせられたりすることもあるので、1つのネタに時間がかかることが多い。経験上、1つのネタをこねくり回せばこねくり回すほど採用から遠のいていくイメージがある。そういうときは、最初の構想の時点で道を踏み外している場合が多い。

ネタの作り方は人によって千差万別だと思う。天啓が降りてきたようにパッとネタが思いつく人もいれば、マインドマップ的なものを作って徐々に発想を広げていく人もいると思う。なんとなく、大喜利を本業(?)としている人は後者のイメージが強い。
自分が学生の頃にどうやってネタを作っていたのかはあまり覚えていないが、たぶん日常生活のどこかを切り取って、できるだけ身近なところから広げていく、みたいなやり方だったと思う。昔、投稿者の"ここはグリーンスタジアム"さんと投稿の話になったときに「辞書を適当に開いて目に止まった単語をもとにネタを考える」といった作り方を聞いたが、私も社会人になってからはそれに近いことをしていた。私の場合は、2ch (今は5chか) の"しりとり板"を見に行って、なんとなく使えそうな単語を適当に拾い集めてそこから発想を膨らませていた。今はそれがさらに変化して、Googleの予測変換機能で『あ』から『ん』までの1文字を順番に入力していき、そこに出てきた単語をもとに考えている。Google先生はタイムリーな単語を教えてくれるので、しりとり板よりかは実用性が高いと思っている。結局、ネタというのは単語の組み合わせで構成されているので、できるだけキャッチーな単語を使った方が目に止まりやすいといのはあると思う。「できるだけ強い単語を使わずに面白いネタを作りたい!」みたいな中二病的な理想もあったりするが、それはもう完全に投稿者のエゴなので、そこには特に固執していない。

とまぁ、ネタの書き方について偉そうに色々と述べてきたが、無い頭を絞ってこれだけ一生懸命ネタを考えても、悲しいかな、不採用になる方が圧倒的に多いのが実情である。
今までのラジオ投稿記で取り上げてきた番組以外にも色んな番組に投稿してきた自分としては、数あるラジオ番組の中でも馬鹿力が一番採用されにくいと思っている(たびたび投稿のことで比較されるナイナイのANNについては、投稿したことがないので除外)。以前、某・爆笑問題カーボーイリスナーの飲み会で投稿の話になったとき、某・なんとかスティックなんとかさんが「あの番組は本当に採用されない!」と仰っていたが、あのレベルの人がそう感じるということは、きっとそういうことなんだろう。
番組に送られてくるネタの数も週に5000個とかいくらしいので(『伊集院光のばらえてぃー ラジオの魅力に迫りまSHOW!~投稿しNIGHT~の巻』より)、そんな中で伊集院さんのお眼鏡にかなうネタを書くのは一筋縄ではいかないだろう。その週に読まれるネタが仮に50個だとすると、採用される確率は単純計算で1%だが、実際はもっとずっと低い気がする。

以前、ステイゴールドくんがやっている大喜利大賞典という同人企画に何度か参加させてもらったことがある。出された大喜利のお題に回答する以外に、他の人の回答に点数を付けるということもやるのだが、ズラッと回答が並んでいる中からどれが面白いかを選んでいると、気付くことがある。面白くないネタというより、「多分そこまで考えてないんだろうな」というネタは一瞬で分かるし、かぶる率も高い。どこかに自分の個性を少しでも出さないと、心に全く引っかかることなく埋もれてしまうのだ。
たかだか50個ぐらいのネタの中から選ぶのですらこんなことが起きるのだから、馬鹿力でネタを選る作業は、砂漠の中から砂金を探すレベルのそれに近いと思う。かぶるネタは、それこそ10個や20個ではきかないと思う。
ちなみに、ネタかぶりでいうと、自分も時折あった。今までで一番驚いたネタかぶりは、ナイナイアルアルコーナーで、「未来カーをとばして秋葉原に中古ゲームを売りに行ったら買い取り価格が思いの外、安かった」ときのあるある、というお題のときに『未来ガキ』という単語がかぶったことだ。そのときは、「これがかぶるのか...」と驚くと同時に妙な感動を覚えたのだが、長く投稿していると、他の投稿者の人と発想がかぶるというのもあるかもしれない。かぶるようなネタを書いた場合は、よっぽど文章構成や言い回しの面白さが秀でていないと読まれないと思う。

投稿の神様の気まぐれなのか、ごくごくたまに「あ、これは読まれる」という絶対の自信を持ったネタが突然降ってくることがある。そういうネタは「え、これ本当に自分が書いたのか?」と、まるで別人が書いたかのような錯覚に陥ることが多い(これがゾーンというやつだろうか)。そして、そういうネタは大体読まれる。もしそれで読まれなかった場合、フォーマットはそのままで具体的な単語だけを変えて再度送ることもある。たとえば、以前、十面鬼のコーナーで『森の中をさまよい歩いて見つけたお菓子の家が、全て落雁と月餅で出来ていた時のヘンゼルとグレーテルの顔』というネタが読まれたのだが、このネタは採用されるまでに何度かボツっている。最初がどういう言い回しだったかは覚えていないが、『落雁と月餅』の部分が別のお菓子だった。そのお菓子が伊集院さん的にピンとこなかったのだろう。ただ、『お菓子の家に使われているのが凄く微妙なお菓子』という発想には絶対の自信があったので、試す価値があると判断して何度か送り直した。で、実際に採用されたときは、ネタを通して伊集院さんから「そう、こっちが正解」と言われた気がした。
あと、番組側に迷惑になるので滅多にしないが、1度送信してしまったネタを「あ、やっぱりこれ違うな」と思って続けざまに送り直すことがある。ネタ中に出てくる人名だけを入れ替え、ネタの頭に「先ほどのネタに不備がありましたので再送します」といったことを書いて再送することがたまにあった。
例えば、同じく十面鬼のコーナーで採用されたネタで、

「狼が来たぞー!」と嘘をついては騒ぎを起こす少年。最初のうちは騙されて外に出てくる大人も沢山いたが、繰り返し嘘をついたため今では完全に無視されている。そこで少年は少し方向を変えて「レディー・ガガが来たぞー!」と叫んでみたものの、どうせ嘘と決めつけられているせいか、誰も出てこない。しかし少年は諦めずに「生稲晃子がきたよ!本当に」といったところ、3人ほど出てきたときの、その3人の顔。

というものがあったが、最初、レディー・ガガの部分が石原さとみだった。ただ、送ってから「石原さとみだと、絶対に来ない感が弱い気がする」と思い直し、レディー・ガガに変更した。2通送って実際に読まれたのは再送したレディー・ガガの方だったので、「ああ、やっぱりこっちの方が良かったんだな」と思ったのと同時に、「ちゃんと2通目も読んでくれてるんだな」と不思議な安心感を覚えたりした。

と、ここまで色々と書いてきたが、読み返してみると、なんか『凄くストイックにネタと向き合ってる奴』みたいな印象を与えかねないが、性格は非常に適当なので、そこまでマジメに取り組んでいるわけではない。俗にいうマジメ系のクズに分類される人間なので、それっぽいことをそれっぽく書いているだけである。
そんな奴が、なんでそうまでしてネタを書くかというと、やっぱり伊集院さんに読まれて笑ってもらうと嬉しいのだ。かなり前にツイッター上でそんな話題になったが、馬鹿力に投稿している人は、ラジオに採用されたいというよりも「伊集院光に読まれ隊」なんだと思う。伊集院さんに読んでもらえると、嬉しい気持ちと同時に、何か救われたような気になるのだ。「そんな大げさな」と言われるかもしれないが、馬鹿力でネタが読まれたときの1週間と、読まれなかったときの1週間では気持ちが全く違う。読まれなかったときは自分の存在を否定されたぐらいの気にすらなる(これは若干大げさか)。きっとその存在否定の重圧に耐えることができずに脱落していった投稿者の人は数多くいると思う。それでも脱落しない人は、よっぽど才能があるかドMかのどちらか、だと思う。私は後者。

番組に投稿したことのない人は、一度ぐらいそのドMの気分を味わってみるのも良いかもしれない。

今回はこの辺で終わり。次回は普通の(?)投稿記に戻る。あと1~2回ぐらいかな。

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