シン・ウルトラマン感想(ネタバレあり)
先週の土曜日、『シン・ウルトラマン』を観てきた。
公開日が金曜だったこともあり、仕事終わりに映画を観てきたという人の感想が早くも自分のTLにポンポン流れてきていた。公開初日の時点でシン・ウルトラマン一色のTLになり、油断するとデカめのネタバレを食らいそうな雰囲気だったので、翌日に予約を取ることにした。1人で観るのもなんだな、と思い、妻に「シン・ウルトラマン、観る?」と聞いたら「面白い?」と聞き返されたので、「シン・ゴジラが面白かったら、たぶん面白い」と言ったら「じゃあ観る」となったので、二人分のチケットを予約した。公開週の土日は満席かなと思ったが、意外とスンナリ予約できた。というか、かなり空いてた。池袋HUMAXシネマズで観たのだが、自分たちの列で他に座ってる人はいなかった。
事前情報によると、シン・ウルトラマンは初代ウルトラマンを観ているとより楽しめるとのことらしい。ちなみに、私は全話観ている。これは別にシン・ウルトラマンのためではなく、今年の初めに「無性にウルトラマンが観たい!」と急に思い立ち、円谷プロのサブスクに加入したのだ。最初は、お気に入りのウルトラマンレオだけ観るつもりだったが、せっかくだから最初から観よう、ということで初代から観ていくことにした。初代ウルトラマンは、小学校時代の夏休みによく再放送していたので観てはいたものの、全部は観ていなかったので良い感じに話の補完ができた。
というわけで感想。おもいっきり話の内容を書くので、ネタバレが嫌な人は見ない方がいい。
まず、最初の1分で心をワシっと掴まれた。オープニングで「シン・ゴジラ」のタイトルが表示され、その後にパーンと赤バックの「シン・ウルトラマン」のタイトル。これはシン・ゴジラと同じ世界観を引き継いでいるというメッセージが込められていると同時に、初代ウルトラマンのオマージュにもなっている。初代ウルトラマンの場合は、「ウルトラQ」から「ウルトラマン」へとクレジットが変わる。つまり、シン・ゴジラの位置付けが、ウルトラマンにとってのウルトラQになるわけだ。ウルトラマンは、ウルトラQよりも、「ヒーローvs怪獣」といった子供向けの分かりやすいコンセプトで作られたものなので、シン・ウルトラマンが小学生にも好評だという話を聞くと頷ける話である。
全体を通して思ったのが、『すごく話のテンポが速い』ということだ。これはおそらく、怪獣・外星人とのシーンをできるだけ詰め込みたかったんだと思う。テンポが早いことで登場人物の心情が読み取りにくい部分があったものの、シン・ウルトラマンを観る人が一番期待するのはそこなので、自分的には特に気にならなかった。ある程度のツッコミどころがあっても許されるのがウルトラマンだと思っている。
ツッコミどころといえば、長澤まさみ演じる浅見弘子のシーンが印象的だった。まず、巨大浅見弘子のシーンだ。メフィラス星人によって巨大化&洗脳された浅見弘子が街を闊歩し、ビルを破壊するシーンがある。これは初代ウルトラマンでも同様のシーンがあるので、ザラブ星人からメフィラス星人の流れで「もしかしたら巨大化するのでは?」と思った人も多いのではないだろうか。禍特対の本部から浅見が消えた時点で、私も「これは巨大化か?」と思った。
それにしても、身体のラインが出るスカートスーツで街を破壊するシーンは一部のフェチな人の心に突き刺さりそうだな、と思った。しかも、蹴り上げるシーンは結構パンツが見えるか見えないかギリギリのラインだったので、途中から特殊なAVを見せられているような気持ちにもなった。実際、一緒に見に行った妻が上映終了直後に発した一言目が「長澤まさみがエロかった」だった。
ちなみに、長澤まさみのシーンでは他にも、「なかなか風呂に入れてない状態の身体の匂いを嗅がれる」「気合を入れるために自分の尻を叩く」といったフェチ性の強いシーンがある。尻を叩くのは何か深い意味があるのかな?と思いながら観ていたが、自分の中では特に意味を見出せなかった。
怪獣、というか外星人ではメフィラス星人が良かった。山本耕史がハマり役で、胡散臭い感じが良く出ていた。人間の姿の状態でメフィラス星人とウルトラマンが居酒屋で話すシーンは非常に日本的で、四畳半のちゃぶ台でウルトラセブンと向かい合うメトロン星人を彷彿とさせた。会計のときの、「割り勘でいいか?ウルトラマン」というセリフは凄く印象的だった。あれは大分狙いにいったセリフだと思う。
ただ、メフィラス星人が本来の姿になったときの造形は個人的に微妙だった。これはメフィラス星人に限らないが、メタリックでスタイリッシュな怪獣のフォルムは、カッコいい半面、特撮の着ぐるみから滲み出る味のようなものが失われてるような気がした。ただ、全部が全部イマイチだったわけでなく、最後の使徒みたいな超巨大ゼットンは、そのスタイリッシュな造形ゆえの不気味さと悍ましさがあり、新しい解釈のゼットンとして良いなぁと思った。
その超巨大ゼットンを倒す流れは、少しだけ初代ウルトラマンの37話「小さな英雄」を想起させた。有岡大貴が演じる滝明久は、初代ウルトラマンでいうところのイデ隊員にあたる。37話の中でイデ隊員は、科学特捜隊の存在意義について考える。ウルトラマンさえいれば、科学特捜隊は必要ないのでは?と。そんなモヤモヤした状況で怪獣と対峙したイデ隊員は「ウルトラマンが今に来るさ...」と、積極的に戦いに参加しようとしない。そんな中、身を挺してイデ隊員を守って死んでいったピグモンの死を見て、自分の考えを改め、自身の開発した兵器で怪獣を倒すという流れだ。
シン・ウルトラマンでも、同じように滝明久が「ウルトラマンがなんとかしてくれますよ」と言い捨てて、自らの役割を放棄するシーンがある。その後、早見あかり演じる船縁由美に諭されて心を改め、なんとかゼットンを倒す手段を考えるのだ。
これはウルトラマン全体を通してのテーマでもあるような気がするが、「地球は人類自らの手で守らなくてはならない」というものが根幹にあり、今回のシン・ウルトラマンでもそれを最後に強く訴えかけていたように思う。
感想としてはこんなものだろうか。初見の妻も楽しめたようなので、深く考えずにエンタメ作品として観るぶんには十分楽しめると思う。
今、人生のどの辺を歩いているのか
「今って将来なのかな」と、青臭いことを考えることがたまにある。
けっこう前のCMで、父親が娘に将来の夢を聞いて娘が答えた後に、続けて娘が「パパは将来、何になりたいの?」と聞き返すといった内容のものがあった。CMのテーマとしては、おそらく『年齢で勝手に将来を決めてはいけない』だとか、『大人になっても夢を追い続けよう』みたいなメッセージが含まれていたのだと思う。ただ、これはあくまでCMであって、それほど強い志を持たない私のようなタイプの人間は、ある程度の年齢で将来というものが決まると思っている。
仮に「人生で最後に就く仕事を決めた状態」を将来だと定義してみる。そうすると、特殊なケースを除いて、大体40歳くらいまでには将来に片足を突っ込むことになると思う。人生には「この仕事で一生食っていく」(又は「俺は死んでも働かない」)という踏ん切りをつけなくてはいけないタイミングが必ずどこかにあると思っていて、一般的な転職の限界年齢などを鑑みても、その最終ラインは40歳辺りだと思う。かの孔子も、40歳で人生に迷わなくなった的な発言を残しているので、40歳は人生においての大きなターニングポイントであることは間違いない。安達祐実も40歳だし(関係ない)。
私の場合、仕事の面で大きな変化が訪れることはもう無い気がしている。以前このブログにも書いたが、去年、脱サラしてフリーランスになった。今は某会社の専属みたいな感じで個人契約を結んで働いている。かれこれ2年ほど経つだろうか。ただ、この契約が終わったとしても、おそらく職種自体は定年まで変えずに、プログラマー寄りのシステムエンジニアとして続けていくと思う。「変えず」というか、「変えられず」といった方が正しいか。これは転職活動をしていた頃に悟ったのだが、自分が今までやってきたことを捨てて全く新しいことをやるのは、かなりのエネルギーを必要とする。魔法使いから僧侶にはなれても、魔法使いから剣士になるのは厳しいのだ。「え、今から初期パラメータでやり直すの?」ってなるし。
そんなことを考えると、もう今は自分にとっての将来なのかもしれない。ただ、その反面で、「またこの先どこかで人生の帰路に立たされるときが来るのかな」なんてことを頭の片隅でボンヤリ考えたりもする自分もいる。将来はあと2回変身を残している可能性もあるし、既に最終形態なのかもしれない。『もう将来なのかもしれない運転』を続けながら定年を迎えそうな気がしている。
余談。オーストラリアだかの研究チームによると、人間のDNAに刻まれた自然寿命というのは、本来38年程度らしい。今は医学の進歩とライフスタイルの向上により寿命は延びているが、たかだか100年ほど遡っただけでも平均寿命は40歳代まで下がるので、令和を生きる現代人は最大HPがだいぶ上がったといえる。神より与えられし初期パラメータが38だとしたら、40ってもう限界突破してるのね。
90年代に放送されていたお色気ドラマについて
最近、某所で90年代の懐かしドラマ映像集を目にし、記憶の引き出しが刺激された。そこで今回は、昔深夜に放送されていたお色気ドラマについて少し書いてみたいと思う。
お色気ドラマとは
お色気ドラマというのは、要するに女性のオッパイやパンツといった、わかりやすいお色気シーンが登場するドラマのことだ。ドリフやバカ殿のように、ゴールデンタイムに普通に女性の裸が拝めた時代の産物でもある。『ボーイ・ミーツ・お色気ドラマ』といった具合に、当時の健全な青少年はどこかのタイミングで必ずこうしたドラマと偶然出会うことになった。今でも性をテーマにしたドラマはたまに放送されるが、男性向けに露骨なエロシーンが差し込まれるような作品は、さすがに令和の地上波では姿を消した。
放送されていた枠について
自分がよく観ていたのは、テレビ朝日の土曜23:28から23:58の、いわゆる『ウイークエンドドラマ』と呼ばれる枠だった。当時のラインナップとしては、『しようよ♡』『しようよ2♡ 女教師ナズナの場合』『お天気お姉さん』『お天気お姉さん2 リョーコPuriPuri』などがあった。これより前にも、『HEN Vol.2 ちずるちゃんとあずみちゃん』など色々あったようだが、私が最初に観たのは、確か『しようよ♡』の第3話だった。深夜にテレビをザッピングしたらオッパイが視界に入ったので急いでチャンネルを戻したところ、何やらエロい雰囲気のドラマをやってるな、と思いそこから観るようになった。テレビにオッパイが映っていたら手をとめるのは男子中学生の性(サガ)なのである。
で、「このドラマは繰り返し何度も観たい」と思ったので、4話目からはビデオデッキ所持者の親父に頼んで録画してもらうことにした。こういうドラマを親に録画してもらうのは如何なものかと思われそうだが、当時からAVを4桁単位で所持しているような人だったので、頼むのにそこまで抵抗はなかった(うちが少し特殊な環境だったのもある)。ただ、第4話が録画されたビデオを最初に親父から手渡されたときに何か言われた気がする。
余談だが、当時、ドラマ『失楽園』の特番が放送されるとなったとき、クラスメイトの須佐君から「うちだとちょっと録画できないので、録画をお願いしたい...!」と強く頼まれたことがある。そのときは、「いいよ」と二つ返事で引き受けて、それをそのまま右から左に受け流すように親父に録画を頼んだ。で、失楽園が録画されたビデオを須佐くんに渡すタイミングでそのことを伝えたところ、「えー!うぁあマジか...ええ...めっちゃ恥ずかしいんだけど...、次に会ったとき顔見れないわ...あー」と、ひどく悶え苦しんでいた。友達のお父さんにエロいドラマを録画してもらうのは想像以上に恥ずかしいことらしい。
ちなみに、どういう縁なのか、須佐君は自分が今住んでるところから歩いて数分の場所に住んでるので、たまに顔を合わせることがある。かれこれ5年ほど前に須佐君から「俺のPC、CDが焼けないので代わりに焼いてほしいんだけど...」と頼まれたときは、先ほどのことが頭をよぎった。
しようよ♡
男子中学生あるあるとして、エッチなお姉さんが醸し出すフェロモンに心が魅了されることを、女性に対する「好き」と勘違いすることがある。これに近い感覚で、この『しようよ♡』というドラマが好きだった。ただ、このドラマに関していうと、普通に内容も面白かったので、エロだけに魅かれたということではなかったと思う。次回予告を観て続きが気になる程度にはエロ以外の部分も好きだった。
主人公はグレチキの北原雅樹で、ヒロインは小嶺麗奈。小嶺麗奈というと、『KAT-TUNの元メンバーと仲良く一緒に逮捕された人』という印象しかない人もいるだろうが、当時は絶賛売り出し中で、結構いろんなドラマに出ていた。金八先生にも生徒役で出ていたと思う。
前述の男子中学生あるあるではないが、このドラマに出てる女性キャストは基本的に好きで、ヒロインの小嶺麗奈はモチロンのこと、劇中では敵役として出演していた湯原麻利絵という無名のアイドルも結構お気に入りだった。当時は確か『めざましテレビ』のめざまし調査隊リポーターをやっていて、リポーターとして明るくふるまう姿と、ドラマの中の演技で見せる少し妖艶なキャラとのギャップに魅かれていた。ちなみに、敵役ではあったが、実はヒロインのことが好きという設定で、最終話近くで小嶺麗奈とキスをするシーンなどもあった。私は百合属性は持ってないのでそんなにだったけど、人によっては性癖の曲がり角になったのかもしれない。
『しようよ♡』が終わると、『しようよ2♡ 女教師ナズナの場合』という、続編っぽい感じのタイトルながらも、主題歌以外は全く別の作品が始まった。こちらは全4回で終了ということで、前作より内容が薄かったように思う。ただ、相変わらずエロシーンはあったのでチェックはしていた。ヒロインの城麻美は、テレ東の深夜バラエティ『ギルガメッシュないと』でお馴染みだったようだが、私は新潟県民でテレ東が映らない地域の人間だったので、全くお馴染んでなかった。次、生まれ変わるとしたら、テレ東が映る地域の人間に生まれ変わりたいと思っている。
『しようよ2♡』より後のドラマはもうほとんど惰性で観ていたが、最後の拠り所だったエロが無くなった『いとしの未来ちゃん』あたりからは、もう大分興味が薄れており、『オマタかおる』で完全にウィークエンドドラマ枠を観るのをやめてしまった。
星空シネマパラダイス
新潟ローカルの深夜番組で『星空シネマパラダイス』という番組があった。放送されていたのはウィークエンドドラマと同時期で、ウィークエンドドラマの放送終了後、情報番組を挟んで1時間ほど後に放送されていた。タイトルの通り、Vシネマを垂れ流すだけの番組だった。ただ、ここで放送されるVシネマのエロ率が割と高く、どこかのタイミングからか、ウィークエンドドラマよりこちらの番組を目当てで観ることが多くなった。聞きたくもないかもしれないが、この番組を観ているときに精通を経験したので、自分の中ですごく印象深い番組だったりする。ちなみに、そのとき放送されていたのは『ギルガメッシュな関係』というVシネマで、察しの良い方なら想像つくと思うが飯島愛が主演である。抜いたシーンは飯島愛ではない別の女優が出ていたシーンだったけど。
この番組を観るにあたって、一つ大きな問題があった。放送時間帯が深すぎるのである。あまりにも遅くまで起きてると家族から何か言われる年齢だったので、リアルタイムで観るのは厳しかった。そこで出てくるのが、ビデオ録画だ。前述の通り、基本的にウィークエンドドラマは親父に録画を頼んでいた。ここでポイントなのが、録画の方法がVHSの3倍録画でずっと最後まで回しっぱなしだったということだ。若い人はガン無視して話を進める。つまり、ウィークエンドドラマが終わってから5時間30分分の番組が撮れているのである。なので、最後の方まで早送りすれば星空シネマパラダイスまで辿り着くわけだ。
これにより、無事に番組が観れたのだが、まだ大きな問題があって、ウィークエンドドラマの録画が積み重なっていくと、5時間30分あったバッファ時間がどんどん減っていくのだ。ウニの木箱に入ったウニが少なくなってきたら、新しい木箱に取り替えてくれる粋な寿司屋の大将みたいなことを親父がしてくれるわけもないので、最後の方は涙を飲んで観るのを諦めていた。残り時間が1時間とかなら完全に諦めもつくのだが、2時間弱のような残り時間だと中途半端にVシネマが撮れていたりするので、途中でテープが切れるチキンレースを味わいながら観ていた。しかも、そういうときに限って『エッチでハッピー!ピン!ピン!ピン!』みたいなエロいタイトルだったりするので、急にプツンとテープが終わったときの絶望感たるや凄まじかった。
このときに得た中学生ならではのエロ豆知識として、全く聞いたこともないような女優が出てるVシネマの方がエロく、逆にテレビで名前がある程度知れてる女優が出てるVシネマはそんなにエロくない率が高かった。なので、キャストに飯島直子の名前を見つけたりすると少しガッカリしていたのを覚えている。
と、思春期のお色気ドラマについてあーだこーだ色々と語ってきたが、今の若い人はスマホで手軽にこういうエロを摂取できるので、羨ましいなぁと思う。ただその反面で、私が経験したような絶望へのチキンレースのような体験をどこかで味わってほしいなぁとも思ったりする。
爆笑問題の太田さんと世間との溝について
最近、テレビやネットを観ていて爆笑問題の太田さんと世間との溝を意識することが増えてきたので、それについて自分が感じていることを少し書きたいと思う。ここでいう世間というのは、テレビの視聴者、特に爆笑問題のファンではない一般視聴者のことを指す。
記憶に新しいのは、TBSの選挙特番でMCを務めた太田さんが政治家に不遜な態度や失礼な発言をしたことによる炎上だが、これに関しては政治というある種のノイズ的な要素を含んでいることに加えて、普段バラエティを観ている視聴者層とまた違ったところからの火種が多いかと思うので、自分が感じている世間の溝とは少しピントがずれる。あくまで太田さんが純粋なバラエティ番組に出ているときに感じることである。
最初に、太田さんのテレビでのキャラクターについて少し振り返っていきたいと思う。以前の記事でも書いたように、私が爆笑問題を知ったのはボキャブラ天国だった。その頃の太田さんのイメージは、周りの芸人がワイワイ騒いでるときに、ボソッと一言芯を食ったワードを放って笑いをかっさらう、いわゆる天才型の芸人だった。これはあくまで私が感じていた印象だが、当時のお笑いファンのイメージもこれに近かったと思う。で、そのイメージは、爆笑問題がボキャブラを卒業してからもしばらく続く。爆笑問題自身の冠番組はもちろんのこと、日テレの番組対抗クイズ特番のような、タレントが大集合するタイプの番組にゲストとして出た際にも、確実に笑いを取ってスタジオを盛り上げていた。一言一言のボケに本当にキレがあった。「とりあえず、あいつにボールを投げれば必ず爆笑を取る」といった信頼が周囲からも感じられたし、太田さんが発言する際は、周りが聞き耳を立てるように一瞬「しん」と静まり返る空気すらあった。
自分の肌感覚では、『笑っていいとも!』の中期頃までこのイメージはあった。いいともは、番組が生放送ということで危うい雰囲気になることはあったものの、太田さんが植草教授(当時、女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとして逮捕された人)のモノマネをしようとして相方の田中さんやおすピーの二人から笑いながら必死で止められているときも、なんだかんだで周囲は面白がって盛り上がっていたし、ネットの声(主に2ch)も「太田もっとやれ!」という歓迎ムードが漂っていたように思う。ただ、「生放送で予定調和なことをやらない人」という危険なイメージがついたのもこの頃だった。当時はそれが良い方向に転がっていた。
生放送で思い出すのは、TBSのオールスター感謝際だ。90年代後期の出演では、太田さんが赤坂ミニマラソンで『デヴィ夫人』のゼッケンをつけて会場を沸かせていた。これにはテレビの前で観ていた私も腹を抱えて笑っていた記憶がある。蛇足だが、この記憶を引っ張り出すと、必ずセットで瀬戸カトリーヌが号泣してた場面が思い浮かぶ。で、その2年後の感謝祭。同じく赤坂ミニマラソンに出場した太田さんが、あろうことか、特別ゲストとして参加していた競歩の選手に体当たりして走行を何度も妨害したのである。当時、これを私は実家で親父と観ていたのだが、爆笑問題ファンの親父ですら「何やってんだ」と少し語気を強めにして怒っていた。私もさすがにこれは擁護できなかった。この件に関しては、もう覚えてる人も少ないだろうが、当時はそれなりに話題になり、ネット上でも批判されていた。この頃から、太田さんのテレビでの位置付けは、センスの人から『ヤバい人』へと変わっていったように思う。
今もおそらく世間では『ヤバい人』、または生放送で何をしでかすかわからない『危険な人』『空気の読めない人』というイメージが太田さんにはつきまとっているのではないだろうか。まぁ実際そうなのだけど。
これはあくまで爆笑問題のラジオを長年聴いている私の一意見だが、太田さんの性格自体は昔からさほど変わっていないと思っている。勿論その時その時の本人の感情の波はあれど、「自分の言いたいことを言う」という我を貫く姿勢は昔から一貫している。ただ、最近は言いたいことを言う範囲が視聴者の許容範囲を逸脱し始めてるように感じる。一例を挙げると、フワちゃんに対して「磯山!」と言うノリだ。これは『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で、磯山さやかのするフワちゃんのモノマネが似てるということを受けてのノリだが、勿論これは大半の視聴者に伝わらない。というか、当初はフワちゃんすら知らなかったらしい。ラジオリスナー的には、「何やってんだよw」といった感じで笑える部分もあるだろうが、正直これはちょっと悪ノリが過ぎるかなとも思う。
最近の太田さんは、「自分のホーム以外の場所で悪ノリしてスベる」場面がよく見受けられる。数年前の27時間テレビで、ピエロの格好をして騒いだ挙句、吉本芸人から村八分にされて滑り倒した場面は今も思い出すだけでツラい。しかし、逆にいうと、自分のホーム、例えば自身のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』や、仲の良い芸人仲間に囲まれた『検索ちゃん』などではそういう場面は一切見られない。仮に太田さんが危険な発言をしても誰かしら突っ込んでくれる環境だからだ。
『笑っていいとも!』もそうだが、あの場所も周りが太田さんに対して理解があり、周りが突っ込んでくれる環境だった。それに加え、タモリさんやおすピーなど年長者がいたため、太田さんも多少は自制していた部分があったと思う。今は逆に、番組のスタッフなども含めて太田さんが最年長になることも多いと思うので、止める人が周りにおらず発言が視聴者の許容範囲を超えてしまうのではないだろうか。
と、太田さんに対して批判とも捉えかねない意見も含めて色々と述べてきたが、なんだかんだ言っても私は太田さんが好きだ。好きが故に、今回の選挙特番の炎上などで「太田もうテレビに出るな」といった意見がツイッター上に溢れかえってるのを見るとすごく悲しくなる。ただ、その一方で「太田さんを不快に思う人もいるだろうな」と批判的な意見を発する人に対して一定の理解できる部分もあるので、こちらとしても心の折り合いをつけるのがタイヘン難しい。思わず「もー!なんでこんな面倒なヤツのこと好きになっちゃったのよ!」と恋する乙女のようなキモチになる。
で、とどのつまり、太田さんを止めてくれる人間が周りにいないとアカンという結論に帰着する。選挙特番について、太田さんがラジオで「田中が横にいても何も変わってなかった」と言っていたが、視聴者的には田中さんが横にいるのといないとでは安心感が天と地ほど違う。最終的に同じ道を辿って炎上していたにせよ、田中さんがいたらそれでも少しは見方は変わっていたと思う。
と、こんなことを言ってまた田中さんの評価が上がると、太田さんがまたラジオで文句を垂れるのだけれど、それを聴くのも楽しみだったりするので、もうリスナー的にも何を求めてるのかよく分からない。まぁ何にもしても、田中さんはずっと太田さんの横にいてください。
アニラジの話
つい先日、文化放送開局70周年記念ということで、『A&G超RADIO SHOW~アニスパ!~』が一夜限りの復活を遂げた。それを聴いて妙にノスタルジックな気分になったので、自分とアニラジの出会いなどを少し振り返ってみたいと思う。
アニラジとは
当たり前のように『アニラジ』という言葉を使っているが、そもそもこの言葉自体、既にオッサンしか使っていない死語と化している可能性が高い。一応、Wikiで意味を調べてみたところ、『アニメ関連のラジオまたはインターネットラジオの番組のジャンル、および主にアニメで活躍する声優がパーソナリティを務めるラジオまたはインターネットラジオの番組』と書かれていた。純粋に意味だけを読み取ると、令和の時代に使われても特に違和感がないように思えるが、自分の中にあるアニラジという言葉の響きが、90年代声優ブームの頃に創刊された『アニラジグランプリ』を強く連想させるため、どうしても90年代の残り香のようなものを感じてしまう。うっすら國府田マリ子の顔が浮かんでくるところまでがセットだ。
ただ、実際、この雑誌でアニラジという呼称が定着したらしいので、同じようなイメージを持ってる人は自分以外にも多いと思われる。
アニラジとの出会い
最初に聴いたアニラジは、確か國府田マリ子の『BANANA放送局ヤンラジグランプリ!!』だったと思う。アニラジ好きな人で國府田マリ子というと、文化放送の『ツインビーPARADISE』(以下、ツイパラ)を最初に思い浮かべる人が多いと思うが、私は微妙に世代が下のため、ツイパラが終わってから國府田マリ子の存在を知った。
で、BANANA放送局を聴くようになったのは、ラジオの選局ダイヤルを適当に回していたら何やら可愛い声が聞こえてきたので、甘い蜜に引き寄せられる蝶のようにそのまま聴くようになった。おそらく、当時の男子中高生とアニラジの邂逅は大体そんなパターンだったと思う。もちろん、このときは國府田マリ子が声優だということも知らなければ、本人の顔すら知らなかった。可愛い声のお姉さんがコチラに向けて優しく語りかけてくれるのを、ただドキドキしながら無心で聴くという、ある意味では一番正しい聴き方をしていた。自分がアニラジに癒しやドキドキを求めるのは、この原体験があったからかもしれない。
ちなみに、本人のお姿を初めて拝見したのは、当時の最新シングル『風がとまらない』のCDジャケットだった。番組内でも宣伝していたので、「これは買わねば!」ということで少ない小遣いの中から捻出してCDを購入した。蛇足情報として、当時モンスターファームにハマっていた同級生の江川くんに色々と自分の手持ちCDを貸したときに、「この國府田マリ子のCD、けっこう強かったわ」と言われたのをなぜか妙に覚えている。
このBANANA放送局という番組、もともとそういう契約だったのか知らないが、半年もしないうちに終了し、翌月に後番組として『オレたちやってま〜す』が始まった。こちらは有名なので、ラジオ好きなら普通に知ってる人も多いのではないだろうか。いわゆる、声優やお笑い芸人、ミュージシャンといった様々なジャンルの芸能人同士がトークをするラジオの先駆けになった番組だ。初期のパーソナリティーは、先の國府田マリ子に加え、TOKIOの城島茂とL'Arc〜en〜Cielのtesuya(当時はtetsu)の3人だった。今考えても、どういう会議を経てこの組み合わせになったのか謎である。この番組は、BANANA放送局が終わった流れでそのまま聴いていたが、「アニラジを聴いてる」という感じはあまりしなかった。癒しやドキドキの要素も特になく、かといって突き抜けて面白いというわけでもなかったので(ひどい)、正直、この頃は惰性で聴いていた覚えがある。ただ、後に極楽とんぼがメンバーとして新たに加入してからは、番組自体がオモシロの方向に傾いてきたので、どちらかというとそちら目当てで聴いていた。
聴いてたアニラジあれこれ
國府田マリ子の番組をキッカケとして、アニラジという文化が少しずつ私の中に浸透していった。当時の自分のラジオタイムテーブルを振り返ってみると、平日はJUNK(当時はUP's)やオールナイトニッポンなどをはじめとした芸人ラジオを聴くことが多く、アニラジを聴くのは土日が多かった。といっても、平日の深夜ラジオゴールデンタイム(25時~27時)以外は、合間合間に全国のアニラジをつまみ食い的な感じで聴いていた。私が住んでいたのは新潟だったが、深夜であれば大阪など関西のラジオも普通に受信できたのである。もちろん雑音混じりではあったが、十分聴くに耐えうる音質だった。
最初のうちは聴く番組が固定していなかったので、適当にチューニングしてそのときに流れていたアニラジを聴いていた。そのため、桑島法子の『CLUB db』や『國府田マリ子のGM』を同じ週に3回聴く、といった謎現象がたびたび発生していた。ネット局が多い番組だと、曜日と放送時間帯がバラけているので、合間時間のローテーションによっては遭遇する率が高いのである。
ある程度アニラジを聴くようになってくると、徐々にお気に入りのパーソナリティーも出てくる。当時は、マチリンの愛称でお馴染みの豊嶋真千子が好きだった。最近だと、ちびまる子ちゃんの二代目お姉ちゃん役が有名だろうか。すごく親しみやすく、いろんな人から愛されるキャラで、変に飾らないところも好きだった。本人がパーソナリティーを務めていた『豊嶋真千子Earthly Paradise』はもちろん聴いていたが、他番組ゲストに出た回、特に神谷浩史がグランドアシスタントを務めていた『VOICE OF WONDERLAND』は録音して繰り返し繰り返し聴いていた。ほぼ同期なのか知らないが、神谷浩史との掛け合いは凄く好きだった。個人的に、神谷浩史と一番相性が良い相手だと思っている。
声優ラジオのパーソナリティーというと、林原めぐみが有名だが、私はそこまでハマらなかった。以前、ラジオでの林原めぐみを評して妻が、「たまに腐女子の黒歴史みたいなしゃべり方するじゃん」と言っていたのだが(個人的にツボだった)、ハマらなかった要因の一つとして、それも少しあるような気がする。ただ、それでも『林原めぐみのTokyo Boogie Night』などは、たまに聴いていた。「林原めぐみの声を聴くと安心する」という人がいるが、その気持ちは何となく分かる。久しぶりに聴くと実家に帰ってきたようなキモチになるのだ。番組初期に始まった『早口言葉の挑戦状』のコーナーなどは今でも続いており、こういう「変わらなさ」も、長く番組が続いている秘訣でもあり、魅力なのかもしれない。
ラジオ大阪で日曜の22時に放送されていた『宮村優子の直球で行こう!』(以下、直球)という番組は、好きで毎週必ず聴いていた。宮村優子といえば今でもエヴァのアスカ役として有名だが、この頃は本人のルックスも相まってアイドル的な人気を博していた。同時期に、テレ朝のナイナイの深夜番組にもゲストに出てたのを覚えている。今でこそ声優がバラエティに出るのは当たり前になったが、当時としてはかなり珍しかった。
で、そんな宮村優子と岩田光央がメインパーソナリティーを務めるの直球なのだが、内容的には、かなり下ネタが多めだった。というより、ほぼその印象しかないので、ホントに下ネタ満載の番組だったんだろうなと思う。以前、誰かがツイッターで、「これまでの声優ラジオは下ネタを大声で言うことが面白さのすべてだったけど、人間性そのものを面白くしたのは『アニスパ!』が初めて」ということをつぶやいていたのだが、これがまさにその通りで、昔のお笑い寄りのアニラジは、とにかく下ネタを言ってればいいみたいな風潮が少なからずあった。直球の流れで聴いていた『電撃大賞』も、これまた下ネタを下ネタで煮しめたような番組で、当時学生だった自分は楽しく聴いていたが、今になって思うと、あれは学生だったから楽しめていたんだろうなと思う。この頃の、「声優がワードの響きだけでキツい下ネタを言う」というあの独特の感じは、リアルタイムで聴いてないと分からない肌感覚だと思う。
私は下ネタに魅かれたというより、なんかワチャワチャやってる感じが好きだった。先ほど、アニラジには「癒しやドキドキを求めていた」と書いたが、それとは別のベクトルで「みんなでワイワイやってる楽しさ」みたいなものもアニラジには求めていて、これがこの直球には詰まっていたと思う。この直球が放送されていた枠というのは、ラジオ大阪 (OBC) におけるアニラジ番組枠の総称として『1314 V-STATION』(通称Vステ)と呼ばれており、夏と冬に『Vステ夏の陣・冬の陣』という特別番組が放送されたりもしていた。番組合同の企画だったり、生放送で外から中継するなど、このときのお祭り感が当時は大好きだった。
ちなみに、2014年に、宮村優子と三重野瞳が2人で直球の特別版をニコニコ動画で放送したのだが、内容のローカル感と当時の思い出話とラジオ大阪の雰囲気も相まってなんとも味わい深かったのを覚えている。先日のアニスパのときも感じたが、アニラジの一夜限りの復活というのは、同窓会感が普通のラジオよりも強い気がする。
日曜の夜の迷子
前述の『電撃大賞』が放送終了するのは日曜日の25時半で、私が記憶してる限り、これ以降は月曜の朝までラジオ大阪の番組は放送休止だった。で、日曜も26時を回ると、いよいよ他の局でも聴く番組、というより放送してる番組がなくなってくる。今のように、タイムフリーで過去の未視聴放送を簡単に聴くこともできない時代だったので、学生にはリアルタイムで放送中の番組を聴くほかないのだ。「聴く番組がないなら寝ればいいじゃない」と思われるかもしれないが、日曜がまだまだ続いてほしいという気持ちと、「とにかく誰かの声を聞いていたい…」という寂しさを原動力として、雑音の中ひたすらダイヤルを回して放送している局を探すのである。さながら、雪山で遭難している登山者が、猛吹雪の中、「誰かー!」と助けを求めるように。こんなふうに書くと、何か心に問題を抱えていた学生と思われかねないが、別にそういう訳ではなく、これはこれで案外楽しかったりもした。意外と当時のラジオ好きあるあるだったと思いたい。
さやかの部屋で...
そんな日曜の夜に、誰かの声を探し求めるようにして見つけたのが『さやかの部屋で…』という番組だ。
日曜のド深夜、どこかの局で流れていたアメリカザリガニの番組が終わって27時を迎え、「全放送局の1週間の番組がマジで全て終わったかな?」と思いながらダイヤルをMBS放送に合わせたところ、聴こえてきたのがこの番組だった。最初、「あれ?こんな番組やってたっけ?」と思った。後になって知ったことだが、この番組は月に1回不定期でやっていたらしい。日曜の27時、しかも月1回不定期となると、そら見つけ出すのも困難のはずだ。RPGで、特定条件を満たさないと現れない宝箱をノーヒントで偶然手に入れたような感覚だった。
この番組、パーソナリティはインディーズ歌手でもあり、SMスナイパーで連載を持っているライターの「さやか」という女性だった。肩書だけ聞くと、サバサバ系のファッサマみたいな人を思い浮かべそうなものだが、これが凄くおしとやかな雰囲気で、可愛らしい声の女性だった。一言一言、独特のリズムで丁寧に言葉を紡ぎ、まるで催眠術にでもかけるかのような語り口で私の心に入りこんできた。
基本、『性』がテーマの番組で基本は男子禁制だったこともあり、当時まだ女性に免疫がなかった私は、とにかく夢中になって彼女の声に耳を傾けていた。女性しか入れない禁断の地に踏み入ってるような感覚だった。決して大袈裟ではなく、当時はこの番組を聴くためだけに生きてたといっても過言ではないくらい好きだった。
ちなみに、一回だけこの番組でメールが読まれたことがある(放送で読まれると思ってなかったので本名で)。「ジングルがベリーセクシーだったので、つい聞いてしまいました」という死ぬほど他愛ない内容だったが、このメールに反応してもらえたのが凄く嬉しかったので、この部分だけ切り取ってmp3化した音声がどこかのHDDに眠っているはずだ。で、なぜかジングル部分だけ今のPCに入っていたので、そこだけアップする(passは『1179』)。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2586699.mp3.html
ちなみに、パーソナリティーの"さやか"だが、後に『XXX//x(クスクスクス』というMBS深夜の枠の月曜日を担当することになる。これを聞いた時は「やったー!」と飛び跳ねて喜んだのだが、なぜか最終的に聞かなくなってしまった。なんというか、月に1回1時間というのがレア感も含めて丁度よかったようで、毎週2時間も性(シモ)だとさすがにちょっとキツかった。過剰供給の問題点をこのとき悟った。
と、最後の方はアニラジ関係なくなってしまったが、アニラジを聴き始めの頃の話を少し書いてみた。もはや遠い昔の話である。
さてさて、ラジオおじいちゃんは『飯塚雅弓のまだまだ日曜日だよ!』でも聴きながら寝るとするかのう...(BGM: 飯塚雅弓『アクセル』)
今週の爆笑問題カーボーイのオープニングトークを聞いて思ったこと
今週の『爆笑問題カーボーイ』(2021/07/20放送分)で、太田さんが小山田圭吾のイジメ問題ついて語っていた。先週のサンジャポで、自身が小山田圭吾を擁護するような発言をしたことでネットが炎上していることに対し、「いろいろと言葉足らずで誤解を招く表現があった」ということで、言葉を選びながら慎重に自分が本当に言いたかったことを伝えていた。
番組で話していた内容を1ミリも齟齬が生じないように記事にまとめるのはほぼ不可能に近いので、詳しい内容については実際に放送を聴いてほしいのだが、色々と考えさせられる内容だった。自分が爆笑問題ファンということもあるので、若干のフィルターがかかっているとは思うが、その分を差っ引いても一聴の価値がある放送だったと思う。
太田さんが番組で長時間に渡って何かを語るときは、リスナーに誤解を与えないように慎重に言葉を紡ぐ。今回もそうだったが、自分の話す内容が本当に適切かどうかを一つ一つ確認しながら、思いを言葉に乗せていた。それは、どれだけ一生懸命伝えても、相手に100%は伝わらないということの裏返しのように思えた。言葉が届かない人というのは、絶対にいる。だが、それでも太田さんは伝えようとする。真摯な姿勢で何度も思いを伝えようとすることで、それを聴いた誰かが「そういう考えもあるんだな」とメッセージを受け止め、新たな考え方が加わった上で自分なりにまたその問題について考え出すことを、多分、太田さんは望んでいるのだと思う。
太田さんは自分の言い分を無理に通そうとはしない。あくまで、「自分はこういう考えです。あなたはどうですか?」という問題提起をしているだけであって、決して論破しようとはしていない。実際に放送でも、「それでもダメって言う人もいると思うけど、それはそれで構わない」と言っている。自分の考えを相手に正しく汲んでもらった上で、"ちゃんと批判してくれ"ということだろう。これは、言葉の上っ面だけを切り取って、匿名でギャーギャー批判している人に対して言ってるように聞こえた。
今回の放送を聞いて、「情報が多い時代だからこそ、いろんな考え方を受け入れつつも、ちゃんと自分としての考えを持つべき」と思ったのと同時に、「田中さんは太田さんにカレーパンを買ってくるべきだった」と思った。
脱サラしました
今日(2021年7月1日)の午前中のうちに開業届を提出し、晴れてフリーランスになった。
詳細については書けないが、いろんなコトを天秤にかけた結果、「今の状況だとフリーになった方が良い」という結論に至ったので、おもいきってフリーランスになる道を選んだ。まぁでも、すぐに結論を出したわけではない。なんだかんだで半年ぐらい悩んだ。
たぶん身近にフリーランスをやってる同業者の相談相手がいたのが大きかったと思う。
割とポジティブな理由での退職ということで、2年9ヶ月務めてきた前の会社に特に不満はない。むしろ、かなりよくしてもらったし、高く評価されていたという自負もある。そんな良好な関係だったこともあり、「辞めます」と上の人に切り出したときは、かなり驚かれた。しかし、なんだかんだで最終的には円満にまとまった(と思っている)。向こうも「今後とも連絡を取り合っていければ」ということで個々の連絡先を交換させてもらったので、正直、戻ろうと思えば戻れるくらいの温度感での退職だったと思う。たとえるなら、私の海外赴任のせいで別れを余儀なくされた元カノのような感じだろうか(たぶん違う)。
まぁ10年ぐらいフリーをやってみてニッチもサッチも行かなくなったら、もしかしたらまた社員に戻るかもしれないが(戻れたら)、今後しばらくは組織に属さないで生きていくつもりだ。こんな感じで書くと、急に1人で大航海に乗り出していく冒険家のようにも聞こえるが、元テレ東の佐久間さんの「テレ東をやめてもゴッドタンは引き続きやる」と同じパターンなので、やること自体は当面のところ変わらなかったりする。
そんなわけで、一旦は港に別れを告げたので、これからは1人で頑張ります。ヨーソロー。