90年代に放送されていたお色気ドラマについて

最近、某所で90年代の懐かしドラマ映像集というものを見て海馬が刺激されたため、昔、深夜に放送されていたお色気ドラマについて少し書きたいと思う。

 

お色気ドラマとは

お色気ドラマというのは、要は女性のオッパイやパンツなどの露骨なお色気シーンが出てくるドラマのことで、ドリフやバカ殿など、ゴールデンタイムで普通に女性の裸を拝めた時代の産物である。『ボーイ・ミーツ・お色気ドラマ』といった具合に、当時の健全な青少年はどこかのタイミングで必ずこのドラマと偶然出会うことになる。今でもたまに性を扱ったドラマは放送されるが、完全に男向けのエロシーンが出てくるドラマはさすがに令和の地上波では無いと思う。

 

放送されていた枠について

自分がよく観ていたのは、テレビ朝日の土曜23:28から23:58の、いわゆる『ウイークエンドドラマ』と呼ばれる枠だった。当時のラインナップとしては、『しようよ♡』『しようよ2♡ 女教師ナズナの場合』『お天気お姉さん』『お天気お姉さん2 リョーコPuriPuri』などがあった。これより前にも、『HEN Vol.2 ちずるちゃんとあずみちゃん』など色々あったようだが、私が最初に観たのは、確か『しようよ♡』の第3話だった。深夜にテレビをザッピングしたらオッパイが視界に入ったので急いでチャンネルを戻したところ、何やらエロい雰囲気のドラマをやってるな、と思いそこから観るようになった。テレビにオッパイが映っていたら手をとめるのは男子中学生の性(サガ)なのである。

で、「このドラマは繰り返し何度も観たい」と思ったので、4話目からはビデオデッキ所持者の親父に頼んで録画してもらうことにした。こういうドラマを親に録画してもらうのは如何なものかと思われそうだが、当時からAVを4桁単位で所持しているような人だったので、頼むのにそこまで抵抗はなかった(うちが少し特殊な環境だったのもある)。ただ、第4話が録画されたビデオを最初に親父から手渡されたときに何か言われた気がする。

余談だが、当時、ドラマ『失楽園』の特番が放送されるということで、同級生で友人の須佐君から「うちだとちょっと録画できないので、録画をお願いしたい...!」と強く頼まれたことがある。そのときは、「いいよ」と二つ返事で引き受けて、それをそのまま右から左に受け流すように親父に録画を頼んだ。で、失楽園が録画されたビデオを須佐くんに渡すタイミングでそのことを伝えたところ、「えー!うぁあマジか...ええ...めっちゃ恥ずかしいんだけど...、次に会ったとき顔見れないわ...あー」と、ひどく悶え苦しんでいた。友達のお父さんにエロいドラマを録画してもらうのは想像以上に恥ずかしいことらしい。

ちなみに、どういう縁なのか、須佐君は自分が今住んでるところから歩いて数分の場所に住んでるので、たまに顔を合わせることがある。かれこれ5年ほど前に須佐君から「俺のPC、CDが焼けないので代わりに焼いてほしいんだけど...」と頼まれたときは、先ほどのことが頭をよぎった。

 

しようよ♡

男子中学生あるあるとして、エッチなお姉さんが醸し出すフェロモンに心が魅了されることを、女性に対する「好き」と勘違いすることがある。これに近い感覚で、この『しようよ♡』というドラマが好きだった。ただ、このドラマに関していうと、普通に内容も面白かったので、エロだけに魅かれたということではなかったと思う。次回予告を観て続きが気になる程度にはエロ以外の部分も好きだった。

主人公はグレチキ北原雅樹で、ヒロインは小嶺麗奈小嶺麗奈というと、『KAT-TUNの元メンバーと仲良く一緒に逮捕された人』という印象しかない人もいるだろうが、当時は絶賛売り出し中で、結構いろんなドラマに出ていた。金八先生にも生徒役で出ていたと思う。
前述の男子中学生あるあるではないが、このドラマに出てる女性キャストは基本的に好きで、ヒロインの小嶺麗奈はモチロンのこと、劇中では敵役として出演していた湯原麻利絵という無名のアイドルも結構お気に入りだった。当時は確か『めざましテレビ』のめざまし調査隊リポーターをやっていて、リポーターとして明るくふるまう姿と、ドラマの中の演技で見せる少し妖艶なキャラとのギャップに魅かれていた。ちなみに、敵役ではあったが、実はヒロインのことが好きという設定で、最終話近くで小嶺麗奈とキスをするシーンなどもあった。私は百合属性は持ってないのでそんなにだったけど、人によっては性癖の曲がり角になったのかもしれない。

『しようよ♡』が終わると、『しようよ2♡ 女教師ナズナの場合』という、続編っぽい感じのタイトルながらも、主題歌以外は全く別の作品が始まった。こちらは全4回で終了ということで、前作より内容が薄かったように思う。ただ、相変わらずエロシーンはあったのでチェックはしていた。ヒロインの城麻美は、テレ東の深夜バラエティ『ギルガメッシュないと』でお馴染みだったようだが、私は新潟県民でテレ東が映らない地域の人間だったので、全くお馴染んでなかった。次、生まれ変わるとしたら、テレ東が映る地域の人間に生まれ変わりたいと思っている。

『しようよ2♡』より後のドラマはもうほとんど惰性で観ていたが、最後の拠り所だったエロが無くなった『いとしの未来ちゃん』あたりからは、もう大分興味が薄れており、『オマタかおる』で完全にウィークエンドドラマ枠を観るのをやめてしまった。

 

星空シネマパラダイス

新潟ローカルの深夜番組で『星空シネマパラダイス』という番組があった。放送されていたのはウィークエンドドラマと同時期で、ウィークエンドドラマの放送終了後、情報番組を挟んで1時間ほど後に放送されていた。タイトルの通り、Vシネマを垂れ流すだけの番組だった。ただ、ここで放送されるVシネマのエロ率が割と高く、どこかのタイミングからか、ウィークエンドドラマよりこちらの番組を目当てで観ることが多くなった。聞きたくもないかもしれないが、この番組を観ているときに精通を経験したので、自分の中ですごく印象深い番組だったりする。ちなみに、そのとき放送されていたのは『ギルガメッシュな関係』というVシネマで、察しの良い方なら想像つくと思うが飯島愛が主演である。抜いたシーンは飯島愛ではない別の女優が出ていたシーンだったけど。

この番組を観るにあたって、一つ大きな問題があった。放送時間帯が深すぎるのである。あまりにも遅くまで起きてると家族から何か言われる年齢だったので、リアルタイムで観るのは厳しかった。そこで出てくるのが、ビデオ録画だ。前述の通り、基本的にウィークエンドドラマは親父に録画を頼んでいた。ここでポイントなのが、録画の方法がVHSの3倍録画でずっと最後まで回しっぱなしだったということだ。若い人はガン無視して話を進める。つまり、ウィークエンドドラマが終わってから5時間30分分の番組が撮れているのである。なので、最後の方まで早送りすれば星空シネマパラダイスまで辿り着くわけだ。

これにより、無事に番組が観れたのだが、まだ大きな問題があって、ウィークエンドドラマの録画が積み重なっていくと、5時間30分あったバッファ時間がどんどん減っていくのだ。ウニの木箱に入ったウニが少なくなってきたら、新しい木箱に取り替えてくれる粋な寿司屋の大将みたいなことを親父がしてくれるわけもないので、最後の方は涙を飲んで観るのを諦めていた。残り時間が1時間とかなら完全に諦めもつくのだが、2時間弱のような残り時間だと中途半端にVシネマが撮れていたりするので、途中でテープが切れるチキンレースを味わいながら観ていた。しかも、そういうときに限って『エッチでハッピー!ピン!ピン!ピン!』みたいなエロいタイトルだったりするので、急にプツンとテープが終わったときの絶望感たるや凄まじかった。

このときに得た中学生ならではのエロ豆知識として、全く聞いたこともないような女優が出てるVシネマの方がエロく、逆にテレビで名前がある程度知れてる女優が出てるVシネマはそんなにエロくない率が高かった。なので、キャストに飯島直子の名前を見つけたりすると少しガッカリしていたのを覚えている。

 

と、思春期のお色気ドラマについてあーだこーだ色々と語ってきたが、今の若い人はスマホで手軽にこういうエロを摂取できるので、羨ましいなぁと思う。ただその反面で、私が経験したような絶望へのチキンレースのような体験をどこかで味わってほしいなぁとも思ったりする。

爆笑問題の太田さんと世間との溝について

最近、テレビやネットを観ていて爆笑問題の太田さんと世間との溝を意識することが増えてきたので、それについて自分が感じていることを少し書きたいと思う。ここでいう世間というのは、テレビの視聴者、特に爆笑問題のファンではない一般視聴者のことを指す。
記憶に新しいのは、TBSの選挙特番でMCを務めた太田さんが政治家に不遜な態度や失礼な発言をしたことによる炎上だが、これに関しては政治というある種のノイズ的な要素を含んでいることに加えて、普段バラエティを観ている視聴者層とまた違ったところからの火種が多いかと思うので、自分が感じている世間の溝とは少しピントがずれる。あくまで太田さんが純粋なバラエティ番組に出ているときに感じることである。

 

最初に、太田さんのテレビでのキャラクターについて少し振り返っていきたいと思う。以前の記事でも書いたように、私が爆笑問題を知ったのはボキャブラ天国だった。その頃の太田さんのイメージは、周りの芸人がワイワイ騒いでるときに、ボソッと一言芯を食ったワードを放って笑いをかっさらう、いわゆる天才型の芸人だった。これはあくまで私が感じていた印象だが、当時のお笑いファンのイメージもこれに近かったと思う。で、そのイメージは、爆笑問題ボキャブラを卒業してからもしばらく続く。爆笑問題自身の冠番組はもちろんのこと、日テレの番組対抗クイズ特番のような、タレントが大集合するタイプの番組にゲストとして出た際にも、確実に笑いを取ってスタジオを盛り上げていた。一言一言のボケに本当にキレがあった。「とりあえず、あいつにボールを投げれば必ず爆笑を取る」といった信頼が周囲からも感じられたし、太田さんが発言する際は、周りが聞き耳を立てるように一瞬「しん」と静まり返る空気すらあった。


自分の肌感覚では、『笑っていいとも!』の中期頃までこのイメージはあった。いいともは、番組が生放送ということで危うい雰囲気になることはあったものの、太田さんが植草教授(当時、女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとして逮捕された人)のモノマネをしようとして相方の田中さんやおすピーの二人から笑いながら必死で止められているときも、なんだかんだで周囲は面白がって盛り上がっていたし、ネットの声(主に2ch)も「太田もっとやれ!」という歓迎ムードが漂っていたように思う。ただ、「生放送で予定調和なことをやらない人」という危険なイメージがついたのもこの頃だった。当時はそれが良い方向に転がっていた。

 

生放送で思い出すのは、TBSのオールスター感謝際だ。90年代後期の出演では、太田さんが赤坂ミニマラソンで『デヴィ夫人』のゼッケンをつけて会場を沸かせていた。これにはテレビの前で観ていた私も腹を抱えて笑っていた記憶がある。ちなみに蛇足だが、この記憶を引っ張り出すと、必ずセットで瀬戸カトリーヌが号泣してた場面が思い浮かぶ。閑話休題。で、その2年後の感謝祭。同じく赤坂ミニマラソンに出場した太田さんが、あろうことか、特別ゲストとして参加していた競歩の選手に体当たりして走行を何度も妨害したのである。当時、これを私は実家で親父と観ていたのだが、爆笑問題ファンの親父ですら「何やってんだ」と少し語気を強めにして怒っていた。私もさすがにこれは弁護できなかった。この件に関しては、もう覚えてる人も少ないだろうが、当時はそれなりに話題になり、ネット上でも批判されていた。この頃から、太田さんのテレビでの位置付けは、センスの人から『ヤバい人』へと変わっていったように思う。

 

今もおそらく世間では『ヤバい人』、または生放送で何をしでかすかわからない『危険な人』『空気の読めない人』というイメージが太田さんにはつきまとっているのではないだろうか。まぁ実際そうなのだけど。
これはあくまで爆笑問題のラジオを長年聴いている私の一意見だが、太田さんの性格自体は昔からさほど変わっていないと思っている。勿論その時その時の本人の感情の波はあれど、「自分の言いたいことを言う」という我を貫く姿勢は昔から一貫している。ただ、最近は言いたいことを言う範囲が視聴者の許容範囲を逸脱し始めてるように感じる。一例を挙げると、フワちゃんに対して「磯山!」と言うノリだ。これは『高田文夫ラジオビバリー昼ズ』で、磯山さやかのするフワちゃんのモノマネが似てるということを受けてのノリだが、勿論これは大半の視聴者に伝わらない。というか、当初はフワちゃんすら知らなかったらしい。ラジオリスナー的には、「何やってんだよw」といった感じで笑える部分もあるだろうが、正直これはちょっと悪ノリが過ぎるかなとも思う。

 

最近の太田さんは、「自分のホーム以外の場所で悪ノリしてスベる」場面がよく見受けられる。数年前の27時間テレビで、ピエロの格好をして騒いだ挙句、吉本芸人から村八分にされて滑り倒した場面は今も思い出すだけでツラい。しかし、逆にいうと、自分のホーム、例えば自身のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』や、仲の良い芸人仲間に囲まれた『検索ちゃん』などではそういう場面は一切見られない。仮に太田さんが危険な発言をしても誰かしら突っ込んでくれる環境だからだ。
前述の『笑っていいとも!』もそうだが、あの場所も周りが太田さんに対して理解があり、周りが突っ込んでくれる環境だった。それに加え、タモリさんやおすピーなど年長者がいたため、太田さんも多少は自制していた部分があったと思う。今は逆に、番組のスタッフなども含めて太田さんが最年長になることも多いと思うので、止める人が周りにおらず発言が視聴者の許容範囲を超えてしまうのではないだろうか。

 

と、太田さんに対して批判とも捉えかねない意見も含めて色々と述べてきたが、なんだかんだ言っても私は太田さんが好きだ。好きが故に、今回の選挙特番の炎上などで「太田もうテレビに出るな」といった意見がツイッター上に溢れかえってるのを見るとすごく悲しくなる。ただ、その一方で「太田さんを不快に思う人もいるだろうな」と批判的な意見を発する人に対して一定の理解できる部分もあるので、こちらとしても心の折り合いをつけるのがタイヘン難しい。思わず「もー!なんでこんな面倒なヤツのこと好きになっちゃったのよ!」と恋する乙女のようなキモチになる。
で、とどのつまり、太田さんを止めてくれる人間が周りにいないとアカンという結論に帰着する。選挙特番について、太田さんがラジオで「田中が横にいても何も変わってなかった」と言っていたが、視聴者的には田中さんが横にいるのといないとでは安心感が天と地ほど違う。最終的に同じ道を辿って炎上していたにせよ、田中さんがいたらそれでも少しは見方は変わっていたと思う。
と、こんなことを言ってまた田中さんの評価が上がると、太田さんがまたラジオで文句を垂れるのだけれど、それを聴くのも楽しみだったりするので、もうリスナー的にも何を求めてるのかよく分からない。まぁ何にもしても、田中さんはずっと太田さんの横にいてください。

アニラジの話

つい先日、文化放送開局70周年記念ということで、『A&G超RADIO SHOW~アニスパ!~』が一夜限りの復活を遂げた。それを聴いて妙にノスタルジックな気分になったので、自分とアニラジの出会いなどを少し振り返ってみたいと思う。


アニラジとは

当たり前のように『アニラジ』という言葉を使っているが、そもそもこの言葉自体、既にオッサンしか使っていない死語と化している可能性が高い。一応、Wikiで意味を調べてみたところ、『アニメ関連のラジオまたはインターネットラジオの番組のジャンル、および主にアニメで活躍する声優がパーソナリティを務めるラジオまたはインターネットラジオの番組』と書かれていた。純粋に意味だけを読み取ると、令和の時代に使われても特に違和感がないように思えるが、自分の中にあるアニラジという言葉の響きが、90年代声優ブームの頃に創刊された『アニラジグランプリ』を強く連想させるため、どうしても90年代の残り香のようなものを感じてしまう。うっすら國府田マリ子の顔が浮かんでくるところまでがセットだ。
ただ、実際、この雑誌でアニラジという呼称が定着したらしいので、同じようなイメージを持ってる人は自分以外にも多いと思われる。

 

アニラジとの出会い

最初に聴いたアニラジは、確か國府田マリ子の『BANANA放送局ヤンラジグランプリ!!』だったと思う。アニラジ好きな人で國府田マリ子というと、文化放送の『ツインビーPARADISE』(以下、ツイパラ)を最初に思い浮かべる人が多いと思うが、私は微妙に世代が下のため、ツイパラが終わってから國府田マリ子の存在を知った。
で、BANANA放送局を聴くようになったのは、ラジオの選局ダイヤルを適当に回していたら何やら可愛い声が聞こえてきたので、甘い蜜に引き寄せられる蝶のようにそのまま聴くようになった。おそらく、当時の男子中高生とアニラジの邂逅は大体そんなパターンだったと思う。もちろん、このときは國府田マリ子が声優だということも知らなければ、本人の顔すら知らなかった。可愛い声のお姉さんがコチラに向けて優しく語りかけてくれるのを、ただドキドキしながら無心で聴くという、ある意味では一番正しい聴き方をしていた。自分がアニラジに癒しやドキドキを求めるのは、この原体験があったからかもしれない。
ちなみに、本人のお姿を初めて拝見したのは、当時の最新シングル『風がとまらない』のCDジャケットだった。番組内でも宣伝していたので、「これは買わねば!」ということで少ない小遣いの中から捻出してCDを購入した。蛇足情報として、当時モンスターファームにハマっていた同級生の江川くんに色々と自分の手持ちCDを貸したときに、「この國府田マリ子のCD、けっこう強かったわ」と言われたのをなぜか妙に覚えている。

 

このBANANA放送局という番組、もともとそういう契約だったのか知らないが、半年もしないうちに終了し、翌月に後番組として『オレたちやってま〜す』が始まった。こちらは有名なので、ラジオ好きなら普通に知ってる人も多いのではないだろうか。いわゆる、声優やお笑い芸人、ミュージシャンといった様々なジャンルの芸能人同士がトークをするラジオの先駆けになった番組だ。初期のパーソナリティーは、先の國府田マリ子に加え、TOKIO城島茂とL'Arc〜en〜Cielのtesuya(当時はtetsu)の3人だった。今考えても、どういう会議を経てこの組み合わせになったのか謎である。この番組は、BANANA放送局が終わった流れでそのまま聴いていたが、「アニラジを聴いてる」という感じはあまりしなかった。癒しやドキドキの要素も特になく、かといって突き抜けて面白いというわけでもなかったので(ひどい)、正直、この頃は惰性で聴いていた覚えがある。ただ、後に極楽とんぼがメンバーとして新たに加入してからは、番組自体がオモシロの方向に傾いてきたので、どちらかというとそちら目当てで聴いていた。

 

聴いてたアニラジあれこれ

國府田マリ子の番組をキッカケとして、アニラジという文化が少しずつ私の中に浸透していった。当時の自分のラジオタイムテーブルを振り返ってみると、平日はJUNK(当時はUP's)やオールナイトニッポンなどをはじめとした芸人ラジオを聴くことが多く、アニラジを聴くのは土日が多かった。といっても、平日の深夜ラジオゴールデンタイム(25時~27時)以外は、合間合間に全国のアニラジをつまみ食い的な感じで聴いていた。私が住んでいたのは新潟だったが、深夜であれば普通に大阪のラジオなども受信できたのである。もちろん雑音混じりではあったが、十分聴くに耐えうる音質だった。
最初のうちは、聴く番組が固定していなかったので、適当にチューニングしてそのときに流れていたアニラジを聴いていた。そのため、桑島法子の『CLUB db』や『國府田マリ子のGM』を同じ週に3回聴く、といった謎現象がたびたび発生していた。ネット局が多い番組に関しては、曜日と放送時間帯がバラけているので、合間時間のローテーションによっては遭遇する率が高いのである。

 

ある程度アニラジを聴くようになってくると、徐々にお気に入りのパーソナリティーも出てくる。当時は、マチリンの愛称でお馴染みの豊嶋真千子が好きだった。最近だと、ちびまる子ちゃんの二代目お姉ちゃん役が有名だろうか。すごく親しみやすく、いろんな人から愛されるキャラで、変に飾らないところも好きだった。本人がパーソナリティーを務めていた『豊嶋真千子Earthly Paradise』はもちろん聴いていたが、他番組ゲストに出た回、特に神谷浩史がグランドアシスタントを務めていた『VOICE OF WONDERLAND』は録音して繰り返し繰り返し聴いていた。ほぼ同期なのか知らないが、神谷浩史との掛け合いは凄く好きだった。個人的に、神谷浩史と一番相性が良い相手だと思っている。

 

声優ラジオのパーソナリティーというと、林原めぐみが有名だが、私はそこまでハマらなかった。以前、ラジオでの林原めぐみを評して妻が、「たまに腐女子黒歴史みたいなしゃべり方するじゃん」と言っていたのだが(個人的にツボだった)、ハマらなかった要因の一つとして、それも少しあるような気がする。ただ、それでも『林原めぐみのTokyo Boogie Night』などは、たまに聴いていた。「林原めぐみの声を聴くと安心する」という人がいるが、その気持ちは何となく分かる。久しぶりに聴くと実家に帰ってきたようなキモチになるのだ。番組初期に始まった『早口言葉の挑戦状』のコーナーなどは今でも続いており、こういう「変わらなさ」も、長く番組が続いている秘訣でもあり、魅力なのかもしれない。

 

ラジオ大阪で日曜の22時に放送されていた『宮村優子の直球で行こう!』(以下、直球)という番組は、好きで毎週必ず聴いていた。宮村優子といえば今でもエヴァのアスカ役として有名だが、この頃は本人のルックスも相まってアイドル的な人気を博していた。同時期に、テレ朝のナイナイの深夜番組にもゲストに出てたのを覚えている。今でこそ声優がバラエティに出るのは当たり前になったが、当時としてはかなり珍しかった。
で、そんな宮村優子岩田光央がメインパーソナリティーを務めるのが直球だ。内容的には、かなり下ネタが多めだった。というか、ほぼその印象しかないので、ホントに下ネタ満載の番組だったんだろうなと思う。以前、誰かがツイッターで、「これまでの声優ラジオは下ネタを大声で言うことが面白さのすべてだったけど、人間性そのものを面白くしたのは『アニスパ!』が初めて」ということをつぶやいていたのだが、これがまさにその通りで、昔のお笑い寄りのアニラジは、とにかく下ネタを言ってればいいみたいな風潮が少なからずあった。直球の流れで聴いていた『電撃大賞』も、これまた下ネタを下ネタで煮しめたような番組で、当時学生だった自分は楽しく聴いていたが、今になって思うと、あれは学生だったから楽しめていたんだろうなと思う。この頃の、「声優がワードの響きだけでキツい下ネタを言う」というあの独特の感じは、リアルタイムで聴いてないと分からない肌感覚だと思う。

 

私は下ネタに魅かれたというより、なんかワチャワチャやってる感じが好きだった。先ほど、アニラジには「癒しやドキドキを求めていた」と書いたが、それとは別のベクトルで「みんなでワイワイやってる楽しさ」みたいなものもアニラジには求めていて、これがこの直球には詰まっていたと思う。この直球が放送されていた枠というのは、ラジオ大阪 (OBC) におけるアニラジ番組枠の総称として『1314 V-STATION』(通称Vステ)と呼ばれており、夏と冬に『Vステ夏の陣・冬の陣』という特別番組が放送されたりもしていた。番組合同の企画だったり、生放送で外から中継するなど、このときのお祭り感が当時は大好きだった。
ちなみに、2014年に、宮村優子三重野瞳が2人で直球の特別版をニコニコ動画で放送したのだが、内容のローカル感と当時の思い出話とラジオ大阪の雰囲気も相まってなんとも味わい深かったのを覚えている。先日のアニスパのときも感じたが、アニラジの一夜限りの復活というのは、同窓会感が普通のラジオよりも強い気がする。


日曜の夜の迷子

前述の『電撃大賞』が放送終了するのは日曜日の25時半で、私が記憶してる限り、これ以降は月曜の朝までラジオ大阪の番組は放送休止だった。で、日曜も26時を回ると、いよいよ他の局でも聴く番組、というより放送してる番組がなくなってくる。今のように、タイムフリーで過去の未視聴放送を簡単に聴くこともできない時代だったので、学生にはリアルタイムで放送中の番組を聴くほかないのだ。「聴く番組がないなら寝ればいいじゃない」と思われるかもしれないが、日曜がまだまだ続いてほしいという気持ちと、「とにかく誰かの声を聞いていたい…」という寂しさを原動力として、雑音の中ひたすらダイヤルを回して放送している局を探すのである。さながら、雪山で遭難している登山者が、猛吹雪の中、「誰かー!」と助けを求めるように。こんなふうに書くと、何か心に問題を抱えていた学生と思われかねないが、別にそういう訳ではなく、これはこれで案外楽しかったりもした。意外と当時のラジオ好きあるあるだったと思いたい。


さやかの部屋で...

そんな日曜の夜に、誰かの声を探し求めるようにして見つけたのが『さやかの部屋で…』という番組だ。
日曜のド深夜、どこかの局で流れていたアメリカザリガニの番組が終わって27時を迎え、「全放送局の1週間の番組がマジで全て終わったかな?」と思いながらダイヤルをMBS放送に合わせたところ、聴こえてきたのがこの番組だった。最初、「あれ?こんな番組やってたっけ?」と思った。後になって知ったことだが、この番組は月に1回不定期でやっていたらしい。日曜の27時、しかも月1回不定期となると、そら見つけ出すのも困難のはずだ。RPGで、特定条件を満たさないと現れない宝箱をノーヒントで偶然手に入れたような感覚だった。
この番組、パーソナリティはインディーズ歌手でもあり、SMスナイパーで連載を持っているライターの「さやか」という女性だった。肩書だけ聞くと、サバサバ系のファッサマみたいな人を思い浮かべそうなものだが、これが凄くおしとやかな雰囲気で、可愛らしい声の女性だった。一言一言、独特のリズムで丁寧に言葉を紡ぎ、まるで催眠術にでもかけるかのような語り口で私の心に入りこんできた。
基本、『性』がテーマの番組で基本は男子禁制だったこともあり、当時まだ女性に免疫がなかった私は、とにかく夢中になって彼女の声に耳を傾けていた。女性しか入れない禁断の地に踏み入ってるような感覚だった。決して大袈裟ではなく、当時はこの番組を聴くためだけに生きてたといっても過言ではないくらい好きだった。
ちなみに、一回だけこの番組でメールが読まれたことがある(放送で読まれると思ってなかったので本名で)。「ジングルがベリーセクシーだったので、つい聞いてしまいました」という死ぬほど他愛ない内容だったが、このメールに反応してもらえたのが凄く嬉しかったので、この部分だけ切り取ってmp3化した音声がどこかのHDDに眠っているはずだ。で、なぜかジングル部分だけ今のPCに入っていたので、そこだけアップする(passは『1179』)。

https://dotup.org/uploda/dotup.org2586699.mp3.html

 

ちなみに、パーソナリティーの"さやか"だが、後に『XXX//x(クスクスクス』というMBS深夜の枠の月曜日を担当することになる。これを聞いた時は「やったー!」と飛び跳ねて喜んだのだが、なぜか最終的に聞かなくなってしまった。なんというか、月に1回1時間というのがレア感も含めて丁度よかったようで、毎週2時間も性(シモ)だとさすがにちょっとキツかった。過剰供給の問題点をこのとき悟った。

 

 

と、最後の方はアニラジ関係なくなってしまったが、アニラジを聴き始めの頃の話を少し書いてみた。もはや遠い昔の話である。
さてさて、ラジオおじいちゃんは『飯塚雅弓のまだまだ日曜日だよ!』でも聴きながら寝るとするかのう...(BGM: 飯塚雅弓『アクセル』)

今週の爆笑問題カーボーイのオープニングトークを聞いて思ったこと

 今週の『爆笑問題カーボーイ』(2021/07/20放送分)で、太田さんが小山田圭吾のイジメ問題ついて語っていた。先週のサンジャポで、自身が小山田圭吾を擁護するような発言をしたことでネットが炎上していることに対し、「いろいろと言葉足らずで誤解を招く表現があった」ということで、言葉を選びながら慎重に自分が本当に言いたかったことを伝えていた。

 番組で話していた内容を1ミリも齟齬が生じないように記事にまとめるのはほぼ不可能に近いので、詳しい内容については実際に放送を聴いてほしいのだが、色々と考えさせられる内容だった。自分が爆笑問題ファンということもあるので、若干のフィルターがかかっているとは思うが、その分を差っ引いても一聴の価値がある放送だったと思う。

 太田さんが番組で長時間に渡って何かを語るときは、リスナーに誤解を与えないように慎重に言葉を紡ぐ。今回もそうだったが、自分の話す内容が本当に適切かどうかを一つ一つ確認しながら、思いを言葉に乗せていた。それは、どれだけ一生懸命伝えても、相手に100%は伝わらないということの裏返しのように思えた。言葉が届かない人というのは、絶対にいる。だが、それでも太田さんは伝えようとする。真摯な姿勢で何度も思いを伝えようとすることで、それを聴いた誰かが「そういう考えもあるんだな」とメッセージを受け止め、新たな考え方が加わった上で自分なりにまたその問題について考え出すことを、多分、太田さんは望んでいるのだと思う。

 太田さんは自分の言い分を無理に通そうとはしない。あくまで、「自分はこういう考えです。あなたはどうですか?」という問題提起をしているだけであって、決して論破しようとはしていない。実際に放送でも、「それでもダメって言う人もいると思うけど、それはそれで構わない」と言っている。自分の考えを相手に正しく汲んでもらった上で、"ちゃんと批判してくれ"ということだろう。これは、言葉の上っ面だけを切り取って、匿名でギャーギャー批判している人に対して言ってるように聞こえた。

 今回の放送を聞いて、「情報が多い時代だからこそ、いろんな考え方を受け入れつつも、ちゃんと自分としての考えを持つべき」と思ったのと同時に、「田中さんは太田さんにカレーパンを買ってくるべきだった」と思った。

脱サラしました

 今日(2021年7月1日)の午前中のうちに開業届を提出し、晴れてフリーランスになった。

 詳細については書けないが、いろんなコトを天秤にかけた結果、「今の状況だとフリーになった方が良い」という結論に至ったので、おもいきってフリーランスになる道を選んだ。まぁでも、すぐに結論を出したわけではない。なんだかんだで半年ぐらい悩んだ。
たぶん身近にフリーランスをやってる同業者の相談相手がいたのが大きかったと思う。

  割とポジティブな理由での退職ということで、2年9ヶ月務めてきた前の会社に特に不満はない。むしろ、かなりよくしてもらったし、高く評価されていたという自負もある。そんな良好な関係だったこともあり、「辞めます」と上の人に切り出したときは、かなり驚かれた。しかし、なんだかんだで最終的には円満にまとまった(と思っている)。向こうも「今後とも連絡を取り合っていければ」ということで個々の連絡先を交換させてもらったので、正直、戻ろうと思えば戻れるくらいの温度感での退職だったと思う。たとえるなら、私の海外赴任のせいで別れを余儀なくされた元カノのような感じだろうか(たぶん違う)。

  まぁ10年ぐらいフリーをやってみてニッチもサッチも行かなくなったら、もしかしたらまた社員に戻るかもしれないが(戻れたら)、今後しばらくは組織に属さないで生きていくつもりだ。こんな感じで書くと、急に1人で大航海に乗り出していく冒険家のようにも聞こえるが、元テレ東の佐久間さんの「テレ東をやめてもゴッドタンは引き続きやる」と同じパターンなので、やること自体は当面のところ変わらなかったりする。

  そんなわけで、一旦は港に別れを告げたので、これからは1人で頑張ります。ヨーソロー。

2000年代のラジオ投稿者同士の交流よもや話

先日のアメトーークで放送された『大学お笑いサークル芸人』を観て、自分が学生時代にラジオ投稿をしながら他のラジオリスナーと交流していた頃のことを色々と思い出し、久しぶりにブログを更新しようと思い立った。

投稿していたときの自分の胸の内については、別記事のラジオ投稿記で割とガッツリ書いているので、今回は主にネット上でのラジオ投稿者との交流、特にインターネット黎明期である2000年代初頭の思い出について書きたいと思う。
あと、『大学お笑いサークル芸人』で、全く知らない芸人の名前がポンポン出てくるのが妙に面白かったので、今回の記事では意識的に人のラジオネームを出している。「勝手に名前を出してんじゃねーよ!」と罵声を浴びせてくる方もいるかもしれないが、そこはご容赦願いたい。


ツイッターで番組の放送中にハッシュタグをつけて実況したり、同じ番組を聴いてるリスナーを見つけて繋がったりするのは、今でこそ当たり前になったが、私が初めてネットに触れた当時は、そんなことができるサービスはまだ存在せず、個人ホームページやレンタル掲示板、チャットぐらいしか交流する手段がなかった。そして、今のようにお手軽にホームページが作れるサービスもなかったので、みんな必死にHTMLを覚え、決して機能性が高いとは言えないエディタを駆使しながら思い思いの家をチマチマ作っていた。「誰かを家に招く」か「誰かの家に行く」しか選択肢がなかったのだ。ちなみに、ホームページのサービスとしては、ジオシティーズインフォシーク辺りがよく使われていた。掲示板ではteacupが多かったかな?

 

当時はまだradikoもなければYoutubeもなかった。だから、というわけでもないが、番組の書き起こしを行っているファンサイトが沢山あった。書き起こしといっても、『愛の無い書き起こしサイト』と揶揄されている某所とは違い、どこのファンサイトも番組愛に溢れており、「番組を聴いたことのない人にも、この面白さが伝わってほしい!!」という管理人の熱量が伝わってくるサイトばかりだった。
というわけで、当時、私がよく入り浸っていた素敵なファンサイトを思い出せる限り紹介していきたいと思う。よく足を運んでいたのが爆笑問題系と伊集院系のファンサイトだったので、今回はその辺を重点的に。


爆笑問題

当時の代表的な爆笑問題カーボーイのファンサイトというと、『爆笑問題非公式ファンクラブ』『バクショウモンダイカーボーイリスナーズスタジオ』『ひきこもりSTATION』『CD田中リサイクル』辺りだろうか。
今は、R.N 今に見てろドッカーン!さんが自身のホームページで採用数の集計をされているが、もともとは爆笑問題非公式ファンクラブ内の『爆笑問題カフェ』という掲示板の常連の方々が協力して集計していた。そこからR.N JR時刻表マニアさんが管理人を務めていた『ひきこもりSTATION』に引き継がれ、そこからさらにR.N ステイゴールドくんのブログ『ステイゴールドの日常』に引き継がれ、今に至るという流れだ (私もこの辺は記憶が怪しいので、間違っていたら誰か補足してほしい)。伊集院系もそうだが、採用数集計サイトには歴史があるのだ。

 

で、これらのサイトの中だと、自分と同世代の方が多かった『ひきこもりSTATION』を訪れる頻度が高かった。昭和58年会の会員の方がたむろしており、いつも賑わっていた。管理人のJR時刻表マニアさんが昭和58年会の会長だった。
『CD田中リサイクル』は、R.N オングストロームさんが管理人を務めるCD田中のコーナー専用のサイト。爆笑問題カーボーイではお馴染みのCD田中のコーナー内で読まれたネタや、ボツネタなどの書き起こしを行っていた。CD田中を書き起こすということは、必然的に歌謡曲の歌詞の一部分をホームページに載せることになるのだが、歌詞を載せるためだけに、わざわざJASRACにお金を払っていたらしい。コーナーに対する熱い思いを感じる。オングストロームさんには、昔のバラエティ番組の録画ビデオを送ってもらったりと、何かとお世話になった。

 

カーボーイの常連の方は、ネット上に姿を現す率が低かった。ネット環境的なこともあるのだろうが、番組で毎週のようにネタを読まれてるような超常連の方がネット上に現れることは稀だった。

その中でも、ファンサイトの掲示板でよく絡ませてもらったのは、当時、番組内で謎の忍者として投稿していたR.N 謎の忍者・岩崎トシヒデさん。忍者を謳ってる割に掲示板にはよく出没していた。あと、爆笑問題カーボーイで『田中の弟子のコーナー』が始まって間もない頃に、現・タイタンの作家で当時はまだ投稿者だった野口悠介さんが、ファンサイトの掲示板に訪れることがあった。ただ、投稿者とはいえ、作家に半分片足を突っ込んでる人間がファンサイトの掲示板に書き込むのはいかがなものだろう、という意見も少なからずあった。この辺の距離感というのは難しいものだな、と思う。


伊集院系

伊集院系のファンサイトは、かなり活発に活動をされているところが多かったのでサイト毎に紹介する。同じJUNKの並びの爆笑問題コサキンなどと比べると、伊集院系の投稿者は割かしネット上に姿を現す率が高かったように思う。そういう資質を持った方が多いのだろうか。

 

イジューインホリック
ラジオ投稿記の馬鹿力編でもチラッと触れた、伊集院系サイトの最大手。リスナーの交流が一番盛んだったのは、ここの掲示板とチャットだったと思う。オフ会も定期的に開催され、地方組の私も何度か参加させてもらった。ほぼ唯一の地方組ということもあって、ホリックの管理人でもあるRN ここはグリーンスタジアムさんに東京案内して頂いたこともあった。当時のオフ会で知り合ったリスナーの何人かとは、その後、番組関係なく普通に遊ぶようになり、今でも関係が続いている。学生時代にできた友達は一生モノだなぁと思う。
深夜の馬鹿力というと男村のイメージがあるが(当時は特に顕著だった)、珍しいことにオフ会に顔を見せる女性リスナーも少なからず存在し、そこから色恋沙汰に発展したなんて話もいくつかあった。こういうのはラジオ番組オフとか関係なく発生するもんなんだな、と思ったりした。
 
最大手のサイトということもあり、2chのラジオ番組スレで槍玉に挙げられることもしばしばあった。当時を知る人なら間違いなく覚えていると思うが、『三遊亭事件』という番組を巻き込んだ軽い騒動があった。発端は、名誉管理人のRN.恐怖のミソ汁さんの「みんなでちょっとした遊びをしてみませんか?」という呼びかけだった。で、その遊びの内容というのが、番組に投稿する際、ラジオネームの頭に「三遊亭」と付けるというものだ。それだけのことだった。それだけのことが割と大きめの炎上につながったのである。というのも、当時常連投稿者だった、R.N おて手つないでさん、R.N ふしだらを声高さん、R.N 倉茂秀行さん等がこの遊びに参加したことにより、1回の放送で採用されるラジオネームで、頭に「三遊亭」が付く率が異常に増えたのである。
この遊びについては、伊集院さんも流石に少し気に障ったようで、2001年7月23日の放送回で、「続いてはですね、えー、ペンネーム三遊亭...三遊亭つけるの流行ってるらしいんですよ。なんか分かんないですけど多分ネットとかで流行ってるんでしょうね。別に面白くはないですけどw」という発言を残している。リスナーに向けて直接こういうことを言うのは前代未聞だった。しかも、このときに読まれたネタが私のネタだったので(私も遊びに参加していた)、このときのことは鮮明に覚えている。
今改めて考えても、「投稿者同士が知らないところで何やってるの?」という感情を他のリスナーに抱かれても仕方ないよな、と思う。この遊びを知らないリスナーは「三遊亭って何?」ってなっただろうし。当時はその分別がついてなかった。1年ほど前に、『かが屋オールナイトニッポンZERO』で、常連リスナーに根回ししたヤラセ企画がプチ炎上したが、その回を聴いたとき、このときのことが少し頭をよぎった。
 
■動力板
ここはリスナーというより、投稿者寄りの掲示板だった。管理人はR.N 動かす力さんで、この方も当時の常連さん。
この掲示板に関してだけは、最初、書き込むのにかなり勇気がいった。というのも、ここは特に常連投稿者の方が多く、自分のような若輩者が書き込んでいいものかという葛藤があった。いつも「返信をもらえなかったらどうしよう」とか「面白くないやつだと思われたらどうしよう」といったネガティブな思いを抱えながら投稿ボタンを押していた。そんなことを思わせるくらいエッジの利いたやりとりが繰り広げられていたのだ。
今、bayfm『9の音粋』月曜日DJ枠を担当されているRN.大村彩子(ミラッキ、大村綾人)さんもよくここに書き込まれていた。ご本人のホームページもちょいちょい覗かせてもらっていたが、「多分この人は作家になるだろうな」と当時から思っていた。面白いことを追い求める姿勢と知識がズバ抜けていたし、社交性と人脈を兼ね備えていた。所謂ハガキ職人という人種は、後者の能力が圧倒的に足りないイメージだが、おそらくそこが作家になれるかなれないかの境界だと思う。
大村さんとは、私が2012年にNHKラジオ『ハガキ職人のウタゲ』に出させていただいたとき、番組のメイン作家ということで初めてご一緒させてもらった。中高生のときにラジオでよく耳にした人の番組にゲストとして出るなんて...と感激したのを今でも昨日のことのように覚えている。ちなみに、番組が始まる前に少し時間があったのだが、そのときに「藤井さんにはこれね」と週刊将棋を渡してもらったのが嬉しかった。お互い将棋ファンなのである。
 
■NEWラジパラザウルスの伊集院光閉架書庫

深夜の馬鹿力の伝説のハガキ職人R.N アオミドロさんと並び、番組の第1回採用組であるR.N NEWラジパラザウルスさんのホームページ。ここの『ボツネタ公開裁判所』に集う投稿者の方が多かった。
名前の通り、ボツネタを書き込む用の掲示板なのだが、ボツとは思えないほどクオリティの高いネタもよく投稿されていた。それだけに、書き込まれたボツネタの中に、
復活採用(投稿して期間が空いてから採用されること。馬鹿力では割とあるある)されるネタもちょいちょいあった。
私もボツになると(というか当時はほぼ全てボツだったのだけど)よくここに投稿してネタを供養させてもらい、皆様からの暖かいリプによって励まされていた。ちなみに、この掲示板のリプ欄に伊集院さん本人が登場し、「おかしいなぁ、読んだ覚えないぞ」(内容はうろ覚え)といった書き込みをしたという逸話が残されている。これについては、調べたところ、本人じゃないと言い切れないとのことだった。

 


交流という面ではこの3つのサイトが主だっただろうか。他にも、書き起こしの大手である『イジューインネット』や『脳汁』、採用数集計大手の『名もなきページ』をよく訪問していた。
伊集院リスナーの個人ホームページだと、R.N まげまげさん、R.N 一般人mkさん、R.N 永世棋聖さん、R.N あおいさかなさん、R.N カツ丼で村おこしさんのとこを見に行くことが多かった。あ、あと、ナンパした女性の写真をアップしてるリスナーのサイトもあったりしたのだが、ある意味貴重なサイトということでちょいちょい見に行っていた。知ってる人はマジで一部だと思うが、一回でも行ったことのある人は絶対覚えてると思う。


その他、よもや話

 

当時、AMラジオを聴いていたら絶対に一度は耳にしたことのある1人に、R.N すてきなバカさんという方がいた。そのすてきなバカさんが管理人を務めていた『すてきなバカのスタレビ村』は、名古屋系の投稿者の溜まり場だった。
今でいうと、サンドリの投稿者に持つイメージなのだが、名古屋系の投稿者にはアナーキーで少し怖いイメージがあった。そういうこともあり、自らスレッドを立てて書き込むことは少なかったが、自分にとって良い刺激になっていたのでよく顔を出させてもらっていた。キリ番を取ったときに、すてきなバカさんから某包茎関連クリニックの広告がプリントされたTシャツを貰ったのも良い思い出だ。
ちなみに、今はアニラジの作家としておなじみのふかわげんき氏も、当時この掲示板によく顔を出していた。まだ高校生だった当時から「作家になりたい!」とよく言っていたので、晴れて作家になったと知ったときは、「ホントに良かったねぇ」という親心にも似た感情を勝手に抱いていた。今改めて思い返すと、「作家になりたい!」と強く外に向けて発信していた人は、結構そのまま作家になっているケースが多い気がする。
最近だと、深夜の馬鹿力の投稿者のR.N 点と線くんが作家になったが、彼も熱量がすごく、物事にストイックに向き合うタイプの人間なので、馬鹿力の作家になったと聞いたときもそこまで驚かなかった。

 

昔からTBSラジオっ子の私であるが、一応オールナイトニッポンもちょくちょく聴いていた。ただ、個々の番組に対してそこまで思い入れもがなかったこともあり、LF系のファンサイトに足を運ぶことは殆どなかった。そのため、LF専門の投稿者とは当時も今もそれほど交流がない。

当時インターネット上では、ニッポン放送をメインに活動する『メディアギャング』というハガキ職人の集団がいて(これを覚えてる人ホントに少ないと思う)、その人たちがニッポン放送の夜を賑わしていた。そういうチームを作るという意味でも、なんとなくLFの投稿者の方が横の繋がりが強い気がする。特に西川貴教ANN出身の投稿者勢は結束力というか仲間意識が強そうなイメージがある。自分が向こうの方に投稿してたらまた違った交友関係を築いてたんだろうな、と思う。ちなみに、ニッポン放送では、当時の流行りなのか、R.N サービスカード高柳さんを筆頭に「カタカナ+苗字」というフォーマットのラジオネームの方がやたら多かったのを覚えている。

 


インターネット老人会~ラジオ投稿者編~』といった感じの内容になってしまったが、ちょうどこの頃がネット上で投稿者同士が交流する黎明期で一番楽しい時期だったので、この頃の思い出がとにかく多い。
この時代特有のインターネットの空気感を共有した人たちとは、今後も変わらず繋がっていきたいなーと、ラジオ好きお爺ちゃんは思っているのであった。

近況まとめ

完全に放置中のブログを一年半ぶりに更新。
日々ツイッターには投稿しているが、まとまった長い文章で近況をまとめたいな、と思ったので久しぶりにブログを書いてみた。

 

◆仕事のこと

直近のエントリ2件が転職関係のネガティブ極まりない内容になっており、読み返すと精神的にキツかった頃の苦々しい記憶が蘇ってくるので闇に葬ろうと思ったが、戒めのために残しておこうと思う。今現在は精神的にも安定しており、仕事もきわめて順調だ。特にストレスもなくやれている。現行のプロジェクトが運良くコロナの影響を受けない(というか、むしろ特需)案件のため、2年前にこの現場を選んだ自分を心から褒めてあげたいと思ったりもしている。
今改めて振り返ってみると、あのタイミングで転職して本当に良かった。当時、「嵐が過ぎ去るまで動かない方がいい」と心療内科の先生からアドバイスを頂いたが、あのとき舵を切ってなかったら、たぶん嵐が過ぎ去る前に船が沈没していたと思う。結局、その嵐に耐えられるかどうか判断できるのは自分しかいないのだ。物事の判断は渦中にいると上手くできなかったりするものだが、もし、しばらくツラい状況が続いたり「10年後に自分がこの場所にいる姿が想像できない」ってなったらもう辞めてもいいと思う。

 

趣味のこと

【ラジオ】

コロナの影響で在宅勤務が増えたことにより、おのずとラジオを聴く習慣も復活した。といっても、コロナ前から在宅勤務の妻が作業用BGMで流しているradikoを一緒に聴いてるだけなので、能動的に聴いてるという感じではなく、聴けたら聴くぐらいの緩いスタンスでラジオを聴いている。

そんな中、最近のお気に入りは、佐久間宣行のオールナイトニッポン0。テレ東のプロデューサーである佐久間さんがパーソナリティーを務める番組だ。昔からオールナイトの二部というのは、降って湧いたイロモノ系の有名人がパーソナリィーを務めることが多いが、佐久間さんもそのうちの一人に含まれるだろうか。番組が始まって間もない頃は、「ニッポン放送にテレ東の社員?」という物珍しさとテレビ業界の裏話で注目を集めてきた部分が多少なりともあったが、今は佐久間さんの人柄なども認知され、本当の意味でパーソナリティーとしての地位を確立したと思う。最近はネット記事にもちょいちょい佐久間さんの名前を見かけるようになってきて、いちリスナーとしてはとても嬉しい(反面、あんまり有名になり過ぎると遠くに行ってしまう感じがして少し寂しい)。ちょっと前に、佐久間さんが久保みねヒャダの番組にゲスト出演した際、「二年目になってからトークの質を問われるようになってきた」とこぼしていたが、私は佐久間さんのフリートークが好きだ。聴いてて心地いい。家族の話も聴いててホッコリする(奥さんの話はたまに引くけど)。

最近はもっぱら仕事をしながらラジオを聴くので、良い感じに流して聴ける番組が自分にはちょうどよくなってきた。なんというか、「自分がONの状態にならないと面白く感じられないお笑い」とでもいうのだろうか、こっちが肩の力を入れて迎えに行かないとオモシロを受信できない系の番組よりかは、自然体でリラックスして聴ける番組の方に流れていっている感じがする。こうやっていつか昼のラジオに落ち着いたりするのかしら。

【絵】

ラジオと同様、コロナの影響で家にいる時間が増えたことにより、ペンタブに向かう時間が多くなった。しばらく更新が滞っていたpixivもマメに更新するようになり、先日、1つの目標としていたフォロワー数1000人をめでたく達成した。pixivを利用している理由は、純粋に絵を公開したいというのも勿論あるが、「小金稼ぎをしたい」というやましい側面もあったりするので、フォロワーが多いにこしたことはない。まぁなんだかんだでお金って一番のモチベーションになるし。誰しも子供の頃に一度は考える「日本全国民が俺に1円ずつくれたら1億2千万円」の精神で続けている。

そんな中、最近はツイッターにも絵を上げるようになってきた。さすがにpixivのアカウントとシェアするのはキツイので、そこは完全に別の人としてやっている。まぁ過去のツイートを探せば普通にpixivのアカウントが出てくるので、隠したところで普通にわかるのだけど。ただ、一応、妻にも「別に見てもいいけど、そのことを俺に絶対に言わないで」と念を押してある。自分が知らなければ幸せ理論。

 

【将棋】
最近は藤井二冠の活躍もあり、将棋界がタイヘンな盛り上がりを見せている。将棋ファンの私としても喜ばしい限りだ。
ただ、将棋ファンとは言っているものの、最近はもっぱらプロの対局を観る専門になっている。強い人の将棋というのは観てるだけでも楽しい。今はスマホの将棋実況アプリで毎日プロ棋士棋譜がリアルタイムで観ることができる。私が学生の頃は、月刊「将棋世界」を買ってきて、そこに書かれてる棋譜を実際に盤上に並べてプロの対局に触れていたので、そこから考えるとかなりの進歩といえる。まぁでも、リアルな盤上で駒を並べていくのはそれはそれで楽しかったりするので、実際どちらが良いかは人による。今でも実家に帰ると駒を並べたりするし。ちなみに、私の実家にある将棋の駒は、中学生の頃に親父に買ってもらった結構高いやつなので、手触りと音がとても良く、一手指すたびにゾクゾクする(性癖)。
将棋実況アプリの話でいうと、最近、アプリ特有の言い回しブームみたいなのがきている。「前例に別れを告げた」とか「これでいいなら話が早い」みたいなやつ(あ、これホントに一部の人にしか伝わらない)。あと、落ち着いた渋い手を指したときに「大人ですね」って解説者が言うのも好き。

 

【カラオケ】
最近は友人らとカラオケに行けないのがとても寂しい。「コロナが落ち着いたら行こう!」ということは常々言っているが、この発言がフラグになっているのか、落ち着く兆しが見られず、3人以上でのカラオケは久しく行けていない。妻と2人で行ったり、1人で1時間だけ行くみたいな感じだ。
そういえば、去年あたりから自分がカラオケで歌った音声をツイッターにアップするようになった。昔は半年に1度ぐらいの頻度で2chのカラオケ板に音声をアップしていたが、「もう別に匿名じゃなくてもいいかな」と思い、ツイッターに上げるようになった。いわゆる「歌ってみた」的な完全な自己満足のノリだが、一応誤解の無いように言っておくと、あれは、ふんわりモテたいからアップしてるだけである。先述のpixivと違い、100%やましい気持ちしかないので、そこは誤解しないでほしい。

 

家族のこと

 

【妻】
河童かと思うほど最近キュウリを大量に食べている。ちょっと前はセブンイレブンの一本漬けのキュウリをたまに買って満足していたが、最近はキュウリをスーパーでまとめて買い込んで、ジップロックに浅漬けの汁を入れて自分でキュウリを漬け込んでいる。キュウリを食べると体調が良くなるらしい。本当に河童なのかもしれないが、がしゃどくろのマスクとがしゃどくろのTシャツを着ていたりするので、違う妖怪の線も捨てきれない。妖怪シェアハウスに出演する日も近い。

 

【親父】
昔からマメな人だったが、最近よく家に新聞の切り抜きや写真を送ってくるようになった。メルマガ的な感覚で読んいる。

捨て猫の貰い手をしばらく探していた影響なのか、たまにやりとりするショートメールの中で、語尾にニャンをつけるようになった。ツイッターでは「かわいい」と評判だが、息子として複雑な気持ちだ。